藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

遅々として進まず

2019-10-27 14:48:21 | 日記・エッセイ・コラム

 本日は昼飯もそこそこに、西遊記を左手に、右手にキーボード。 先ずは曼荼羅をプリントアウト。 登場人物と、いわく付きの道具などをワードに打ち込んでいる。 そこに出来るだけ説明文章を付けているが、この文章が不思議と、我が広島の別院で監修されたものが、飲み込める気がしている。 これもまた、如来様のご計画なのだろうかなどと、思いながら読んでいる。 その所為で、読むことは捗らない。 三蔵法師が西方に旅する起因が、菩薩にあったとは・・・。 全てこの社会が菩薩を中心にその御心で回っている・・・・。 悟りを開くにはまだ早すぎだが、そんなこんなでなかなか前へ進まない。 時間は十分以上あるから、焦ることは無かろうとは思うが、我寿命は残り少ない‥…。   こりゃー駄目だ。悟りが開けてはいない様だ。

           

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お頭(かしら)がストライキ

2019-10-27 08:10:39 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝三時から未だにお頭(かしら)がストライキ。 朝食のコーヒー位では、動き始めない本日頭だ。 オマケに今日は、氏神様のお祭りだが、昨夜は風向きの加減か、笛や太鼓の音が聞こえて来なかった。 秋祭りと言っても、実感が湧かない。 頭を垂れる稲穂の姿が、ほとんど見かけられ無くなったからだろうか。 私が子供も頃は、学校も、余頃の日は、半ドン、当日は休みだった。 広島では、十月の九の付く日が、秋祭りで、九日が「先のくんち」十九日が「中のくんち」二十九日を「後のくんち」と、呼び習わしていて、各町で祭りがかち合わない様にされていた。 嘗ての広島は、漁師町と百姓町が一つ置きに存在する感じで、同じ日に祭りが行われると、気性の激しい漁師町の若者が暴れたので、時の奉行様が割り当てたという説が有ったが、その説の真贋は定かではない。 ここ可部の街も、厳島神社と、明神社が交互に存在している。 嘗ては、太田川の川漁師と、農業者が字単位で存在していた。 今午前八時、一斉に打ち上げ花火が鳴り始め、町内の子供神輿も笛と太鼓を鳴らし始めた。と言っても、子供の数は最盛期の六分の一、十人に満たない数だ。なんだか日本の将来を予言しているような風景である。

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする