何故戦争をしたのか?
日本の70年前のあの戦争で考えれば、国家が自力でその存立を維持し、自国を防衛するまさに自存自衛の戦争であったはずである。
それが、中国からの南京事件、韓国からは慰安婦と徴用工の歴史戦のプロパガンダ(宣伝戦)は止む事はない。
日本が戦後ナショナリズムを排し軍国主義を否定し、一部の日本人が戦争の加害性に触れ、わざわざ振り返りそれに呼応するように中韓のプロパガンダのロビー活動は内外を問わず活発になる。
それは日本が戦後平和になればなるほどあの戦争は侵略と植民地支配の戦争であったように印象操作されてしまうのだ。
つまり、日本人があの戦争を反省して二度と起こさない為の知恵であったのかもしれない否定が朝日をはじめとするマスメディアによっての捏造と誇張で繰り返され何年経とうが日本軍は悪かったという反日勢力の旗振り役として日本を毀損し続けるからである。
南京大虐殺30万人の数字は東京大空襲と広島長崎の原爆による犠牲者30万人との単なる数合わせだ。
やってもいない大虐殺を数の問題でなく、あったか無かったかで論じる「曖昧さ」は侵略と植民地支配を認めるのか認めないのかの「曖昧さ」を誘発し、歴史認識の戦いをも放棄する。
では一体この平和を齎したのは何なのであろうか。300万人もの戦争犠牲者は言うまでも無いし、それに伴う反省と国民の平和への祈りであることは間違いない。
よく左翼や護憲派の言う9条、平和憲法はどうであろうか。確かに当初はこの憲法が所謂平和への祈りであったことは否定出来ない。つまり、憲法に明記せずとも前者の犠牲、反省、祈りがあれば平和は保たれたであろう。

この点が明らかにドイツと異なる点である。ドイツ国民はヒトラーとナチスを戦犯として切り離し
隔離政策へのプロパガンダ、ホロコーストを認め法制化することで東西に分断されたが、平和を築いたのだ。要するに真実かどうかや、わざわざ否定する必要がないのである。寧ろ完全に認めたことで、ドイツ国民はユダヤ人側、戦勝国側へと移りヒトラーと決別した。
ホロコーストはヨーロッパで迫害され続けてきたユダヤ人の被害と知恵なのであり、人種差別に対するプロパガンダでナチスを利用した。つまり、プロパガンダが少なくともユダヤ人とドイツ国民の平和の礎となってしまっている。
プロパガンダを否定することがあまり意味を持たないばかりか、ユダヤ人に対する差別としての意味合いを持ってしまうわけだ。
SWCの活動を利用しアジアンホロコーストとして南京大虐殺を固定化する動きがある。ドイツと日本が軍事同盟を結んで悪の枢軸国として連合軍と敵対していたということだけで同一視しようとする。
日本人が幾ら南京を捏造だ、無かったと否定しても世界的な視線は右傾化や歴史修正などの批判が既に用意されている。
要するにこの件は幾らやってはいない証拠を集めても「悪魔の証明」となってしまう。であれば今回の高須克弥氏が行ったように南京もホロコーストも同じプロパガンダである事を証明、寧ろホロコーストを否定した方が賢明なのだ。ユダヤ人差別をしていない日本人こそに許された否定である事に注目したい。
残された日本人は粛々と高須氏の言動を支持見守り、時に助ける事が日本人としての日本人らしい対応ではないだろうか。
日本の70年前のあの戦争で考えれば、国家が自力でその存立を維持し、自国を防衛するまさに自存自衛の戦争であったはずである。
それが、中国からの南京事件、韓国からは慰安婦と徴用工の歴史戦のプロパガンダ(宣伝戦)は止む事はない。
日本が戦後ナショナリズムを排し軍国主義を否定し、一部の日本人が戦争の加害性に触れ、わざわざ振り返りそれに呼応するように中韓のプロパガンダのロビー活動は内外を問わず活発になる。
それは日本が戦後平和になればなるほどあの戦争は侵略と植民地支配の戦争であったように印象操作されてしまうのだ。
つまり、日本人があの戦争を反省して二度と起こさない為の知恵であったのかもしれない否定が朝日をはじめとするマスメディアによっての捏造と誇張で繰り返され何年経とうが日本軍は悪かったという反日勢力の旗振り役として日本を毀損し続けるからである。
南京大虐殺30万人の数字は東京大空襲と広島長崎の原爆による犠牲者30万人との単なる数合わせだ。
やってもいない大虐殺を数の問題でなく、あったか無かったかで論じる「曖昧さ」は侵略と植民地支配を認めるのか認めないのかの「曖昧さ」を誘発し、歴史認識の戦いをも放棄する。
では一体この平和を齎したのは何なのであろうか。300万人もの戦争犠牲者は言うまでも無いし、それに伴う反省と国民の平和への祈りであることは間違いない。
よく左翼や護憲派の言う9条、平和憲法はどうであろうか。確かに当初はこの憲法が所謂平和への祈りであったことは否定出来ない。つまり、憲法に明記せずとも前者の犠牲、反省、祈りがあれば平和は保たれたであろう。

この点が明らかにドイツと異なる点である。ドイツ国民はヒトラーとナチスを戦犯として切り離し
隔離政策へのプロパガンダ、ホロコーストを認め法制化することで東西に分断されたが、平和を築いたのだ。要するに真実かどうかや、わざわざ否定する必要がないのである。寧ろ完全に認めたことで、ドイツ国民はユダヤ人側、戦勝国側へと移りヒトラーと決別した。
ホロコーストはヨーロッパで迫害され続けてきたユダヤ人の被害と知恵なのであり、人種差別に対するプロパガンダでナチスを利用した。つまり、プロパガンダが少なくともユダヤ人とドイツ国民の平和の礎となってしまっている。
プロパガンダを否定することがあまり意味を持たないばかりか、ユダヤ人に対する差別としての意味合いを持ってしまうわけだ。
SWCの活動を利用しアジアンホロコーストとして南京大虐殺を固定化する動きがある。ドイツと日本が軍事同盟を結んで悪の枢軸国として連合軍と敵対していたということだけで同一視しようとする。
日本人が幾ら南京を捏造だ、無かったと否定しても世界的な視線は右傾化や歴史修正などの批判が既に用意されている。
要するにこの件は幾らやってはいない証拠を集めても「悪魔の証明」となってしまう。であれば今回の高須克弥氏が行ったように南京もホロコーストも同じプロパガンダである事を証明、寧ろホロコーストを否定した方が賢明なのだ。ユダヤ人差別をしていない日本人こそに許された否定である事に注目したい。
残された日本人は粛々と高須氏の言動を支持見守り、時に助ける事が日本人としての日本人らしい対応ではないだろうか。