作者は南蛮紅毛のキリシタン文化に大いに興味をそそられていた。
新村出は『広辞苑』で有名だが、キリシタン文化の研究者としても知られ、澄生はその種の本も読んでいたようだ。
澄生の詩「はらいそ」(天国)などに見られるように、彼は古いキリシタン文学に見られる用語にも精通していた。「びるぜん」(処女)などもそうしたポルトガル語に由来する重要語だ。新村などの本から学んでいたのかもしれない。
しかし、新村の『南蛮更紗』にある「雪のサンタマリヤ」と澄生の絵本『雪のさんたまりや』とは、六月に雪が降るという以外、彼の絵本におけるストリー展開に直接は関係なさそうだ。
少なくとも澄生の『雪のさんたまりや』の破天荒なモティーフは、新村のこの本からは汲みだせない。
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大天使の蝶がマリアの口から入って処女懐胎させるというモティーフとか、マリアに焦がれ死にした「呂そんのおう」が天上で彼女と結婚するという結末は、西洋のキリスト教文化からは全く容認できない内容だろうし、異端の烙印を押されてしまうだろうが、これらは、最も想像力溢れたイメージとなっている部分とも言える。
牛と馬が幼子を凍え死にさせないように両方から息をはきかけて温めたというのも、キリスト教正典には見られない感動的な細部である。
だが、私はこの主題が澄生自身の文学的な想像力によるものか、何か典拠があるものなのかよく分からなかった。
調べていくと、これらは何と隠れキリシタンに伝えられた『天地始之事』に典拠を持っていることが分かった。
真夏に雪が降るという伝説は、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会(下図写真、筆者撮影)の伝説に由来するが、これが変形し、日本の「隠れキリシタンの聖書」に取り入れられたのだろうか。
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ちなみに、『天地始之事』には、かぐや姫の伝説が、聖母マリアの伝説と融合しているような部分もある。
きわめて短い絵本だが、いろいろ文化的な含蓄が深い。
正統的なキリスト教解釈でなく、命をかけた隠れキリシタンのヒューマンな伝承にこそ心動かされた澄生の姿勢がよくわかる。