第2次大戦中の「バターン死の行進」の生存者、元米兵捕虜テニーさん(96)が死去とのニュースが流れました。
バターン死の行進とは第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡した行進のことです。
捕虜の虐待をテーマに両論入り乱れて決着が付かずテニー氏に関しては新聞各社情報はあまり多くでていません。
「殺人者ジャップを追い払え」と書かれたこのポスターは米軍の戦意高揚の為の戦時プロパガンダであり、絵で残虐さを表現しています。
バターン死の行進は昭和17年4月14日コレヒドール砲撃戦で大方決着がつき、日本軍は5月5日の夜に上陸作戦を実施。6日正午、マッカーサーの後任の司令官ウェーンライト中将が降伏を申し入れフィリピン戦は終了しました。既に米軍はこのとき食料が欠乏し、マラリア、デング熱や赤痢が蔓延している状態であり、捕虜輸送は半分以上が列車、トラックの輸送であって、歩く条件は日本軍も米軍、比軍も同じ環境であったとのことです。
120キロの道のりのうち歩いたのは42キロのみで、トラックや列車が使われていたこと。
捕虜の数が予定より多かった。
日本軍はティータイムまで設けていた。
比軍は地元民に紛れ逃亡する者が多く見逃していた。
など捕虜虐待とは程遠いものばかりの反論が多く、この事象も慰安婦問題同様に著しく誇張され、反撃の為に利用されたようです。
また米国本土での捕虜達の評判も悪くテニー氏ら元日本の捕虜となった人々は国内においても蔑まれ戦後はその戦争被害を訴えてきたようです。
テニー氏は生存者で作る団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」の会長で平成22年9月13日に、外務大臣の岡田克也が外務省で面会し、「非人道な扱い」と本人に謝罪をしています。
かたや、テニー氏は平成27年4月の安倍首相の米国議会での演説を傍聴していましたが、安倍首相発案の隠し球、スノーデンさんと進藤義孝議員との握手はスタンディングオベーションを受けています。
安倍首相の演説の年の8月のニューズウィーク日本版には、謝罪よりも重要な事があるということと題して、
『戦時中に日本軍が近隣諸国にもたらした被害を認識し、戦時中の日本軍の残虐行為や侵略、植民地支配を認め続けること。』
と結論していますが、極力安倍首相の演説、スノーデン、進藤議員の評価を避け、安倍談話への恣意的な注文を表明していたのでしょう。
明らかに岡田氏の謝罪が形だけのパフォーマンスで終わり、安倍首相の演説、スノーデン、進藤議員の演出がアメリカ人の心を揺さぶったか、その後の真珠湾スピーチでの寛容と和解を考えれば、非常に大きな布石となったでしょう。