教育勅語を殊更問題視する勢力が日の丸、君が代にも嫌悪感を抱いていることを前号で示したが、
要するに軍国主義否定に伴った明治期の否定である。
つまり明治維新に伴う近代化、JAPANデビューすら気に食わないのであり、靖国神社と有れども例外無く攻撃される。
これら全ての根源は大東亜戦争にあり、あたかも明治期から8月15日までの日本が敵国であるかの様に全否定しようとする。
当たり前だが日本国民は戦前の日本と決別する事で日本国民の継続を許された。その決別の誓いが占領政策であり、手段が戦争の反省である。
反省とは振り返って考える事であるが、明治期まで否定するのは行き過ぎた思考であり、何かしらの意図を持ってでしか成し得ないだろう。
行き過ぎた解釈にポツダム宣言を無条件降伏であるとする解釈がある。これこそが戦後日本人の欺瞞に満ちた解釈であり、あたかも自らの手で日本を存続し得たかのような誤魔化しである。

日本共産党のプラカードであるが、占領政策をまさに待ち望んだ欺瞞の根源であろう。
ポツダム宣言の草案の第12条には「平和政策を遂行する芽が植え付けられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする」とある。
トルーマンは草案にあった天皇の地位保全の部分を削除し、日本がポツダム宣言を受諾できないようにするためであり、原爆投下前に日本を降伏させたくなかったといわれる。
8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。
つまり終戦の詔にある、 『朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。』
「私は、ここにこうして国体を護持して、忠実で善良な国民の偽りのない心を信じ、常にあなた方国民と共にある。」
國體
國體とは、国の基礎的な政治の原則。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する
(八木秀次)
要するに軍国主義否定に伴った明治期の否定である。
つまり明治維新に伴う近代化、JAPANデビューすら気に食わないのであり、靖国神社と有れども例外無く攻撃される。
これら全ての根源は大東亜戦争にあり、あたかも明治期から8月15日までの日本が敵国であるかの様に全否定しようとする。
当たり前だが日本国民は戦前の日本と決別する事で日本国民の継続を許された。その決別の誓いが占領政策であり、手段が戦争の反省である。
反省とは振り返って考える事であるが、明治期まで否定するのは行き過ぎた思考であり、何かしらの意図を持ってでしか成し得ないだろう。
行き過ぎた解釈にポツダム宣言を無条件降伏であるとする解釈がある。これこそが戦後日本人の欺瞞に満ちた解釈であり、あたかも自らの手で日本を存続し得たかのような誤魔化しである。

日本共産党のプラカードであるが、占領政策をまさに待ち望んだ欺瞞の根源であろう。
ポツダム宣言の草案の第12条には「平和政策を遂行する芽が植え付けられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする」とある。
トルーマンは草案にあった天皇の地位保全の部分を削除し、日本がポツダム宣言を受諾できないようにするためであり、原爆投下前に日本を降伏させたくなかったといわれる。
8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。
つまり終戦の詔にある、 『朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。』
「私は、ここにこうして国体を護持して、忠実で善良な国民の偽りのない心を信じ、常にあなた方国民と共にある。」
國體
國體とは、国の基礎的な政治の原則。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する
(八木秀次)