標記本、春の部の図(ブログ画像は『小川芋銭全作品集 挿絵編』より引用)には「はるあさし」の賛がある。男がしゃがみ込んで焚き火に手をかざしている単純な図である。そばにある木は未だまったく芽吹いていない。
この図があるページには「陽炎に我麦のびよのびよかな」の句が添えられている。
さて、題目ではこの図は「丈草句意」となっているが、そう言われても「ああそうか、なるほど」と直ちに合点が行くような作品ではなさそうである。
私には、この図のどこが「丈草句意」なのかと、謎かけられたような思いだった。
そもそも「陽炎に我麦のびよのびよかな」の句は、丈草の句なのか、芋銭の句なのか、それすら私には分からなかった。が、これは芋銭の俳句集に収められているから、丈草でなく、おそらく芋銭の句のようだ。
だが、なぜここに「我麦」と出てくるのだ。この図のどこにも麦など描かれていない。そして、この芋銭の句が「丈草句意」とどう関係があるというのだ。
「うづくまる薬缶の下の寒さかな」
という丈草の有名な句があるが、『草汁漫画』の図と呼応するのは「うづくまる」と「寒さ」だけだろう、などと迷い、何度も図を眺めてみる。
そして、ハッとした。この男、焚き火で燃やしているのは何なのだろう。
すると、そこには棒に紐が付いているようなものが転がっている。これは案山子が身につけていたものではなかろうか。そこに焚かれているものも…
そう思うと、ますますそのように見えてくるものだが、この直観は間違いないとの確信を得られるのではなかろうか。
実際、芋銭は『草汁漫画』の中に「ストライキ案山子物語」という短文を載せており、そこでは、焚き火にされる案山子の話が出てくる。
しかも、芋銭はそれに関連した「案山子最期丈草発句ノ事」という図も『草汁漫画』129ページに描いていた。
それは、丈草の句「水風呂の下や案山子の身の終わり」を示唆して描いた図と思われる。俳人と思しき人物が、野外で屈み込み、ぼうぼうに燃やされている案山子の前で手を合わせている図。
ここで、問題の「丈草句意」の図と、「案山子最期丈草発句ノ事」の基本的な図像の構成が重なることにあらためて気づく。
こうした事実から「丈草句意」の中で火にくべられているのは、やはり役割を果たした案山子であることがきわめて濃厚になってくる。
先に述べた紐が付いた竹棒のようなものは、おそらく案山子が持っていた弓ではないだろうか。
それなら、次に、その図に添えられた芋銭の句「陽炎に我麦のびよのびよかな」は、この図とどう関連するのか。
実はこの関連こそ、火にくべられて燃やされているものが、案山子であることを決定的に証するものだ。
なぜなら「我麦のびよのびよ」と言っているのは、案山子が案山子としての役割を終えて、己が身が焚かれて肥料になるからである。してみると、「我麦」の我とは、農夫その人であってもよいが、それよりも、まさに案山子自身であり、「我麦のびよのびよ」と祈っている、あるいは焚かれながら、声なき声で叫んでいると考えてもよい。
芋銭の「ストライキ案山子物語」にはこんな台詞も出てくる。
「外の案山子の見せしめにヒッ括りて焚火にし、麦の肥料にして呉れんと」。
案山子、焚火、麦、肥料などのすべての言葉がここに繋がるのだ。
案山子の最期は、芋銭の句において焚かれて麦の肥料となる。丈草の句でも水風呂のエネルギーとなる。これが「丈草句意」の図の全体的な意味内容だろう。
かくして、そこに添えられた芋銭のまだまだ寒い春先の句、「陽炎に我麦のびよのびよかな」がこの図と深く関連していることが完全に理解できるものとなる。