本日は、小学一年生の孫のお供を仰せつかった。夏休みの自由研究で発表した作品が、なんだか表彰されるらしい。娘から電話で、孫の晴れ姿が見たいでしょうと、言い寄られると嫌とは言えないので、お供をすることにした。本日は試験勉強を徹夜ですることにしていたが、まあ骨休めも必要であろうと考えて、出かける事にした。
それにしても、体が悲鳴を上げている。昨日奥様のお供で、「夏櫨」の実を採りに出かけたが、今年の異常気候で、不作を通り過ぎ、疎らに実が付いている状態である。おそらく他の木の実が不作のため、鳥達が平素食さない実まで食しているのであろう。ヤマモモの実も、既に野鳥に食されている。イチョウの葉が未だに散らない状況の中で、このような現象を見るのは初めてである。落ちている団栗の実も、野鼠に食い散らされていて、人家近くに野生の動物が出没するはずである。
ただし、薩摩芋の出来は申し分ないそうで、友人が私の為に一畝残してくれているそうなので、近々出かけて収穫するつもりである。さすが飢饉対策に推奨された作物である。
今年は芋餡に凝っているので、今回は芋洋館を作るつもりでいるが、奥様のお気に召すかどうかが問題である。
芋餡は、牡丹餅を作る前に、奥様の抓み食いで無くなってしまったので、今回は一気に羊羹に、仕上げるつもりでいる。
お酒を止めた私としては、甘い物が唯一の楽しみみなってしまった。冷蔵庫の上のウイスキーは、料理に使う程度である。段々に人生の楽しみが減っていく様で寂しいが、今は命には換えられないので我慢するしか有るまい。しかし67年も生きてくれば、余り未練も無いのではあるが、いま少しこの世にとどまり、「アスベスト」被害者の救済に、少しでも力に成らなければ成らないので、瓶を眺めるだけにしておく事にしようと思う。
これが「中皮腫」の発症とか、「肺癌」を発症すれば、最後の楽しみとして、晩酌の復活をする計画で居る。そうなると、やはり「サントリー・レッド」の「コーク・ハイ」という事になるだろう。青春時代に「サントリー・バー」でよく飲んだ思い出の一品がよい。昭和40年前半時代の、思い出に浸りながら。