天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

キリスト教に言われたかないね

2019-10-25 06:04:41 | 時事



キリスト教関係団体が21日記者会見し、宗教色の強い即位関連行事に公金を支出して国事行為として行うことについて「政教分離の原則に反して違憲だ」と主張した。

会見した日本キリスト教協議会などプロテスタントやカトリックの各団体は、特に11月14日からの大嘗祭は天皇を神格化し、宗教色が強いと指摘。「宗教的儀式に国が関与することは国家神道の復活を意味し、信仰の自由を脅かす」だそうだ。

信仰の自由が脅かされるとの言い掛かりはまだ理解出来るが、国家神道の復活を意味するなどお門違いもいいとこである。

国家神道自体がGHQの造語であり、信教の自由を齎すと言うよりも神道を宗教と勘違いして天皇と神道に恐れ慄いて国家と神道を切り放そうとしたのである。

ハーグ条約の第46条に家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない、とある。

つまり、神道指令自体が国際法に抵触してしまう矛盾を孕んだ政策であり、明治来日本に於いて神道は宗教ではなく寧ろ政教分離を目的とした側面が大きいことをGHQは理解できなかったと言える。



【神道指令】

「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」

一 国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ(直接的或ハ間接的)強制ヨリ日本国民ヲ解放スル為ニ戦争犯罪、敗北、苦悩、困窮及ビ現在ノ悲惨ナル状態ヲ招来セル「イデオロギー」ニ対スル強制的財政援助ヨリ生ズル日本国民ノ経済的負担ヲ取り除ク為ニ【神道ノ教理並ニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ誘導スルタメニ意図サレタ軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用スルガ如キコトノ再ビ起ルコトヲ妨止スル為ニ再教育ニ依ッテ国民生活ヲ更新シ永久ノ平和及民主主義ノ理想ニ基礎ヲ置ク新日本建設ヲ実現セシムル計画ニ対シテ日本国民ヲ援助スル為ニ茲ニ左ノ指令ヲ発ス

(イ)日本政府、都道府県庁、市町村或ハ官公吏、属官、雇員等ニシテ公的資格ニ於テ神道ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ヲナスコトヲ禁止スル而シテカカル行為ノ即刻ノ停止ヲ命ズル

(ロ)神道及神杜ニ対スル公ノ財源ヨリノアラユル財政的援助並ニアラユル公的要素ノ導入ハ之ヲ禁止スル而シテカカル行為ノ即刻ノ停止ヲ命ズル

(1)公地或ハ公園ニ設置セラレタル神社ニ対シテ公ノ財源ヨリノ如何ナル種類ノ財政的援助モ許サレズ但シコノ禁止命令ハカカル神社ノ設置セラレ居ル地域ニ対シテ日本政府、都道府県庁、市町村ガ援助ヲ継続スルコトヲ妨ゲルモノト解釈セラルベキデハナイ

(2)従来部分的ニ或ハ全面的ニ公ノ財源ニヨツテ維持セラレテヰタアラユル神道ノ神社ヲ個人トシテ財政的ニ援助スルコトハ許サレル但シカカル個人的援助ハ全ク自発的ナルコトヲ条件トシ絶対ニ強制的或ハ不本意ノ寄附ヨリナル援助デアツテハナラナイ

(ハ)神道ノ教義、慣例、祭式、儀式或ハ礼式ニ於テ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的「イデオロギー」ノ如何ナル宣伝、弘布モ之ヲ禁止スル而シテカカル行為ノ即刻ノ停止ヲ命ズル神道ニ限ラズ他ノ如何ナル宗教、信仰、宗派、信条或ハ哲学ニ於テモ叙上ノ「イデオロギー」ノ宣伝、弘布ハ勿論之ヲ禁止シカカル行為ノ却刻ノ停止ヲ命ズル

(ニ)伊勢ノ大廟ニ関シテノ宗教的式典ノ指令並ニ官国幣社ソノ他ノ神社ニ関シテノ宗教的式典ノ指令ハ之ヲ撤廃スルコト

(ホ)内務省ノ神祇院ハ之ヲ廃止スルコト而シテ政府ノ他ノ如何ナル機関モ或ハ租税ニ依ツテ維持セラレル如何ナル機関モ神祇院ノ現在ノ機能、任務、行政的責務ヲ代行スルコトハ許サレナイ

(ヘ)アラユル公ノ教育機関ニシテソノ主要ナル機能ガ神道ノ調査研究及ビ弘布ニアルカ或ハ神官ノ養成ニアルモノハ之ヲ廃止シソノ物的所有物ハ他ニ転用スルコト而シテ政府ノ如何ナル機関モ或ハ租税ニ依ッテ維持セラルル如何ナル機関モカカル教育機関ノ現在ノ機能又ハ任務ノ行政的責務ヲ代行スルコトハ許サレナイ

(ト)神道ノ調査研究並ニ弘布ヲ目的トスル或ハ神官養成ヲ目的トスル私立ノ教育機関ハ之ヲ認メル但シ政府ト特殊ノ関係ナキ他ノ私立教育機関ト同様ナル監督制限ノモトニアル同様ナル特典ヲ与ヘラレテ経営セラルベキコト併シ如何ナル場合ト雖モ公ノ財源ヨリ支援ヲ受クベカラザルコト、マタ如何ナル場合ト雖モ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的「イデオロギー」ヲ宣伝、弘布スベカラザルコト

(チ)全面的ニ或ハ部分的ニ公ノ財源ニ依テ維持セラレル如何ナル教育機関ニ於テモ神道ノ教義ノ弘布ハソノ方法様式ヲ問ハズ禁止セラルベキコト、而シテカカル行為ハ即刻停止セラルベキコト

(1)全面的ニ或ハ部分的ニ公ノ財源ニ依ツテ維持セラレ居ル凡テノ教育機関ニ於テ現ニ使用セラレ居ル凡テノ教師用参考書並ニ教科書ハ之ヲ検閲シソノ中ヨリ凡テノ神道教義ヲ削除スルコト

 今後カカル教育機関ニ於テ使用スル為ニ出版セラルベキ如何ナル教師用参考書、如何ナル教科書ニモ神道教義ヲ含マシメザルコト

(2)全面的ニ或ハ部分的ニ公ノ財源ニ依テ維持セラレル如何ナル教育機関モ神道神社参拝乃至神道ニ関連セル祭式、慣例或ハ儀式ヲ行ヒ或ハソノ後援ヲナサザルコト

(リ)「国体の本義」、「臣民の道」乃至同種類ノ官発行ノ書籍論評、評釈乃至神道ニ関スル訓令等ノ頒布ハ之ヲ禁止スル

(ヌ)公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル

(ル)全面的乃至部分的ニ公ノ財源ニ依ツテ維持セラレル役所、学校、機関、協会乃至建造物中ニ神棚ソノ他国家神道ノ物的象徴トナル凡テノモノヲ設置スルコトヲ禁止スル、而シテ之等ノモノヲ直ニ除去スルコトヲ命令スル

(ヲ)官公吏、属官、雇員、学生、一般ノ国民乃至日本国在住者ガ国家神道ソノ他如何ナル宗教ヲ問ハズ之ヲ信仰セヌ故ニ或ハ之ガ信仰告白ヲナサヌガ故ニ或ハカカル特定ノ宗教ノ慣例、祭式、儀式、礼式ニ参列セヌガ故ニ彼等ヲ差別待遇セザルコト

(ワ)日本政府、都道府県庁、市町村ノ官公吏ハソノ公ノ資格ニ於テ新任ノ奉告ヲナス為ニ或ハ政治ノ現状ヲ奉告スル為ニ或ハ政府乃至役所ノ代表トシテ神道ノ如何ナル儀式或ハ礼式タルヲ問ハズ之ニ参列スル為ニ如何ナル神社ニモ参拝セザルコト

二(イ)本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル、マタ宗教ヲ政治的目的ニ誤用スルコトヲ妨止シ、正確ニ同ジ機会ト保護ヲ与ヘラレル権利ヲ有スルアラユル宗教、信仰、信条ヲ正確ニ同ジ法的根拠ノ上ニ立タシメルニアル、本指令ハ啻ニ神道ニ対シテノミナラズアラユル宗教、信仰、宗派、信条乃至哲学ノ信奉者ニ対シテモ政府ト特殊ノ関係ヲ持ツコトヲ禁ジマタ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的「イデオロギー」ノ宣伝、弘布ヲ禁ズルモノデアル

(ロ)本指令ノ各条項ハ同ジ効力ヲ以テ神道ニ関連スルアラユル祭式、慣例、儀式、礼式、信仰、教ヘ、神話、伝説、哲学、神社、物的象徴ニ適用サレルモノデアル

(ハ)本指令ノ中ニテ意味スル国家神道ナル用語ハ、日本政府ノ法令ニ依テ宗派神道或ハ教派神道ト区別セラレタル神道ノ一派即チ国家神道乃至神社神道トシテ一般ニ知ラレタル非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道ノ一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル

(ニ)宗派神道或ハ教派神道ナル用語ハ一般民間ニ於テモ、法律上ノ解釈ニ依テモ又日本政府ノ法令ニ依テモ宗教トシテ認メラレテ来タ(十三ノ公認宗派ヨリ成ル)神道ノ一派ヲ指スモノデアル

(ホ)連合国軍最高司令官ニ依テ一九四五年十月四日ニ発セラレタル基本的指令即チ「政治的、社会的並ニ宗教的自由束縛ノ解放」ニ依テ日本国民ハ完全ナル宗教的自由ヲ保証セラレタノデアルガ、右指令第一条ノ条項ニ従テ

(1)宗派神道ハ他ノ宗教ト同様ナル保護ヲ享受スルモノデアル

(2)神社神道ハ国家カラ分離セラレ、ソノ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的要素ヲ剥奪セラレタル後ハ若シソノ信奉者ガ望ム場合ニハ一宗教トシテ認メラレルデアラウ、而シテソレガ事実日本人個人ノ宗教ナリ或ハ哲学ナリデアル限りニ於テ他ノ宗教同様ノ保護ヲ許容セラレルデアラウ

(ヘ)本指令中ニ用ヒラレテヰル軍国主義的乃至過激ナル国家主義的「イデオロギー」ナル語ハ、日本ノ支配ヲ以下ニ掲グル理由ノモトニ他国民乃至他民族ニ及ボサントスル日本人ノ使命ヲ擁護シ或ハ正当化スル教ヘ、信仰、理論ヲ包含スルモノデアル

(1)日本ノ天皇ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国ノ元首ニ優ルトスル主義

(2)日本ノ国民ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国民ニ優ルトスル主義

(3)日本ノ諸島ハ神ニ起源ヲ発スルガ故ニ或ハ特殊ナル起源ヲ有スルガ故ニ他国ニ優ルトスル主義

(4)ソノ他日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ駆リ出サシメ或ハ他国民ノ論争ノ解決ノ手段トシテ武力ノ行使ヲ謳歌セシメルニ至ラシメルガ如キ主義

三 日本帝国政府ハ一九四六年三月十五日迄ニ本司令部ニ対シテ本指令ノ各条項ニ従ッテ取ラレタル諸措置ヲ詳細ニ記述セル総括的報告ヲ提出スベキモノナルコト

四 日本ノ政府、県庁、市町村ノ凡テノ官公吏、属官、雇員並ニアラユル教師、教育関係職員、国民、日本国内在住者ハ本指令各条項ノ文言並ニソノ精神ヲ遵守スルコトニ対シテ夫々個人的責任ヲ負フベキコト





このような頓珍漢な神道指令が与えた影響こそ上記キリスト教団体が結論する"違憲"であるが、彼等は日本に於いて信教の自由と言論の自由が認められる中で違憲を主張するというまさしく見当違いの会見なのである。

靖国神社と天皇陛下

2019-10-23 06:08:05 | 靖国

靖国神社の御神門にある十六葉八重表菊が公式に皇室の紋とされたのは、明治2年8月25日(1869年9月30日)の太政官布告第802号である。


靖国神社創建明治2年6月29日、 明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、10年後の明治12年に「靖國神社」と改称されている。

倒幕の招魂と皇室の万世不易神霊厳在(永久に変わらない)な鎮魂のニュアンスの違いから明治天皇によって靖國神社となり各地の招魂社も護国神社に改称されている。

つまり菊花紋章がある限り、日本が続く限り『万世不易神霊厳在』であるのだ。

したがって皇室が続く限り、日本が続く限り靖国神社は残り続けるのである。

上皇陛下が皇太子時代に参拝なさってから一度も御親拝が叶わなかったことは戦後の日本国民と共に護られた御存在であったことと昭和天皇からの
全国戦没者慰霊祭にその軸が動いたことによるためだろう。

天皇陛下の御親拝を再開するには今後自衛官を合祀するか全戦没者を合祀するかという非常に内面的な心の問題にまで発展する。

女性宮家や女系天皇が議題に登る皇統が危ぶまれる時代に日本、皇室、靖国神社の三者が一体となった時代を取り戻すことこそが我が国の進むべき道なのであろう。

野田洋二郎日の丸に物申す志葉令を斬る 今頃

2019-10-22 05:33:29 | 時事



『日の丸』

作詞:Yojiro Noda


風にたなびくあの旗に

古(いにしえ)よりはためく旗に

意味もなく懐かしくなり

こみ上げるこの気持ちはなに



胸に手をあて見上げれば

高鳴る血潮、誇り高く

この身体に流れゆくは

気高きこの御国の御霊



さぁいざゆかん

日出づる国の 御名の下に



どれだけ強き風吹けど

遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は

挫けなどしない



胸に優しき母の声

背中に強き父の教え

受け継がれし歴史を手に

恐れるものがあるだろうか



ひと時とて忘れやしない

帰るべきあなたのことを

たとえこの身が滅ぶとて

幾々千代に さぁ咲き誇れ



さぁいざゆかん

守るべきものが 今はある



どれだけ強き風吹けど

遥か高き波がくれど

僕らの沸(たぎ)る決意は

揺らぎなどしない



どれだけ強き風吹けど

遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は

挫(くじ)けなどしない



僕らの沸(たぎ)る決意は

揺らぎなどしない


謝罪文






ジャーナリスト志葉令のツイート

『貴方が暴力や戦争を嫌っていることくらい、これまでの歌聴いてりゃわかるよ。だけど、だからこそ、暴力や戦争に「愛国心」が常に利用されてきたことは、頭のいい貴方ならわからないはずないだろ。言い訳するな。思いっきり反省しろ。そしてまたやり直せ。』

『「愛国心を持って何が悪い」というコメントが結構多いのだが。国家(政府)と、アイデンティティーとしての風土と文化・社会・人々との関係とは異なるもの。国家=個人でもない。それを全部一緒くたにし、帰属と忠誠を強いるナショナリズム的な「愛国心」は、多様な価値観の否定や排外主義、』

『歴史修正主義や全体主義につながりがち。ネトウヨが政権批判に対し、すぐ「じゃあ、日本から出ていけ」と罵ることが象徴的だね。また、日の丸と先の侵略戦争との関係性を野田さんも知らないわけでもないだろうに、それで「みんなが一つになれる」と思い込むのは、無垢であると共に暴力的でもあるなと。』

『イラク戦争に参加した米兵達も、そのほとんどが「愛国者」だった。家族を愛し、隣人を愛し、国家のために尽くそうとしていた。でも、米国政府の喧伝する「愛国心」を何も疑わなかった結果、家族や仕事、自身の腕や足、あるいは最終的に自らの命をも失った』

『愛国心を包丁に例える人もいた。料理もできれば、人も殺せると。日の丸と先の侵略戦争との関係は深い。包丁でいうなら、それは人を刺した包丁であり、それを無批判に有難がることはやはりおかしいこと。国家ではなく人々のことを歌いたかったのなら、日の丸をテーマにすべきではなかった。』

『他方、パトリオティズムのように、国家に従属する「愛国心」ではなく、自由と民主主義の理想に基づいた「愛国心」の在り方もある(それはそれで時に危ういかもしれないのだが)。その様な文脈でも、やはり日の丸はその歴史的経緯から主題として不適格ではないか、と思う。』

『これまでの野田さんの表現に敬意を持っていた反動で、言葉が乱暴になった非礼はお詫びしたい。戦場ジャーナリストとして、「狭心症」のMVと歌詞は胸に来るものがあった。稀有な才能の持ち主であることは間違いないので、原点を忘れず頑張って下さい。』

『日の丸と先の侵略戦争との関係性を知らないわけでもないだろうに、それで「みんなが一つになれる」と思い込むのは、無垢であると共に暴力的でもあるなーと。悪気がないのだとしたら、よけいにタチが悪いかも。 』


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愛知県トリエンナーレの大村知事と津田大輔でラットイップスの日の丸を思い出したので今更だがこの問題を取り上げてみたい。

野田洋二郎と志葉令、この両者は基本的には似ているのかもしれないが、暴力を否定しているという点では野田氏の方が圧倒的に表現者としては優っているように感じる。

つまり志葉令は戦場ジャーナリストとして敢えて暴力の只中に、身を置いておりその感覚からであろうがあまりにも過敏になり、歴史認識が偏重していると言える。

それが最後の『日の丸と先の侵略戦争との関係性を知らないわけでもないだろうに』からも読み取れそれが志葉令の言論封殺にも思えるクレームの柱になっている。

志葉令も言っている【自由と民主主義の理想に基づいた「愛国心」】を野田氏は標準的にもっておりおそらく日本人の大半はこのタイプにカテゴライズされるのではないだろうか。

これを志葉令は時に危ういと言っているが、この否定こそ左翼に蔓延する共産主義思想の現れであり、全体主義へ繋がる危惧されるべき点である。

このように日本的なものへの攻撃こそ戦後のナショナリズム否定が生み出した歪な表現の自由なのだ。

特攻 1

2019-10-19 20:00:16 | 歴史


特別攻撃隊は文字どおりその生身の人間が飛行機、潜水挺、グライダー、魚雷と共に敵艦に体当りするものであり

前半が『決死』の攻撃であり生還方法が存在し、
後半が体当たりする『死』の作戦だ。

戦後になって「若者達を死に追いやった」「軍司令官上層部の責任だ」という完全否定論が大半を占めている。

果たして大半が主張するように完全な悲劇なのだろうか?

東條をはじめとする東京裁判で裁かれた者達の責任なのだろうか?結果のみを見て都合のいいように解釈しているのではないだろうか。

今になってこの特攻にもデマや捏造といった改ざんが認められるが、そこまでして戦後の彼らがなし得たかったものとは日本は悪い国だったということにつきるのではなかろうか。

必要に迫られ軍部のせいにして東京裁判を受け入れる。この事は自殺行為や無駄死にではなく、
小林よしのりの言う『究極のやせ我慢』でもない。

今になって特攻隊を美化するな、命令した奴等が悪いと批判的な人がほとんどであり、嵐の様な対空砲火の中戦果を上げる為に玉砕する事が善であったのだろう。

中央の命令でなく戦況悪化に伴う戦場の空気が自然発生的に特攻へ導いたのだ。

勝つ為に始めた戦いが1分1秒でも上陸をおくらせる為の抵抗となる。この戦況悪化こそが戦場の空気を産み出したのかもしれない。

敗戦を迎え日本がこれまでの経済成長をし、立ち直ったのは日本人の特攻の精神が脈々と受け継がれているからに他ならない。



ここに昭和天皇陛下の終戦の御製をご覧いただこう。

『爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも』

『身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて』

『国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり』

『外国(とつくに)と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただいのるなり』

昭和天皇陛下は明らかに敗戦責任としてその命と引き換えにさきの大戦を終結させた事が解る歌である。

特攻で陛下のために死に、
国民のために死のうとした陛下

日本人の心の根底にこの様な結び付きがあった。
この様な国が侵略戦争など始める筈がない。

敗戦した事は問題ではない、敗戦によりもたらされた占領政策が問題でありそれがいまだに足枷となっていることである。

改めて言う
止むに止まれず自存自衛の戦いであった。少なくとも日本人は惑わされる事なく全員がこう理解すべきなのである。

特攻 2

2019-10-19 08:04:55 | 歴史
もう一度特攻を考える。


特攻で死ぬのが解っていながら何故笑えるのか、
どうして捏造までされ貶められなければならないのか。

まずは私のアカウントに届いたツイッターのリプライをご覧いただきたい。


安芸の墓掘り人
@BurzumYutakaさんからの引用文

特攻作戦を批判するものは葉を見て森を見ていないものだ。

日本本土に近づくほど、日米軍の兵の消耗比が小さくなっていった。

南での戦いは数十人:1→ 硫黄島では1:1までになり、沖縄攻防がくる。

この流れで捉えねばならない。

それを踏まえると、神風特攻隊等のあらゆる特攻戦の

米軍からみればキチガイにみえる必死の戦いは、

米軍兵にとって恐怖であったろう。

日本兵は自らの命と引き換え米軍兵の命も奪おうというのだから。

この神風特攻隊をはじめとするあらゆる特攻戦の必死の戦いが、

ナチス・ドイツに対して行われた殲滅戦から日本を救ったのは紛れもなき事実だ。

アメリカから見れば、日本殲滅戦はリスク=米兵の消耗が高すぎると判断して不思議ではない。

結果は象徴天皇制を利用した占領統治である。

これが国を守るということだと思う。

日本は殲滅戦を免れた。これらが特攻作戦の重要な結果だ。

特攻作戦で散っていった若い兵士の思いは叶えられたのだ。“日本を、家族を守ること”

以上が安芸の墓掘り人さんからの投稿。



要するに特攻は日本にとってナンセンスや犬死にではない

象徴天皇と占領政策を受け入れることで

日本を日本人を守ることが出来たのだから特攻隊の目的は達成された。


私も同じように思う。


ですがこの占領政策が70年経とうとしている現在でも特攻は悲劇、犬死にだ、命令した軍上層部が悪い、少しでも肯定したり、称賛すると特攻を美化するな、『けしからん』という声があがる。

戦時中から生きるもの、遺族から言われては反論すら言い出せない。全て占領政策での東京裁判史観、自虐史観、戦勝国側からの史観で脳が処理していく。

日本軍が全て悪い、侵略と植民地支配した、従軍慰安婦だ、南京虐殺だ、これで日本は守られているのか?助かったと言えるのか?

特攻で死んでいった兵士
国を守る為に死んだ兵士
戦犯の汚名を着せられた軍人
英靈は浮かばれるのだろうか

終戦間近の先人達が命懸けで守った国と私達が哀れみの感情や軍部批判の眼差しで思うことを知ったらと考えてしまう。

一番望んでいるのは英雄視され感謝されることだとしか思えない。

それが敵国の歴史観では哀れみ蔑むことで強かった日本軍の復活を阻止するための力となり、支那、朝鮮、反日日本人の企み、運動となる。

さらに日本人の多くを蝕んでしまってその矛先を靖国、旧日本軍、特攻に向けようとする。

特攻の父とよばれた大西瀧治郎中将だが、

上からは特攻を指示するなと言われ板挟みの状態で最終的には彼の指示で敷島隊の特攻がはじまる。彼もまた被害者かもしれない。

その決断は各隊に本居宣長の歌「敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花」から敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と命名した事からも伺い知ることができる。

勝つ為のことは全て試すそれが例え人間爆弾でも
そんな時代、赤紙がおめでとうと渡されるそんな時代、八紘一宇、アジアの解放、特攻に憧れる、そんな時代が確かにあったのだ。



一方、反対派のドン【ナベツネ】だが、
『靖国で会おう、お国の為』と嘘八百といい、
『特攻隊はむりやりに飛行機におしこまれた場の羊』とまでいい放った。

特攻、軍部批判の最たる人が【ナベツネ】こと渡邉恒雄である。

赤紙で召集され戦争に加担しておきながら、上官に殴られて軍部、特攻、靖国を批判するなどはルサンチマン以外の何者でもない。

赤紙を拒否し非国民として逮捕されているものだけが批判できるのかもしれない。

軍部批判が世に蔓延している根本となっている。

中央公論 2006年10月号に掲載された、渡邉恒雄 のコラムを抜粋。

『世界の海軍にあって最も下劣で戦争犯罪組織と化した海軍をほかに知らない。』

『人間を物体としての兵器と化した軍部当事者の非人間性は、日本軍の名誉ではなく 汚辱だと思わざるを得ない』と言い切る。これを誰が否定しえようか。

〈俺が否定してやる。〉


◆ 非人間的特攻作戦
軍の非人間的作戦の中で、今でも許せないのは、特攻作戦である。学生時代、私たちが徴用されたのは、特攻機製造の鉄工場であった。そこで一個不良品を作れぱ、一人の徴兵された学生の命を救えると思って、鋳型に流し込む溶けた鉄の中に、ひそかに石ころを投げ込んだこともある。

◇〈お門違いも甚だしい、ひねくれた非国民ですね、これで事故が起こり死者が出たり、敵国に協力しているとは思わなかったのだろうか?
非人間的なのは貴方だ〉


◆ 誰が『特攻』を推進したのか
本格的航空特攻隊編制の命令を最初に出したのは、大西瀧治郎中将だと言われる。大西中将は、敗戦後自宅で割腹し、介錯を拒み、一五時間のたうち回って苦しみ死んだ。 しかし、彼は当初、非人間的特攻作戦に慎重であったようだ。彼は幕僚たちの提議したこの残虐非道な作戦を決するまで一年あまり躊躇し、実行にあたっては、『これは統率の外道である』と自認して語っている。また『特攻に狎れるな』とも述べており、この非道な作戦に心中抵抗があったことがわかる。とはいえ、ついにこの作戦を隊員に指示した時の訓話の内容は、超精神的皇国史観で貫かれ、理性のかけらもなかった。 人間そのものを兵器として使用する特攻作戦が立案されたのは、大西の決断する一年あまり前(四三年八月)のことで、推進者は海軍軍令部の黒島亀人第二部長、中沢佑作戦部長らであった
大西は彼らの進言を一年あまり抑えた。サイパンが陥落して敗戦が決定的になってから、ついに及川古志郎軍令部総長に提議した。及川大将は『涙を飲んで申し出を承認する。しかし、あくまで命令だけはしないでくれ』と語ったという。 この大西が主導し、軍令部が従ったとするのは、中沢が戦後語った責任回避のための作り話だという説もある。多数の青年将兵を特攻で殺した立案者の中沢は、戦後生き残り、講演などで特攻作戦は大西の決定であり、軍中央は考えていなかったと述べている。

一応、『志願』の形をとって実行した特攻の第一号は、フィリピン作戦での、関行男大尉の率いる特攻部隊であった。特攻を命じた上官に対し、関大尉は、『体当たりせずとも、爆撃で戦果をあげうる』と反論したが、結局命に服したという。関大尉もその功により、『軍神』とされ、二階級特進をした。 特攻隊の編制は、形式的には志願で始まったが、間接的強制、そして実質的な命令に進んだ。その結果、未来ある若い学生出身の下級将校たちが、肉弾となって意味もなく殺された。 特攻はあの戦争の美談ではなく、残虐な自爆強制の記録である。イスラム原理主義者の自爆は宗教上の妄信や、指導者のマインドコントロールによる自発的自爆だが、『特攻』はほとんどが実質的には『命令と強制』であった点で、イスラム・テロリストのケースとはまったく違う。 悪い意味で合理的な計算に立ち、こういう非道、外道の作戦を考え、実行した軍の参謀や司令官、さらには、人間を物体としての兵器と化した軍部当事者の非人間性は、日本軍の名誉ではなく 汚辱だと思わざるを得ない。
黒島亀人,中澤佑コンビは1944年8月人間魚雷回天を正式兵器化した。同年9月、徳山において基地整備隊員と錬成に着手。

海軍は関の特攻に先立ち1944年9月13日、大森仙太郎を特攻部長に任命。一元管理した。大西瀧治郎着任前に特攻隊名を決定している。
一般的には、特攻一号は関 行男大尉(兵学校出身者)を嚆矢とするが、関より4日早い10月21日に久納 好孚(くのう こうふ)第一次神風特別攻撃隊『大和隊』隊長として出撃未帰還となった。 彼は学徒兵で源田 實の意に叶わなかった。 少なくとも 学徒兵では"見せ金" としての値打ちがなかったのだ。

◇〈まず特攻の嘘についてだが、片道分の燃料しかなかった。

渡邉も主張している回天のハッチは内側から開けられない。

この決定的な嘘に不正確な情報をミックスしながら自分の主張に近付けていくのである。

大西の発案は事実だが上からの命令でなく、戦果の上がる作戦がなく、その雰囲気が自然発生するのを耐えて待っていた。

ナベツネの様な推測ではなく、当時、その時大西といた夜間爆撃の名手とまでいわれた美濃部正少佐が戦後残した言葉がある。

『戦後よく特攻戦法を批判する人がいるが、それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎない。当時の軍籍に身を置いた者にとって負けてよい戦法は論外である。

不可能を可能とすべき代案なきかぎり特攻もまたやむをえないと今でも思う。

戦いの厳しさはヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではない』

『ああいう愚かな作戦をなぜあみだしたか、私は今もそれを考えている』

とも語っている。その場にいないものが批判出来る程なま易しいものではなく、特攻したもは愛国心に満ち勇敢で崇高だったのだ。

久納だが関らと6人で出撃しているが、敵を発見出来ずに5人は帰還、久納だけが、特攻出来ない時はレイテ湾に行くと言っていたことから一人で第一号として特攻している。

このことが明るみに出てしまうと、片道分の燃料の話しが捏造であることがバレてしまうので、隠されているのが真相だ。


◆ 『桜花』特攻の発明者は
特攻作戦も初期には一定の“戦果”を上げたが、直ちに米軍も対抗策を強化した。特攻の標的
をとっていたから、特攻機は目標に近づく前に、次々に撃墜された。そこで費用対効果を考えて発案された究極の“新兵器”が、人間爆弾『桜花』と入間魚雷『回天』である。 『桜花』は、プロペラも脚もない人間爆弾そのものだ。『一式陸上攻撃機』を母機として吊るされて、出撃した。 前部に1200キログラムの炸薬が装填され、後部には三本の火薬ロケットが装備されている。小さな翼がついているが、人間一人が搭乗したこのグライダーのようなロケット滑空機は、もはや飛行機ではない。体当たり専用の人間爆弾である。目標に達する前に切り離し、母機は航空機節約のため帰還する。 しかし帰還能力がない人間ロケットたる桜花乗員は確実に死ぬ。さらに、通常積載量の二倍になる約二トンの重い子機『桜花』をぶら下げた母機『一式陸攻』は、飛行能力が低下するから、 目標に達する前に母機・子機もろとも撃墜された。55機が出撃し、 米艦に命中したのは2機だけで、ほかは全滅した。この“新兵器”も作戦上ほとんど何の効果もなかった。 敗戦直前のこの“新兵器”を『桜花』と名づけたのは、特攻推進者の一人、 源田 實中佐であって、桜花とともに死んだ特攻隊は『神雷隊』と呼ばれた。戦果としては、駆逐艦一隻撃沈しただけで、当初の目標だった空母や戦艦に対しては、 命中ゼロ。 『桜花』の命名者源田中佐は戦後生き残り、自衛隊の空幕長を経て、参議院議員として栄華を享受している。 この桜花特攻を発案し、上申し、実現させたのは、大田正一少尉であった。 大田は兵士上がりのノンキヤリアの下級将校でパイロットでもない技術士官であった。 彼は、このような無謀な『非人道的新兵器』を作った『功労者』として、当時の新聞には賞賛的に報道された(たとえば1945年5月31日付『北海道新聞』)。彼はまもなく中尉に昇進している。 このようにして、多数の若者を、生還絶対不可能な兵器によって殺した大田は、終戦直後、八月十八日に、茨城県の海軍神ノ池飛行場から、ゼロ式複座練習戦闘機で、鹿島灘の沖合に向け飛び立った。遺書まで残していた。 見た者は、桜花特攻推進の責任をとって、自爆すべく飛び立ったと思ったようだ。ところが、彼は反転北上した。金華山沖の洋上に着水し、北海道の漁船に救われ、 上陸した。にもかかわらず、彼は『航空殉職』とされ、一階級特進して『海軍大尉』となり。『戸籍抹消済』となっていたのである。 逃亡後、彼は、はじめは戦犯に指定されることを恐れ、さらに戸籍がないので定職につけず、各地を転々としながらも、二人の子供まで作っている。 対ソ密貿易をはじめ、闇屋のような商売を続けながら、一時、消息を絶ったが、実は1994年まで生き延びていた。 これが、あの戦争中の日本軍の野蛮な制度、組織、思想、道徳観の裏側の真実を示す適例である。 このことは、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う』上巻(文春文庫)にくわしく書かれている。また『大田少尉』の名は、『特攻』について書かれた複数の書に 『桜花』の発案者として明記されている。それにしても、徹底的に大田の戦後の行動を追跡した秦氏の執念には驚かされるし、 また学者として事実をここまで調査し、検証した秦氏の努力を賞賛したいと思う。 大田の行為は、非道徳的であり、追及されるべきは戦争責任というよりは、非人間的な戦争犯罪だと思う。大西中将は、責任をとって割腹した。大田は巧妙に逃げて生きながらえた。 『桜花』を発明、使用を推進した大田は、下級将校とはいえ、二十歳前後の若者を多数死地に追い込んだ。その責任は許されるものだろうか。彼の進言通り桜花特攻を承認し、 賞賛さえした軍の上層部も、この非人間的、犯罪的行為の共犯者というべきだ。 』回天』も同様な特攻兵器であったが、多くの『特攻』に関する書籍に詳述されているので、ここでは省く。

◇〈激しく太田少将を批判しているが、ただの発案者である、特攻機が打ち落とされる映像を見ればわかるが、プロペラ機の速度では敵艦までたどり着けない程の対空砲火だ。ジェット機は自然な流れの発案でありことさら非人道的なことではない。

琵琶湖に桜花のカタパルト発射基地が本土決戦のために作られたが終戦で使われることのないままとなった。回天も戦果が上がらずに蛟竜という魚雷潜水艦が大量生産されたが終戦で使われることはなかった。

もし、仮に本土決戦となっていれば、若き特攻隊員の命が更に失われた事だろう。しかしながら、そのおかげで国民の命も救われたはすである。このように只人間を虫けらのように無理矢理特攻させたのではなく他に有効な手段
戦果のあがる手段を模索していたのである。〉

◆ 天皇の戦争責任は
次に天皇の戦争責任について言っておきたい。 明治憲法上、天皇は無答責であったが、統帥権は天皇に直接帰属し、内閣の輔弼の対象外であった。 したがって、統帥の最高権力者として、法的形式的には天皇に責任があるとも言える。 しかし、歴史の実態から見て、天皇は外界から隔離されて宮中にあり、 内大臣を通じなければ自由に政府や軍の幹部にも会えなかったし、 謁見した政府が軍首脳も真実の状況を伝えることはほとんどなかったと思われる。それでも、 張作霖事件、二・二六事件では御決断の効果もあった。だが、昭和戦争のほとんどの局面に関しては、 正確な情報を知り得ず、限られた情報源から判断せざるを得なかったのではないか。 終戦時、近衛師団が皇居に乱入し、天皇を拉致、隔離し、また終戦詔勅の録音盤を暴力で奪取し、 降伏という天皇聖断を阻止しようとした。反乱軍のテロの恐怖は、天皇個人の側近に及んだ。事実、 鈴木首相の家は焼かれたし、8月15日未明、近衛師団の将校によって、 森赳近衛師団長は殺害されてしまったのだ。  昭和戦争の多くの局面で、天皇に国政を左右し、国運を決する判断と軍部に対する下命を求めることは、 不可能であった。率直に言って、昭和戦争の時代天皇には統帥の最高権力者としての能力は奪われ、 または保有し得なかったことは間違いない。したがって、昭和天皇の責任を間うのは、妥当性を欠くし、 一方、終戦と戦後の混乱を収束したその国民的人気と徳望と努力は十分評価される。 よって、我々の検証では天皇の戦争責任を闘わないこととした。

◇〈これは言語道断、たとえナベツネであっても口にしてはならない問題であると共に
民草の分際で調子にのるのもいい加減にしろ不敬である。〉