日本人の端くれさんへ
いつも熱のこもったコメントを頂き、また拙いブログを読んでくれて感謝とまた愛国心の強さにはとても勇気づけられます。
今回は御礼とコメントに関して気付いた点を補足風に付け足してみたいと思います。偉そうなことを言える立場ではございませんが、この問題は大変複雑で一般の方には理解し難いのでご無礼をお許しください。
『先帝陛下が最後に御親拝されたのは昭和50年までで、A級戦犯靖國神社合祀は昭和53年です。御親拝を控えられるようになったのは昭和51年からであり、53年からではありません。』
よく反論に使われる年数の問題ですが、最後の御親拝が確かに50年11月でした。ただ戦後の御親拝は合計8回でその間隔は不定期的で50年の前は昭和44年でした。つまりと2回目の御親拝が7年の間隔が開いていることから可能性として50年の次の御親拝は51年、52年、53年、54年、55年、56年、57年が考えられるのです。
要するに年数を使って否定するには多少無理があるのです。合祀された53年、それが世の中に出た54年の為に中断されたという可能性を与えてしまうのです。
『では何故控えられるようになったか、昭和50年に三木首相が靖國神社参拝時に私的参拝と発言した時から端を発します。この保身的な発言に攻め所を反日勢力に気付かせたのが原因であり、私的なのか?公的なのか?を問えるぞと。シナ、朝鮮のパシリの国内反日メディアに叩くアイディアを三木首相が与えてしまったのです。。勿論この時も安定の朝日新聞ですよ。』
これは全くその通りです。
『だから陛下に私的親拝は御在りする筈も無く、御親拝を控えるようになってしまったのです。以降春秋例大祭は勅使参行され御親拝の礼は尽くされております。』
公用車を使わない、SPは同行しない、玉串料はポケットマネーと私的参拝なら問題にならないとしたことも影響はあったでしょう。しかし、宮中祭祀は公務ではなく、私的行事です。写真の靖国神社の門の菊の御紋を見てもわかるように靖国神社は天皇陛下の私的な祭祀の場とも言えます。
更に陛下は公的、私的を超越されているともかんがえられます。
『ましてや昭和50年までは靖國神社参拝に関しメディアもシナ、韓国も全く何も言って無かったのですから。ようあA級戦犯靖國神社合祀問題とは??キチガイのシナ人朝鮮人がこじつけの理論で日本破壊行為の一つに過ぎない捏造の論なのです。しかし愚かな日本人が朝日新聞の反日記事を信じ、問題ではない問題を問題にしてしまったのです。朝日新聞によって、戦地朝鮮人売春婦が捏造強制連行朝鮮人慰安婦にハッタリ変化し、今日には気味悪さ抜群金ピカ売春婦像が建ちまくることと同じ理屈なのです。』
これも個人の考え方の自由です。
『また以前富田メモに同意する元靖國神社で勤めた者もいたが、私はスパイであると確信しています。よって日本の根幹を成す所には何某かスパイが差し向けられており、端的に申せばシナ朝鮮からの侵略行為に他ならないのです。そもそも先帝陛下は前述の理由に御親拝を控えられるようになったのであり、A級戦犯合祀に対し反対の意があったわけでは無いのです。』
これもその通りだとおもいます。ただ陛下は合祀に関してタイミングがあると思われておられたでしょう。
『現在安倍首相を始め全ての議員がシナ朝鮮の思惑に嵌り、靖國神社参拝にびびって仕舞うようになりましたが、堂々と参拝すれば良いのである。
始まりは三木首相の保身的発言であり、反日勢力に突っ込めるとやる気にさせ、私的公的な概念を芽生えさせ、それにより先帝陛下が御親拝を控え、A級戦犯合祀を絡め真違を問えない富田メモを使い、愚かな日本人達が信じ、今に至ったのであります。』
私は個人的に安倍首相は陛下と同じ気持ちでいる、もしくは陛下のお気持ちを忖度していると感じます。つまり、陛下が御親拝されないのに総理がのこのこと参拝できるのかと、また三木首相や中曽根首相のように政治利用を避けているのだと感じます。
『これは先帝陛下、英霊に対する著しい侮辱であり、朝日新聞並びにこれを煽った者は、どんなに時が経ても罪が赦されることの無い大罪者であると言えます。』
これも仰る通りだと思います。
最後に
結局のところ伊勢神宮や宮中三殿と何ら変わらない靖国神社への御親拝を中断して何故同等の勅使参向をされなければならないのか。
当初私は富田メモは偽物或いは徳川侍従長の発言だと思っておりました。しかし、歴史家や研究者らの分析で「合祀に不快感」との結論が出てしまっており、最近不快なら不快でも良いだろうと富田メモを認めたところ、問題は「中断の理由として合祀」であり、合祀に何かしらの不快感を持ってはいるが、この事が中断とは一切関係が無いのだとの結論に達したのです。
要するに『所謂A級戦犯の合祀に不快感があったもののそれを中断の原因としたり、靖国神社を軍国主義の象徴にしたい勢力がいたりと、国論が二分するような場所へは危なくて行って欲しくない。』との結論です。
いつも熱のこもったコメントを頂き、また拙いブログを読んでくれて感謝とまた愛国心の強さにはとても勇気づけられます。
今回は御礼とコメントに関して気付いた点を補足風に付け足してみたいと思います。偉そうなことを言える立場ではございませんが、この問題は大変複雑で一般の方には理解し難いのでご無礼をお許しください。
『先帝陛下が最後に御親拝されたのは昭和50年までで、A級戦犯靖國神社合祀は昭和53年です。御親拝を控えられるようになったのは昭和51年からであり、53年からではありません。』
よく反論に使われる年数の問題ですが、最後の御親拝が確かに50年11月でした。ただ戦後の御親拝は合計8回でその間隔は不定期的で50年の前は昭和44年でした。つまりと2回目の御親拝が7年の間隔が開いていることから可能性として50年の次の御親拝は51年、52年、53年、54年、55年、56年、57年が考えられるのです。
要するに年数を使って否定するには多少無理があるのです。合祀された53年、それが世の中に出た54年の為に中断されたという可能性を与えてしまうのです。
『では何故控えられるようになったか、昭和50年に三木首相が靖國神社参拝時に私的参拝と発言した時から端を発します。この保身的な発言に攻め所を反日勢力に気付かせたのが原因であり、私的なのか?公的なのか?を問えるぞと。シナ、朝鮮のパシリの国内反日メディアに叩くアイディアを三木首相が与えてしまったのです。。勿論この時も安定の朝日新聞ですよ。』
これは全くその通りです。
『だから陛下に私的親拝は御在りする筈も無く、御親拝を控えるようになってしまったのです。以降春秋例大祭は勅使参行され御親拝の礼は尽くされております。』
公用車を使わない、SPは同行しない、玉串料はポケットマネーと私的参拝なら問題にならないとしたことも影響はあったでしょう。しかし、宮中祭祀は公務ではなく、私的行事です。写真の靖国神社の門の菊の御紋を見てもわかるように靖国神社は天皇陛下の私的な祭祀の場とも言えます。
更に陛下は公的、私的を超越されているともかんがえられます。
『ましてや昭和50年までは靖國神社参拝に関しメディアもシナ、韓国も全く何も言って無かったのですから。ようあA級戦犯靖國神社合祀問題とは??キチガイのシナ人朝鮮人がこじつけの理論で日本破壊行為の一つに過ぎない捏造の論なのです。しかし愚かな日本人が朝日新聞の反日記事を信じ、問題ではない問題を問題にしてしまったのです。朝日新聞によって、戦地朝鮮人売春婦が捏造強制連行朝鮮人慰安婦にハッタリ変化し、今日には気味悪さ抜群金ピカ売春婦像が建ちまくることと同じ理屈なのです。』
これも個人の考え方の自由です。
『また以前富田メモに同意する元靖國神社で勤めた者もいたが、私はスパイであると確信しています。よって日本の根幹を成す所には何某かスパイが差し向けられており、端的に申せばシナ朝鮮からの侵略行為に他ならないのです。そもそも先帝陛下は前述の理由に御親拝を控えられるようになったのであり、A級戦犯合祀に対し反対の意があったわけでは無いのです。』
これもその通りだとおもいます。ただ陛下は合祀に関してタイミングがあると思われておられたでしょう。
『現在安倍首相を始め全ての議員がシナ朝鮮の思惑に嵌り、靖國神社参拝にびびって仕舞うようになりましたが、堂々と参拝すれば良いのである。
始まりは三木首相の保身的発言であり、反日勢力に突っ込めるとやる気にさせ、私的公的な概念を芽生えさせ、それにより先帝陛下が御親拝を控え、A級戦犯合祀を絡め真違を問えない富田メモを使い、愚かな日本人達が信じ、今に至ったのであります。』
私は個人的に安倍首相は陛下と同じ気持ちでいる、もしくは陛下のお気持ちを忖度していると感じます。つまり、陛下が御親拝されないのに総理がのこのこと参拝できるのかと、また三木首相や中曽根首相のように政治利用を避けているのだと感じます。
『これは先帝陛下、英霊に対する著しい侮辱であり、朝日新聞並びにこれを煽った者は、どんなに時が経ても罪が赦されることの無い大罪者であると言えます。』
これも仰る通りだと思います。
最後に
結局のところ伊勢神宮や宮中三殿と何ら変わらない靖国神社への御親拝を中断して何故同等の勅使参向をされなければならないのか。
当初私は富田メモは偽物或いは徳川侍従長の発言だと思っておりました。しかし、歴史家や研究者らの分析で「合祀に不快感」との結論が出てしまっており、最近不快なら不快でも良いだろうと富田メモを認めたところ、問題は「中断の理由として合祀」であり、合祀に何かしらの不快感を持ってはいるが、この事が中断とは一切関係が無いのだとの結論に達したのです。
要するに『所謂A級戦犯の合祀に不快感があったもののそれを中断の原因としたり、靖国神社を軍国主義の象徴にしたい勢力がいたりと、国論が二分するような場所へは危なくて行って欲しくない。』との結論です。