中村彝とマネとの関連はこれまであまり言及されることはなかった。それは彝が、ルノワールやセザンヌへの傾倒を書簡などで盛んに述べるのに比べて、マネについては、ほとんど語っていないからかもしれない。
彝がマネについて語っているのは、例えば、大正9年5月17日の洲崎宛書簡があるが、ここでは、5月という季節を語る文脈の中に於いてである。
「マネが『モネの家庭』を描いたのも、ルノワールが『リーズ』や『ムランドラガレット』を描いたのも、屹度今頃だらうと思われます。」
マネがモネの家族を描いた作品は確かにある。それは、1874年頃、マネがアルジャントゥイユのモネの家を訪れた時の絵を指しているのだろう。
いずれにせよ、彝はマネのそうした作品を画集か美術雑誌などで見て、その解説文を読んで知ったのだろう。あるいは印象派関連の歴史本などから知ったのかもしれない。
彝はマネについても、そのくらいの伝記的事実がきちんと頭に入っており、いつでも友人への手紙などでそれを引き出せるくらい知識を持っていたことが分かる。
彝の作品にはマネの構図や主題、モティーフ、その素早い筆触を思わせる作品もある。
俊子を描いた未完成の横長の作品(メナード美術館蔵)などは、まさにマネの「オランピア」における背景の構図や、ニーナ・ド・カリアスを描いた「団扇と婦人」における衣装の黒い色や女性モデルのポーズを想起させるものがある。
また、彝はマネの最晩年のみずみずしい静物画の絵などもきっと画集で見て、知っていたに違いない。
例えば透明なクリスタルガラスの花瓶に入った花の絵(数点ある)に見られる素早い筆触の作品に彝が魅了されていたと想像するのは実に楽しい。
マネが描いた各種ガラスの酒瓶の表現や、花の静物画における素早い筆触で捉えた新鮮な水と植物と光の表現には格別なものがある。
彝の静物画にもこうしたマネの作品の影響を示すものがあるとすれば面白い。