香港が緊迫した状態になってきている。
先日、無届デモが禁止され、違反者(デモ参加者)は最高懲役5年が課せられるとの発表があったが、今日(2019/8/31)、それを無視して大規模なデモと衝突が発生している。
ゲームストリーミング大手Twitchのチャットチャンネルでは、香港のライブ映像をみることができる。
この1か月余り、ときどきチェックしているのだが、状況が今ほんとうに緊迫してきているのがわかる。
どのような決着をみるのか見当がつかない。
ちなみに香港の一人当たり名目GDPは2014年に日本を超えて、以降、日本との差を広げている。
宿泊ホテルは豪華絢爛だし、それはそれは、魅力的な旅行を楽しんで来た記憶があります。
片や、旅行会社から“この地域へは絶対に行ってはいけない”と指示されていた中国貧民層が暮らす地域が存在していた事実も、鮮明に記憶しております。
香港が中国へ返還され中国の特別行政区と移行した20世紀末頃より、中国側と香港市民との争いが絶えなくなりました。
その頃より、香港への旅行に魅力を感じなくなった気もする私としましては、中国支配に反発している若者を応援したい気もするのですが…
間違っていたら申し訳ありませんが、原様が香港に行ったのはバブル前、まだ海外旅行が難しかった時代ではないでしょうか?九龍城砦があったころの香港をみておきたかったです。
故にもちろんの事、20代に香港へ行ったときはバブルよりずっと前の時期でした。
ただ大野先生、その時代には既に海外旅行は普通に行けましたよ。
それより前の19歳時に単身で米国UCバークレー本校University Extension に参加した事も、我がエッセイ集にて公開しております。
確かに今よりも海外へ出かける人は少なかったかもしれませんが、それ程めずらしいことでもなかったことを追記させて頂きます。
その後、HISなど格安航空券が一般的になって、海外旅行に学生でも気軽に行けるようになりましたが、1990年代初頭でもHISの事務所はサークルボックスのような感じで利用するのに不安を感じたことを覚えています。
こういう感じでとくにお金のない学生は、主に格安航空券(費用)の問題で、バブル以前は海外旅行が難しかったです。いまはこういう話を学生にしても、なかなか理解してもらえませんが。
1987年といいますと、私は既に30代前半期でしたが、その頃姉が住む米国西海岸を単身で頻繁に訪れていました。 航空機代金はさほど高くなかったように思います。特に米国で往復購入しますと、安価だった記憶があります。(姉に現地で買って送ってもらったりもしました。)
HISは昨夏の米国旅行時にホテル付航空券購入に利用しましたが、割安感はさほど無かった気がしました。
大野先生の場合、若き時代は長き学問修行が続いた事と想像します。
今時の学生とは学生の身で起業したりして、以外とリッチな人もいるのではないでしょうか??