永平寺まで、この先10㎞くらいだろうか、途中市街地の踏切で渋滞していたので迂回して田園を抜け、ここ山道を走っている。
港ホテルの朝食バイキングは、和洋とも種類が多くゆっくり頂いていると、窓の下に見えるサッカー場の話やアギーレ監督の話でスタッフと盛り上がり、気が付くと8時半。
予定より遅れたついでに、勧められた直ぐ近くの道の駅へ。
9時開店、開店と同時に地元の人が大勢入店・・・最近道の駅は地産の食材が人気で繁盛し、観光スポットにもなっている。
ここで1時間も散策してしまい、3時半京都の某ホテルチェックINが危なくなってきた。
さて、その後順調に小雨の中、永平寺街中に入ってきました。
もうすぐ左折して、永平寺の近くのお土産屋さんの駐車場を目指す。
この左側にある駐車場に車を入れ、道路が右カーブしているので、この石碑の右隣が参道になる。
この先に・・・暗闇の中ライトに照らされた鐘楼、周りは雪景色、静かに腕が振られると・・・氷点下の空気を震わせるる鐘の音が心地よく共鳴して脳に響いた・・・永平寺に参拝できる。
山岳信仰をイメージしていたので、このようななだらかな坂道の先に永平寺があるのだろうか?
・・・いや、創建当時の鎌倉時代は山の中だったのでしょう。 多くの寺院と同様、多分江戸時代中期以降に旅行ブームが起こり、門前町が開けて身近になったのでしょうか。
参道を進むとすぐ 左に
すぐ右は
100mも進んだろうか、途中左側に階段、門の右側に「大本山永平寺」、左側に「参拝者入口」の看板が掛かっている。
永平寺に修行僧として門をたたく場合は、この先に山門があり、そちらで門をたたくことになるようです。
案内板を見てみましょう。
では、階段を上りこの通用門の左側窓口で参拝料を払って参拝しましょう。
通用門を抜けると香炉が置かれていた。
この先の建物は吉祥閣、ここで下足を脱ぎ案内係に従って右奥の一室に進むと、若い僧侶が説明されていました。
窓口で頂いたパンフレットの参拝順路に沿って左側通行で進みます。
参拝順路と七堂伽藍(シチドウガラン)は、
このようになります。廊下、建物の外には出ないように説明がありました。
畳の間に座って静かに境内の順路や注意事項などを聞き終えると、同席した我々一団は右側から誘導され
階段を上り、隣の傘松閣(サンショウカク)2階の大広間に案内されました。
パンフレットの案内によると、この建物は平成6年(1994年)に改築された鉄筋コンクリートの2階建てになります。
1階は参拝者の控室、この2階が156畳敷きの大広間で、昭和5年(1930年)建築当時の天井絵をそのまま修復した、別名「絵天井の大広間」があります。
・・・格子状の中に花鳥図がはめ込まれて(230枚もあるそうで)昭和5年当時の著名な画家144名の作品。
大広間の正面には達磨大師の絵がかかっていました。
達磨大師と禅宗の関係は?
・・・達磨大師は、約1500年前インドから中国 崇山少林寺に入り、山奥の洞窟で9年間も座禅修行をされ、中国に禅宗を広められた方でした。
少林寺は武術が有名ですが、内なる気、外なる骨・筋肉を鍛えますが、座禅中心の修行のようです。
この日本でも達磨大師は人気があり、高崎だるま、少林山達磨寺も観光地となっています。
ここ永平寺は、1244年道元禅師(ドウゲンゼンジ)によって開かれた座禅修行の道場です。
この先の僧堂(ソウドウ)が修行僧の根本道場で座禅・食事・就寝などが行われます。(パンフレットによる)
・・・座禅も一時期関心があったが、「禅=悟り」・・悟りを目標において悟りたい、悟りたいとするのは「待悟禅」といい間違いで、
修行そのものが悟りで、悟ったら修行が終わりでなく、常に修行を続けることが大切・・・、ここ永平寺は作法も厳格なようです。
僧堂前の廊下から中庭を眺めると、傾斜地に仏殿が見えます。
そして直ぐ近くでは、除夜の鐘、鐘楼堂の鐘ではありませんが・・・
左側には、承陽殿に続く承陽門が見え
廊下を進み
傾斜が
厳冬の中、暖の無い廊下を上り下りされて、厳しい修行が続く・・・NHKのTVで見たことがありますが、そんな季節に修行僧を受け入れておられるようです。
・・・三泊四日の日程で参加できる一般向けの参禅があります。心身を鍛える必要はありますが・・・
(後半に・・・)
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