天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

天皇、教育勅語、靖国神社vol2

2017-03-19 23:29:45 | 歴史
教育勅語を殊更問題視する勢力が日の丸、君が代にも嫌悪感を抱いていることを前号で示したが、
要するに軍国主義否定に伴った明治期の否定である。

つまり明治維新に伴う近代化、JAPANデビューすら気に食わないのであり、靖国神社と有れども例外無く攻撃される。

これら全ての根源は大東亜戦争にあり、あたかも明治期から8月15日までの日本が敵国であるかの様に全否定しようとする。

当たり前だが日本国民は戦前の日本と決別する事で日本国民の継続を許された。その決別の誓いが占領政策であり、手段が戦争の反省である。

反省とは振り返って考える事であるが、明治期まで否定するのは行き過ぎた思考であり、何かしらの意図を持ってでしか成し得ないだろう。

行き過ぎた解釈にポツダム宣言を無条件降伏であるとする解釈がある。これこそが戦後日本人の欺瞞に満ちた解釈であり、あたかも自らの手で日本を存続し得たかのような誤魔化しである。


日本共産党のプラカードであるが、占領政策をまさに待ち望んだ欺瞞の根源であろう。

ポツダム宣言の草案の第12条には「平和政策を遂行する芽が植え付けられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする」とある。

トルーマンは草案にあった天皇の地位保全の部分を削除し、日本がポツダム宣言を受諾できないようにするためであり、原爆投下前に日本を降伏させたくなかったといわれる。

8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。

つまり終戦の詔にある、 『朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。』

「私は、ここにこうして国体を護持して、忠実で善良な国民の偽りのない心を信じ、常にあなた方国民と共にある。」


國體

國體とは、国の基礎的な政治の原則。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する

(八木秀次)

天皇、教育勅語、靖国神社vol1

2017-03-19 14:58:42 | 歴史


森友騒動で矢面に立たされているものの一つが教育勅語である。

その勅語を発した玄孫の竹田恒泰氏曰く、この勅語は総理の副署、つまり署名が無いために詔の体を成していないとのことである。

従って著作物、お言葉と理解することが正しい見方のようである。

要するに詔のような強制性が無い家訓の様なものであり、日本人としての心構え、目標を言及されたものと考えれば良いだろう。

ところがこの教育勅語が憲法違反であると尾木直樹氏をはじめとした野党議員つまりは支持母体の日教組の意を汲んだ主張が散見される。

その論旨は「戦後の国民主権の民定憲法の精神や立場に反し、矛盾している」である。これをもって憲法違反と主張する事自体が暴論であり、日教組が敵視する日の丸、君が代、自衛隊に対する戦後の一貫したパラドクスであろう。

教育勅語が1948年の衆参両院で訣別宣言、教育勅語の破棄が確認されたとはいえ、国が公教育に於いて教育勅語を復活させたものでもなく、私学の一保育園、小学校での暗唱が直ちに憲法違反と論じる事自体論理破綻である。

しかも、占領過程でGHQによって禁止され国会で廃止となったのである。

従って最初から訴訟する気などなく、只々憲法違反であると声高に叫ぶことだけが目的であり、教育勅語は"恐ろしいもの"であるとの印象操作でしかないのである。