私がPCを触り始めてこの方、新品のPCを買ったのは一度だけだ。 ヤマダ電機でNECのデスクトップを買ったが、これが不運にも故障続き。 最後には怒鳴り込んでお金を返してもらった。 それ以来、PCは中古に限ると思い始めた。 人が使って問題なく動いていたものなのだから、動いて当たり前だ。 しかし、経年による傷みや、劣化はどうしようもない。 先ず痛む所 電源コード。 差し込み部分の付け根の線が、経年で切断することが有る。 すると、突然切れたり繋がったりする。 この解決方法は簡単で、古いPCを処分するとき、電源コードは残しておくことだ。 さて二番目は、これはなかなか判断が難しい。 ハードディスクが故障した時 起動しても暗転したり、時間が経つと繋がってみたりするが、此の処ハードディスクの故障は今は無いと考えて良い。 それだけ技術が進んで来たし、取り付け方法が進歩した。 その次に起こるのが、二年以上使って起こる故障だ。 大量の熱が発生する処は、冷却ファンが設置してあるが、そこに埃がたまり、熱を持ってしまいダウンする。 つまりPCを守るために、ダウンするように作られているのだ。 此のごみ取は、一年に一回はすべきだ。 さて最後の故障原因だが、メモリーカードの故障もしくは、取り付け状態の悪化だ。 メモリーカードの故障は、二枚の内一枚を外して、WIN10では、メモリーの診断ソフトを使い検査する。 一枚ずつやるのが正解で、今回購入したノートPCは、ダウンを繰り返していたが、これが原因だった。 一枚が不良品だったのだ。 購入先が対応してくれた。 当然のことだが、知っておきたい知識である。 さて二枚のメモリーカードを触ると、そこで発生していた、セット不良も自ずから治って来る。 実はこのセット不良が一番多い故障の原因なのだ。 手を滑らせて、机の上で転ばしたとか、片付け時に手荒な取り扱いをしたとかでも、セット不良は起きてくる。 ぜひとも、優しい取り扱いをしてほしい物だ。 そんなこんなで、ここまでの知識が有るれば、PCは中古品に限る。
一昔ならば、10月といえば「衣替え」と相場になっていた。 学生服を出して来て、襟章やカラーを取り付けたものだが、この暑さだけにそんな気が起こらないだろうと察している。 いかにせん、気温30℃。 キチガイみたいな気温である。 窓の外はそれよりも二℃以上は高いだろう。 私の子供の頃は、先の九日(くんち、十月九日) と言えば、秋祭りの始まり日であった。 中の九日(十月十九日)、後の九日(十月二十九日)と各神社が、秋祭りが重ならない様に祭礼を行っていたが、先の九日でも、朝晩は冷え込んだものである。 しかし昨夜もそうだったが、窓を開けたまま寝ないと暑くて眠れない状態だった。 熱帯夜が、十月まで続くとは予想もしなかったが、・・・・。 こんな状態では、小学校の運動会などは、もっと先の日にちにすべきだと思えてくる。 そう言えば、子供の頃の学校行事で「農繁期」という休みが有ったが、近頃は聞かなくなった。 一昔前は、子供も労働力の一部だった名残であったが、日本的文化として残すべきではなかったろうか。 そう言えば、町場には「農繁期」の休日は無かった。 授業日数等そんなに厳しく言わなかった気がする。 近頃は、授業時間の調整で、夏休みの短縮や、休日登校など行っているようだが、本当に必要なのだろうか疑問に思って居る。 こうした気候が続くのならば、短期間の春休みと、二か月間の夏休みとして、二学期制にすべきでは無いのだろうか。 寒さで勉強はできない事は無い。 ストーブが有る。 しかし暑さは、登下校を考えると控えるべきだろう。 昔、「時代が変わった、紅茶にソネット」というコマーシャルが有ったが、時代は変わったのだ。 いな、気候が変わったのだから。
外が騒がしい。 雀がお目覚めである。 我が家の前の電柱の腕木の中に、巣が構えられていて、家族が増えたようだ。 朝早くから騒がしいこと。
この電柱が安全だと見極めての巣作りなのだろう。 電柱の上は4~5羽の雀が騒いでいる。 この電柱はハシブトガラスがよく止まるので、雀が巣掛をしなかったが、どう折り合いがついたのか雀が居ついたようだ。 カラスは見かけより獰猛である。 野良猫の子供などわが餌くらいにしか考えていない。 ましてや、雀の子は「お八つ」。 心配していたが昨日巣立った。 その親子が姦しく朝の挨拶をかわし、餌探しに出発なされた。 いましばらくすると、ハシブトガラスが朝の挨拶にやってくるはずだ。 挨拶というより、揶揄いに遣って来るのだが、隣家の屋根からわが部屋をのぞいて鳴き散らかすのだ。 カメラでその状況を映そうと準備していると、一瞬のうちに隣の通りの電柱へと行ってしまう。 そのころから私の脳は動き始めてくる。 私の朝の目覚めだ。
十二時半、昼間ではありません。 深夜です。 目が覚めた。 一階で音がしている。 奥様がまたまた、お勉強を始められたようだ。 今回は「中村 はじめ」の著書に取りつかれているらしい。 私の顔を見るたびに、その感激した話をしてくる。 今降りると必ずや捕まるので、捕まった時の言葉を考えた。 「東大へでも進学されますか?」とやれば、話は腰折れで止まるだろうと思いながら階段を下りて行った。 ポットの水がなくなっていたのだ。 降りていくと、何かに取りつかれたような状態で、私に気付かない。 「東大へでも進学されますか?」と声を掛けたらびっくりして飛び上がった。 それ程、集中して本をお読みだった。 其の後、やっぱり始まった。 同じことをまたまた語り始めた。 こちらも慣れてきて相槌も手馴れてきた。 その話とは、中国の故事についての話なのだが、弓矢を習得すべく弟子入りした若者の話なのだが、かなり有名な話で私も知っていたが、奥様はさも感動したごとくお話になる。 私が進学した学校は、元藩校で儒教の校訓が講堂に掲げられているくらいだから、漢文の時間にはいろいろ故事についてのものを学んでいる。 一点集中や無我になる、漱石の名前の由来…等々みな常識の範疇なのだが、奥様の場合は公立高校なのでそうもないから、古希を迎えての読書が、さも新しいがごとく状態であるのだろうと思われる。 奥様、今や「無我夢中」で本をお読みだ。