天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ウチナンチュとヤマトンチュの確執

2020-07-23 06:11:00 | 時事



私が何故ウチナンチュとヤマトンチュとの沖縄言葉を使うのかといえば、唯一あの戦争を日本軍と共に戦った県民であるからだ。

日本軍は離島防衛時に島民を非難、疎開させ被害が住民に及ばないような戦いを行なっていたが、沖縄だけはそれを島民が拒否した。正確には逃げずに戦う決断を下したということだ。

ご存知の通り沖縄は20年間アメリカの統治下にあった。

鉄の暴風とまで言われた艦砲射撃が特攻機が飛来した時だけは止み県民は避難、移動が許されたという話は沖縄が捨て石にされたという被害感情とは対極にあるエピソードである。

このように自ら戦った沖縄県民と本土決戦を経験しなかったヤマトンチュでは確執が生まれない筈はない。

基地問題に代表されているが、この温度差は2013年4月28日第二次安倍政権が戦後60年で行った主権回復の記念式典に対して沖縄から抗議街宣が来ていたことからもわかる。

また、沖縄の慰霊の日の首相スピーチに於いても安倍総理に対する野次は記憶に新しい。

以上のように20年の確執は単に期間だけではなく、共に戦ったという県民の自負が複雑に絡まってオール沖縄になっている。

つまり本土の保守活動の熱い想いをそのまま沖縄に持っていくことには少なからず無理が生じるのだ。

我々本土の保守は尖閣死守打倒中国のカラーが強いが、沖縄左翼は琉球独立、沖縄殖民地という言論も普通にあるということだ。

このような沖縄二紙と共産党が占める沖縄で我那覇真子さんのような本土製保守の活動、沖縄二紙を糺す県民国民の会などを立ち上げても孤立するのは目に見えている。

確かに我那覇さんの全国的な人気は保守派の救世主としては余りあるものであったに違いないが、どうやら沖縄では逆転していたようだ。

今回の我那覇グループの分裂は全国的な盛り上がりの保守活動を無批判に沖縄で展開したことによるアナフィラキシーのようなものかも知れない。

その意味ではチャンネル桜にも責任の一端はあり、ウポポイ祭りが開催されている今
沖縄での足踏みは単に危機感を増幅させるだけである。

左翼の牙城沖縄で保守活動を展開する
我那覇さんにはどうか一から始めて貰いたいと想う。

その為にはまず手登根さんと和解することが先決であると考えるが、あの父親がいては無理な相談かも知れない。

吉田清治の謝罪碑

2020-07-20 05:48:00 | まとめ・資料
故吉田清治が韓国中部天安(チョナン)に建立


日本人の謝罪碑
あなたは日本の侵略戦争のために徴用されて強制連行されて強制労働屈辱と苦難の中で家族を想い望郷の念も空しく尊い命をうばわれました。私は徴用と強制連行を指揮した日本人の一人として人道に反したその行為と精神を深く反省して謹んであなたに
謝罪いたします老齢の私は死後もあなたの霊の前に拝跪してあなたの許しを請い続けます           合掌

1983年12月15日

元労務報國會徴用隊長  吉田清治


追加された説明板






三浦春馬さんのご冥福をお祈りいたします

2020-07-18 20:03:00 | 時事


三浦春馬さんが30という若さで自死された
その原因を詮索することが今は不謹慎かもしれないが、彼の演技を永遠のゼロでしか知らない者として、その自死が特攻隊員の若さと極めて奇妙にも重なるのである。

詮索することが、どうか唯一の餞として受け入れられるのであればその不謹慎をお許し願いたい。





如何であろうか、『国力を高める』、『立ち直る』、『国民全員で紡ぎ出す』その遺言とも取れる言葉の一つ一つが特攻隊員と重なっている気がしてならない。

『永遠のゼロ』という彼等の世界とは対極にある作品、その中で日本アカデミー賞を取った彼、その作者である百田尚樹さんが日本国紀をこちら側でも批判され始め両側から叩かれる今、業界内で叩かれていた彼は百田さん以上に辛かったのであろう。

彼の若さ、その若さ故あまりにも純粋な日本に対する想いを国民全員で紡ぎ出すことに絶望する程そちらの世界はシビアで冷酷だったのかも知れない。

三島由紀夫が45で選ぶよりも15年も早く選んだその死を残された我々日本国民は一人一人が彼の想いを背負った時にそれは紡ぎ出されるのかもしれない。

慎んでご冥福を祈ります。

津田とろくでの表現の不自由の差異

2020-07-18 12:32:00 | 時事



ろくでなし子が3Dデータの件での有罪が確定した。写真や動画と変わらないとの判断だろうが当たり前である。
個人的には写真のTシャツのような絵も極めて猥褻で低俗だが、単にデフォルメすることで芸術性が僅かに認められ、めんどくさくなったのか、検察も控訴を断念したのだろう。

つまり、判決自体は妥当と言えるが、敗訴確定時の例の不当判決の文字をマスメディアに見せつける慣習はどうにかならないものかと冷ややかに観ている。

一方御真影を燃やす行為を芸術と強引に主張すれば逮捕も起訴もされないで、監督を辞めて責任の所在を知事に丸投げしのうのうと客員教授に落ち着いている。


公序良俗とは、公の秩序又は善良の風俗の略であり、これに反する法律行為無効とされる。

民法第90条「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。」

である。

まぁ、どっちもどっちである。