奥様のご要望で、散髪した「門被きの松」
「剪定すると余計に葉が茂るので、一年置いて切るべし」と主張してみたが、勝てるはずも無かったので、思い切って枝振りを変えるほどに切ってみた。
ところで、365という数字に昨日から引っかかり始めた。
子供の頃に、「365夜」という歌があった気がして、検索してみた。
「霧島 昇」の歌っている歌があった。近所の自動車修理工場の工員さんで、「ギターの弾き語り」をする人が居り、学校から帰るとよくその工場に遊びに行った。そこでよくこの歌を聴いた記憶がある。当時ラジオからも聞こえてきた曲だ。「365歩のマーチ」は、水前寺清子が歌って大ヒットした。それで思い出した。ミス・チルの歌で「365日」という歌があった。「365」で検索してみると、この三つが出てくるばかりで、ビックリしたのが、「ブログ」に「365」を使ってあるものが多い事だ。無数に存在しているらしい。一年は「365」日というが、「366」日の年もある事が、なんだかいけない事の様に思えてきた。
私の友人に2月29日生まれがいる。誕生日が4年に一回しかないと、冗談で嘆いていたが、あながち嘆きが判らぬでもない気がし始めた。やはり、一年に一度誕生日を迎えたい。
嘗て、「ローマ」の皇帝の我侭から、「変則的暦」に為ったそうであるが、考えてみると西暦もただ単に「キリスト」の誕生日が、分岐点であり便宜上使用されているに過ぎない。戦前日本は、「皇紀」を使用していた。おふくろが、「皇紀2600年」の時の話をしていた事を思い出した。確か私の生まれる5年前の事で、「東京オリンピック」が開催される予定であったのではなかろうか。日本国中で「提燈行列」がされて、今で言う「テーマ曲」が有ったらしい。歌ってもらった記憶があるが、歌詞は覚えていない。ただ「皇紀2600年」という言葉が入っていた事は確かだと思う。計算してみると、今年は「皇紀2672年」なのであろうか。
どうもこのまま右より政権が続くと、ある日突然に「皇紀」を使用すると言い出すのではないだろうか。「自衛隊」が「国防軍」に変わり、「西暦」が「皇紀」に為りはしないかと思う。
市役所窓口の、各種申請用紙の生年月日の欄は、十年前には西暦での記入が可能であったし、申請日も西暦での記入が出来たが、近頃その様な書式を見なくなった。「明・大・昭・平」とのみになり、これ等の上にあった、「西暦」の文字が無くなった。そこで近頃の若者は「西暦」での生年月日が認識できているのだろうかと、思い始めたが調べてみる方法が無い。
我々はいつの間にか、戦前の「皇国史観」の世界に、引きずり込まれつつあるのではなかろうか。
「皇室典範」見直しもその一環かもしれない。