天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

古谷経衡の田母神氏潰し

2017-03-13 14:01:23 | 時事
古谷経衡氏の田母神氏叩きが尋常ではない。

私の記憶ではそれは田母神氏が公職選挙法違反で逮捕される以前から徐々に始まった様に感じる。
そして、具体的にはっきりとした攻撃はアパホテルの南京事件騒動の最中に懸賞論文繋がりで、田母神論文を出典を明記せずに論文の体を成していないもの、コミンテルン陰謀史観として秦郁彦氏を引用して完全否定している。

秦郁彦 『陰謀史観(新潮社)』------------
『くだんの田母神論文は「ソ連情報機関の資料が発掘され…最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」と書いた。根拠としてあげられているのは、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』のほかに『黄文雄の大東亜戦争肯定論』と桜井よし子編『日本よ、「歴史力」を磨け』だが、後の二冊は『マオ』の受け売りだから、同じ周り灯篭を眺めたに過ぎないともいえる。(中略)田母神俊雄は「盧溝橋事件にしても、中国軍が最初に発砲したことは今では明らかになっている」と述べた後、「侵略どころかむしろ日本は戦争に引きずり込まれた被害者である」と断じる。さらに飛躍して「実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた…目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった」と結論づけた。「シナ事変をはじめたのは中国側で、泥沼にひきづり込んだのはアメリカとイギリスでした」と論じる渡辺昇一史観と同工異曲かもしれない。因果関係を説明するのに、結果から原因へさかのぼる安直な論法だが、コミンテルン陰謀論者の間では珍しくない。蒋介石ばかりかルーズベルトや東条英機でさえも被害者に仕立てられるのだが、さすがに直取引は説得性が弱いと考えてか、側近や部下たちのシンパやスパイに踊らされたという構図にする例が多い。』------------------


秦郁彦氏の手法は田母神史観或いは渡辺昇一史観と名付け如何にも一個人的で奇妙さや異端さをイメージさせる手法に過ぎない。

歴史学は資料を基に研究するのだが、日本軍は終戦とともに殆どの資料を焼却しており、日本の近現代史、特に戦争史を中心に研究するものは歴史家となる。

秦氏はその中心がほぼオーラルヒストリーで戰争体験者からの聞き取り調査が殆どである。つまり、ある一定方向への恣意的解釈も可能となる。悪意を持って例えればUFO研究家とそう変わらないのだ。

秦氏を引用して結局言いたいのが、『トンデモ「陰謀史観」を正史として疑わず、そのまま界隈の常識として運用し続ける保守界隈全般の知的堕落』であり、単なる根拠の軽薄な悪口に終始しており、保守派の歴史観全般を貶める意図を感じる。




次が森友騒動に託けての田母神氏批判だが前回は論文で、今回は教育勅語を使って田母神氏の人格を攻撃している。Yahooニュースに「教育勅語礼賛」の気持ち悪さとして寄稿している。

その骨子を下に抜粋した。

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・「昔はよかった」という妄想

1)教育勅語が存在した時代には、現代社会よりも高い道徳観が存在していたという思い込み
2)教育勅語を礼賛したり、復活したりすることを勧奨し、高い道徳観を至高のものと説く人物に限って、道徳的に退廃した私生活を送っているということ

・現代日本は道徳的に退廃している、という妄想

・教育勅語の時代は現代よりも不道徳?

1)1934年3月15日 20歳の真面目な長男が何人殺せるか試すために一家皆殺し
2)1945年4月17日 17歳が一家五人を惨殺
3)1933年7月9日 女学校3年生らの桃色遊戯グループ「小鳥組」

・他人に道徳を強制する者こそ最も不道徳

1)教育勅語と修身の教科書を復活せよ

田母神氏は、30年以上連れ添った妻と2人の子供がいるが、5年ほど前に出会った50歳前後の女性と恋仲になり

道徳を声高に叫ぶ一方実は隠し子が居たり、妻や夫がありながら「保守界隈」の中で出会った相手と平然と不倫をくりかえし、表向きは「凛とした日本男子・大和撫子」などと厚顔無恥に喧伝する人々を私は何十人と知っている。

教育勅語が発布されて120年以上が経つが、いまだ教育勅語の理想というのは、良い意味でも悪い意味でもこの国の中で実現していない。しかしそれは、おそらく古今を問わず人間の自然な姿なのだろう。

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教育勅語の効果の希薄さと田母神氏のプライベートを攻撃している。つまり、保守派のリーダー的存在の発言力を低下せしめその不道徳性を強調することにより保守派全体の熱を冷まそうとしている。

古谷氏が中道的立場で左翼や右翼を攻撃し貶めることには彼の言論を裏であやつるフィクサーがいるはずである。それが、メディアなのか朝日新聞なのかはどうでもいい。

百歩譲って論文を批判するのも田母神氏の公職選挙法違反を責めることも許容範囲であるが、プライベートの夫婦間や女性関係を攻撃するのは頂けない。

マスメディア使い捨ての安いジャーナリスト、物書きで終わりたいならそれも良いだろうが、仮にも保守を自称するなら個人の人格攻撃はやめたほうが身の為だろう。

しかし、彼の保守派、右派に対する偏見は左派よりも酷い。結局中道を装いながらも正常に日本を取り戻しつつある言論を元へ戻そうとしているに過ぎない。彼の信頼し引用した秦郁彦氏は南京虐殺4万人の肯定派である。

意識高い系少しクドイ系

2017-03-13 07:05:09 | 時事



竹、古→1文字が初回
竹田、古谷→2文字が今回
フルネームは単独ツイート
古谷氏が引用リツイートするので所々前後します。



『森友学園とからめて教育勅語を批判するのは筋違い。そもそも教育勅語は総理の副署がないため、詔の体裁をなしておらず、明治天皇の著作物とされる。しかも国民にこれを守るように命じる個所は無いし国家が命令した事実も無い。一度読んでみるがよい。』



『教育勅語が明治天皇の著作物で国民への強制がありやなしやは、本稿のテーマではなく、本稿は教育勅語の存在した時代のBEFORE/AFTERで、日本人の道徳観に明確な善悪がつけられている歴史観の二分法を批判しているわけですが、全然読まれて理解されていないようですね。有難うございました。』



『文字数が限られていたので、貴殿の原稿に対する総合的な論評はしていません。明らかな誤りを、先ず一点、指摘したのみです。歴史観の二文法とやらには触れていません。暇があったら批判するかもしれません。』


『ちなみに私は竹田先生の本を読んで「明治初頭の人心が退廃していたからこそ教育勅語が必要だった」という類のまっ当な歴史観が書かれていたので批判など滅相もありませんでした。対して櫻井よしこにはそのような批判的歴史観が存在しないので、本稿で批判対象としています。お暇な時にお読みください。』


『ご指摘の通り明治の一時期に人心が荒廃していたのは事実です。教育勅語が作られたのは必要に迫られたからで、明治期を全肯定すべきではないとの主張には頷けます。ただし、教育勅語を肯定する田母神氏の素行を根拠に立論しているのは、論理破綻です。性犯罪犯した神父を根拠に聖書を否定するのと同じ。』



『教育勅語の理想を謳った田母神が、教育勅語の夫婦協和の文句と矛盾する行動をとったことについて、批判されるのは致し方ないかと。よって私は「教育勅語を礼賛している田母神」を糾弾しますが、本稿にあるように教育勅語の内容は真っ当、と考えます。性犯罪を犯した神父が破門されるのと同じです。』


『それは詭弁です。文脈からしてただの田母神批判ではないことは明白。教育勅語を礼賛する人物の素行が悪いことを示し、案に教育勅語の効果に疑問を呈していると読む他ない。もし貴殿の言うことが正しいなら、単なる田母神批判で文章をしめたことになる。そういう趣旨の文章ではなかった。』

古谷
「教育勅語を礼賛する人物の素行が悪いことを示し、案に教育勅語の効果に疑問を呈している」これは当たり前のことですよね。学校で道徳を教わった人間が、道徳的ではない行いをする。では、今まで教わった道徳とは何だったのか?という問いに行き着く。教育勅語の事になると妙に庇護する印象を受けます

竹田
だから、教育勅語の評価を下げるために、田母神氏を持ち出す貴殿の論法が失当だといっているのです。それでは、性犯罪を犯した神父を挙げて聖書を批判するのと同じで、論理破綻しています。






『教育勅語の書かれている事についてはごく普通の事だと思います。だがそれを上から「本来はこうあるべき」だ、などと偉そうに教えられたくない。人様の生き方を「本来はこうあるべき」だなんていう権利、誰があるのですか?生き方は本人が決めるのであり、学校や教育が決めるものではない。』


『貴殿はいちど、ちゃんと教育勅語を読んだ方がよいと思う。明治天皇自らこれを実践すると宣し、天皇の為ではなく自分のために実践して欲しいと書かれている。しかもその理由は「皆さんの先祖が実践してきた行いだから」と。先人たちの知恵を子孫に伝えるのは保守の根幹。権利義務の問題ではない。』

古谷
「先人たちの知恵を子孫に伝えるのは保守の根幹」はなく、保守主義の根幹とは「反理性主義」です。先人たちの知恵を伝える云々は、保守の定義には該当いたしません。いろいろと齟齬があるようですが、もう少し勉強なさってはいかがでしょうか。

竹田
「反理性主義」を実行する手段が「先人たちの知恵」を伝承することなのです。そんなこともご存知でないようで、、、驚きます。

古谷
そしてもう一つ申し上げれば、竹田先生の言う「先人たちの知恵」が、実際の歴史の中で本当に存在していたのかどうかが、いま問題になっているわけです。「江戸しぐさ」の問題はご存知ですよね?保守的情愛と歴史学的事実がごちゃ混ぜになっているよ気がします。これで終わりますが、いつかまた討論で。


竹田
私がいう「先人たちの知恵」とは、江戸時代のような最近のものではありません。教育勅語は、古代から育まれてきたことが書かれています。良いものは残し、悪いものは淘汰されなくてはいけません。無論、伝統は何でも残せば良いというものではありません。

古谷
反理性主義を実行する手段が先人たちの知恵の伝承、という解釈があるのは分かりますが、その前提となる「先人たちの知恵」の歴史的事実に疑問がでているのですから理屈が成立しておりません。日本中・近世史(の正史)を勉強なさってください。

竹田
反論になっていません。「先人たちの知恵」は正史が前提となって成立しているものではありません。「先人たちの知恵」は必ずしも全て正史に書かれているとは限りません。基本は口伝伝承です。

古谷
逆です。私は教育勅語の内容は素晴らしいと本稿で書いています。教育勅語の評価を下げたのは、田母神自身なのですよ?保守派の重鎮にして伝統を広げている活動をされる竹田先生が、教育勅語の理想と真逆のことをして逮捕、起訴されている田母神こそ、明治大帝に弓引く逆賊だと思わないのは不思議です!

竹田
私は田母神氏自身を論評していません。私の内心を勝手に想像して勝手に批判するのは、およそ言論人としてあるまじきこと。貴殿も教育勅語の価値を下げた一人です。そういう趣旨の文章でした。

古谷
古代とは律令国家の時代ですか。律令国家について私は専門ではないですが、幕藩体制で古代の価値観が断絶したという説は馴染みが薄いです。兎に角、保守派の重鎮竹田先生には、明治大帝の教育勅語を貴ぶふりをしながら、不倫したり選挙買収する田母神の様な似非保守を斬っていただきたい、と切望します

竹田
私がいう古代とは、律令以前からを意味します。私は『逝きし世の面影』がいうように、伝統的な日本の価値観が大きく変化したのは、維新であると考えています。この点は色々な意見があると思います。

古谷
「先人たちの知恵」は正史が前提ではない、口伝ですか…。はあ、初めて知りました。では竹田先生の御説というのは、ソースあやふやで文章化されていない「口伝」なので?それだと学術的な検証に耐えられないのでは。出来ますれば「先人たちの知恵」を研究した学術書の書名と著者名を教えてください。

竹田
「先人たちの知恵」が正史に書かれていないとは一言も言っていません。よく読んでください。正史から読み取れる部分もあります。そもそも古事記は口伝伝承を文字に起こしたもの。井上毅が教育勅語を起草した際のことを調べると分かると思います。でもソースに当たろうとする姿勢は素晴らしいです。

古谷
私は伝統的な日本の価値観が大きく変化したのは、戦時統制期を経て、具体的には高度成長期の1970年代以降だとかんがえていますが、これはどれが正しいという訳ではなく、歴史解釈であり、諸説があるわけですから、いろいろな意見があってよいように思います。

竹田
1970年代以降に日本の価値観が大きく変化したことは同意します。ただ、私は維新期の変動はもっと大きかったと考えています。歴史解釈はいく通りもあって良いと思います。

古谷
私の文章の行間から私の内心の「教育勅語は悪」と勝手に想像して批判するの竹田先生の方だと感じましたが、それは置くとても、私の様な一介の物書きが田母神批判をし、それがひいては教育勅語の価値劣化に繋がるのだとしたら、教育勅語とはそんなに脆いものなのですか?ご心配せずとも影響ありません。

竹田
貴殿が「教育勅語は悪」と言っているなど、私は一言も述べていません。また、貴殿の文章の影響が大きいか小さいか私にはわかりません。


古谷
仰る通りです。ただ私は、現代の歴史家が書いた学術書を読みたかったので…お聞きしたのです。勅語から120年余が経っている訳で、その手の歴史研究本が学者の中から出て当然かと。ちなみ古事記研究ではなく「先人たちの知恵が歴史的に継続している」事に関する学術書でお暇な時にご教授下さいませ。


竹田
その姿勢は素晴らしいと思います。今出先なので、研究室に帰りましたら、いくつかピックアップしてお伝えいたします。

古谷
それならば誤解が解けました。私は「教育勅語の精神を賞賛、或いは礼賛しながら一方でその精神性を蹂躙している似非保守」を糾弾しているのです。竹田先生に分かっていただいて光栄です。

竹田
その主張には賛同しています。私として疑問に思ったことを述べましたが、その点に関しては異議はありません。

竹田
もし私なら、まず教育勅語の素晴らしさを説明した上で、森友学園報道で教育勅語を一緒に批判する人たちを批判した上で、礼賛しながらも貶める輩を糾弾する、という語り口になるでしょう。貴殿の文章とは読後感はだいぶ異なるでしょう。そんな違和感の中で、私が疑問に思ったことをぶつけました。







竹田恒泰
教育勅語「是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」→これを実践することは、天皇の忠実で良き臣民であるからというだけではなく、あなたたち臣民の先祖が実践して来たことを称えあらわすことになる。(意訳)天皇の為ではなく自分自身の為に実践して欲しい


竹田恒泰
教育勅語を読むには、それなりの勉強が必要。私が勉強ができるとか、そういうことを言いたいのではない。事実として、文語の知識は不可欠。しかも、国史の知識も必要で、天皇と国民の関係性をしっかりと理解していないと読めない。