小此木政夫慶應大名誉教授は今日の毎日新聞で今回の米中首脳会談で「軍事的な選択肢は遠のいた」と述べている。「今年末までの間に北朝鮮が一方的に国家核武力建設の完成を宣言して、核・ミサイル実験と米韓合同軍事演習の同時凍結を呼びかける可能性がある。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 11:13
小此木名誉教授は言う。「今回の米中会談の結果、先制攻撃の是非が議論の焦点になるような危機的な状態は回避されるだろう。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 11:16
清水有香毎日新聞記者が今日の新聞で書いている。「山下教授は知らないことの価値にも言及する。『(美術作品を)初めて見る機会は1回きり。いちど見たら、もう知らない状態には戻れない。だから初めて出会う場を大切にしてほしい。知識は実感を裏付けるために後で蓄えればいいのです。』」
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 11:51
清水有香記者は書いている。「そもそも国宝の概念は…お雇い外国人だったフェノロサらが提唱した。「国」宝といえど、国外で作られたものも少なくない。約1割がそれに該当し、中国産が大部分を占める。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 12:00
「初めて見る機会は一生に1度だけ。」確かにそうだ。だが、それは国宝クラスの美術作品だけではない。すべてのものがそうなのだ。道ばたの石であっても、たとえ同じ物であっても、同じ人であっても、初めて見る機会は一生に1度だけなのだ。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 12:11
清水記者は書いている。「芸術に向き合う時、斜に構えた玄人的な見方をするのではなく、無邪気かつ素直に見る『はだかの目の正しさ』を太郎は唱えた。」
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 12:43
確かに斜に構えた玄人とか専門家はいたなぁ。斜に構えないと人から玄人とか専門家とか思われないと思っていたのかな。
大九明子(おおくあきこ)さん、「勝手にふるえてろ」で東京国際映画祭観客賞。「自分の中でくすぶっていた、かわいそうな女の子をやっと成仏させられた」と今日の新聞。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 13:53
交渉と取引(ディール)
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 15:09
「トランプ氏は成果を上げるのに時間のかかる「交渉」よりも短期的な「ディール」を優先させた」(今日の新聞から)
「イチタン」はGPSとは違うが、容疑者のアパートから約20メートルしか離れていない三軒隣のマンションの屋上に配置されていた携帯電話基地局から電波を受信していたという。座間署の捜索範囲には現場アパートも含まれていたが、発見には至らなかったという。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 15:24
座間の事件、イチタン情報と絡めて異様な腐臭などから、もっと早く容疑者のアパートを割り出せなかったのだろうか?
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 15:30
生きていくのが辛い、しんどいというのは、死んでしまいたいということではない。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 15:46
まだ言葉が未熟で、それを「死んでしまいたい」とか「死にたい」と言ってしまうことはあるかもしれない。また、自分でもそう思い込んでしまうかもしれない。だが、本当はだれも死にたくなんかなかったはずだ。
核時代に「国際紛争解決の手段としての戦争」などもはやありえない。そこにあるのは大量殺人と民族相互の滅亡とヒトという種による地球環境の破壊だ。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 17:43
「初めて見る機会は一生に1度だけ。」確かにそうだ。だが、それは国宝クラスの美術品だけではない。すべてのものがそうだ。美術品でなくとも、野の花でも、水辺の小石でも初めて見る機会は一生に1度だけなのだ。もちろん人でも、その同じ人でも、すべて初めて出会うのだ。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 17:57
座間の事件、容疑者の特異な心理を分析することも重要かもしれないが、若い被害者たちが死んでしまいたい、死にたいとまで思うに至った現代日本の社会的状況を抉り出すことの方がより大切だ。被害者は「自殺志願者」などでなく、社会の片隅でやむ無く死に追いやられたのではないか。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 18:54
座間の事件、「自殺志願者」とSNSという視点から批評家たちがTVなどで論じているが、被害者たちは社会の片隅で死に追いやられた人たちであって、最初から自殺の願望者や志願者などではなかったと思う。
— Riki68 (@tikarato) 2017年11月10日 - 19:40