天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

少女像に涙(共産主義的な)

2017-11-10 11:51:30 | 時事

加藤敦美

16歳の時に海軍甲種飛行予科練習生(15期)に志願したが、この時期以降予科練を終了したものは航空機に乗れないほど枯渇していた。海軍通信学校の予科練習生として入隊し,特別攻撃隊基地に配属されるところで,終戦。本土決戦となれば回天などの水上特攻となったであろう。


著書に「存在と非在の物語: 天皇制から共産主義へ」

その他にも靖国神社慰霊碑への記載について「第792号霊璽簿からの氏名抹消等請求控訴事件」という訴訟を起こしている。その中の一文で、

「天皇を神と思いこまされて命を召し上げられたすべての戦死者が,ヤスクニから解かれて屈辱の傷の癒されることを望む」と書いている。






彼の新聞への投稿を纏めた




少女像に涙 予科練だった私

無職 加藤敦美(京都府88)


『旧日本軍の慰安婦を象徴する「像」の写真を新聞で見てハッと気づいた。韓国、釜山の日本総領事館前に、市民団体などが設けた像。彼女は少女だったのだ!柔らかい身体と心の少女。16歳で特攻隊を目指す予科練(旧海軍飛行予科練習生)へ、死にに行った少年の私と同じ年頃。不意に涙がこみ上げた。旧満州(中国東北部)で満鉄社員の子供として暮らした私。自分も一員になった日本軍と日本人の、朝鮮人に対する無慈悲な扱い、差別を知り抜いている。その中に投じられた少女たちの悲鳴が私に聞こえないはずがない。私は涙をながす。
私には特攻死が待っていた。少年らに「死ね」と命じた無慈悲な大人たちは謝らない。死ねば靖国に祀って閉じこめ、よく死んだとほめる。私達は真っ暗な坂道を転がり落とされるような絶望と恐怖の中にいた。何人もの仲間が死んだ。
朝鮮民族をさげすんだ日本人に少女らが感じた恐怖の闇。民族も立場も違うが恐怖はわかる。私たちを死なせ、素知らぬふりをした権力者らは「少女像」に反感むきだしだ。女性に逆に謝らねばならぬのに。こんな日本人でいいのか。』











「死者を讃える資格者いない」無職 加藤 敦美(京都市西京区 76歳)

死者は、死者をして死なしめよ。前の戦争で死ななかった者に死者を語る権利はない。まして死者を裏切って米国の「手先」となり、国民を犠牲にして保身をはかる者が、どうして死者を讃えられるのか。

戦前戦中の日本は、天皇が神であり、国民全員が生命をささげて「神の国」を完結すべきだとされた時代であった。海軍飛行余暇練習生(予科練)であった私も含めて、誰が降伏することなど思ったか。

「自分は生き延びて死者を賛美する」などと考えた人はいなかったはずだ。だからこそ現代の日本に、死者を讃える資格のある者などいないのである。

死を免れた者たちが許されるのは、多くの人々の命を奪った侵略戦争とファシズムの元を断つために生きることだけである。憲法9条が存続してきたのも、死者からの許しがそこにしかなかったからである。

中国および韓国の反対があってもなくても、首相の靖国神社参拝は許されないのである。(2005年10月22日大阪)


最新の加藤氏の投稿







本人の記憶と他人の体験を混同しているか、意図的にストーリーを創作しているようだ。

其々感想はあるだろう。

靖国神社を戦争神社と蔑み中韓の歴史認識に合わせるように、自身を日本人でありながら大日本帝国の被害者として位置付け若者の安倍政権への支持に業を煮やし投稿という形で朝日新聞の「声」となり、オーラルヒストリーで反日的、共産主義的日本人を育成してきたのだ。