妻と食事中、TVを見ていると、カネミ油症事件の、その後のことを放映していた。
私の中では、カネミ油症は過去のこととして存在し、全ての人々が救済されたように思っていた。 しかし画面に展開された事実は、悲しくもなんら解決されていない、被害者の姿であった。しかもそこには、世代を超えて存在し続ける、ダイオキシンの恐ろしさが存在した。PCBが高熱で化学変化を起こし、ダイオキシンとなり、世代を超えて影響し続ける恐ろしさ。その中で、自ら実名で活動する勇気を持たれた人々、思わず涙してしまった自分が其処にあった。ダイオキシンは、胎盤までもすり抜け、小さな命までも犯し続け、現在も被害者が増え続けている現状を見るにつけ、半減期を持たない化学物質や、自然鉱物の持つ毒性の、怖さにあらためて考えさせられた。そもそもPCBがもてはやされた一因は、電力業界に起因する。安定的科学的物質としてのPCBの利便性に、一番に取り付いたのは電力会社であった。変圧器の充填材として、大量に使用された。
しかし、魔法のような物質は、必ずどこかに牙を持ち、最後には人間を始めとする自然界に復讐してくる。PCBが高熱によってダイオキシンとなり、人体をも蝕むとは、だれも予想もしなっかた事であろう。枯葉剤としてのダイオキシンは、ベトナム戦争を思い起こす。それと同じ事が、日本の中に起きていた事に、衝撃を受けると共に、被害者の救済に今日まで、政治が取り組んで来なかったことに、憤りさえ覚える。アスベスト、PCB、今一度、過去の公害や、事件を洗い直し、未来に向けて我々が何をすべきか、考える必要がある。その中には、原発や過剰労働による疾病も当然含まれてしかるべきである。今こそ政治の力を、必要としている時は、無いのではなかろうか。我田引水の政治から脱却し、党派を超えて取り組んで貰いたいものである。