(国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
上記の引用画像に見られる芋銭の短文、いったい何を言おうとしているのか、私にはよく解らないものだった。
秋の部における短文「トロイ合戦」と「あかき名はちりてもたかし」の賛のある次の頁の図との関連は、明確に読み解けたが、短文「小春の午後」と次の頁の2図「柿の秋」と「虫に鳥にも」との関連性は非常に謎が多い。
もし、「小春の午後」と次の図に関連があるとすれば「柿の秋」の図だろう。
なぜなら、この短文に「柿の収穫に招かれたる愛らしき客人」なる言葉が見出されるからである。
ところが、そう思ってこの短文を読んでいくと、ますます「柿の秋」の図との関連性の謎が深まっていくばかりだ。
何しろこの図と短文との関連性は「柿の秋」というタイトルと「柿の収穫」という語以外ほとんど見当たらないからだ。
(「柿の秋」(上)と「虫に鳥にも」(下)、画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
「柿の秋」の図の上方に書いてある2文字は、右から「秋旼」とも読めるかもしれない。
だが、短文に見られる「柿の収穫」との関連からではないが、私は「秋収」と読んでいる。「春耕」に対する「秋収」である。
「春耕」は、春の部にその図があるので、その対比語の図があってもおかしくない。
「秋」の字は禾と火が、反対に位置して「秌」となっているが、このように書くのはそれほど珍しくないし、芋銭は他でもこう書いている。
「収」の字は、旧字体の旁では「收」で、偏は異字体で「将」の偏、またはその旧字体の「將」の偏が使われることがあるから、画像の2文字は「秌收」と読めるのである。
「秋旼」にも読めるが、それにしては日偏の第2画が長すぎないか。
「秋旼」、これは、秋の空を意味する言葉だ。ところが、図を見ると農家の屋根に満月を思わせる円が描かれ、その中におそらく柿の木とそれに登る猿、そしてその尻尾をハサミではさんでいる蟹が描かれている。
柿の収穫を狙った猿、それを阻止しようとする蟹のモティーフは、明らかに猿蟹合戦の物語から採られたものだろう。
ただし、屋根の上の蟹はここから独立して、王羲之の屋根の上の鵞鳥とともに、『草汁漫画』のシンボル的モティーフとなっている。これに加えて柿の木の天辺で弓を弾く案山子。
その証拠が、この本の表紙にあるこれらを合わせた図である。
さて、猿蟹合戦に由来する蟹に戻るが、実際、これを裏付ける芋銭の別な図もある。
が、この『草汁漫画』の「望の月」の上下2図のうち、上の図にも柿の木を挟んで蟹と猿とが対峙する図がある。
これらはいずれも蟹と猿とが影絵のようにシルエットで表現されており、物語の筋書とは異なるかも知れないが、連続して見ていくと、あたかも月夜に柿を盗みに来た猿とそれを阻止する蟹の時間展開が追える構成となる。
とすれば、「柿の秋」図は、藁葺き屋根の上方に満月が出ており、その中に猿蟹の対決の影絵が見られるものだから、2文字は秋の昼の空を意味する「秋旼」より、むしろ「秌收(秋収)」と読む方がよいのではないか。
ここでは直接的には柿の収穫の意味である。
しかし「柿の秋」と短文「小春の午後」をあえて関連付けると、そこに「午餉の後、柿の收穫に招かれたる愛らしき客人」とあるから、これは明らかに秋の昼下がりの光景だとも思われよう。
すると、文字の読み方ではなく、図として描かれているのは「秋旼」でもよいことになる。
けれども、猿が「愛らしき客人」というのはやはり引っ掛かりがある。
しかも、この短文を読んでいくと、この客人はどうも複数いるようだ。
柿の種をくれた意地悪な一匹の猿ではないし、猿という語も出てこない。
さらに、蟹に相当する者が、この短文には全く登場していないのだ。
ここに言及されるのは、いつのまにか「塒につきし尻尾おかしき雄鶏」と、雌鶏7羽、雛16羽だ。
それに突如、小蝶、「拙き農夫」が登場する。
そして、この農夫はなぜか「妻の怒りよりひそかにバーンスが悔い」に恥じている。
その「バーンスが悔い」とは何だろう。
このような登場者たちがいる短文なのだが、全体を通した意味の関連性をつかむのはかなり難しい。少なくとも私には難しかった。
芋銭はこの短文でいったい何を言おうとしているのだろうか。