気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

旧約聖書の時代・ユダヤ教の誕生まで

2011-06-26 | 旅行記

前回のブログ、斜体などの書体が混在して読みにくく、失礼しました。差し替えます。

聖書をざっと読んでみると、父方の家系図の説明が多く、また場所名と人名が多いので疲れます。

しかし、具体的な描写が多く、残虐な場面が数多く出てきます。目の玉をえぐり取るなどなど。

旧約聖書のエステル記を読んでみました。思ったより短編でした。映画にもなっているようです。

旧約聖書の多くのエピソードは、大半が絵画になり映画にもなっています。

Photo_2

欧米の社会は教会が身近にあり、旧約聖書の物語は小さいときから読んで聞かされたことでしょう。

神話の世界の物語が多くの映画になっているのは、ユダヤ人が金融・映画・マスコミ業界に多く、彼らはユダヤ民族の優秀さをPRする必要もあったでしょう。

歴史に興味があっても、多少理解ができるのは1500年以降かなぁー

それより昔になると、エー、本当?、実際にあったの?となってしまう。

想像力が働かないのだ・・・

聖書を開いたついでに、改めて世界史とキリスト教をほんの少し勉強している最中です。

下記は、備忘録です。

 注目すべきは、メソポタミア(二つの川の間の土地という意味・ティグリスとユーフラテス川)

で農業の進歩があり、灌漑(カンガイ)農業により農作物の生産性が飛躍的に向上した時代。

その結果、集落も定着する。紀元前3500年頃から急激に人口が増加している。

社会の役割も、神官、武人(貴族)、平民、奴隷と階級もできてくる。

神官、武人などは直接食料生産にかかわっていないから、平民に献納を強制する。

これが税になり、これらを記録する必要から文字が生まれたとされる。

聖書の創世記の物語に感心していたが、エーほんと?と人類の歴史を再確認したくなる。

地球に人類が出現したのは、150~200万年前?

ジャワ原人・北京原人、・・・ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、・・・

8万年前頃、現人類がアフリカ・ケニア付近から世界中に移動し始める。

1万年前頃、推定世界人口:約500万人。・・・日本で土器が造られる。

 メソポタミアと並んで、エジプトにも早くから文明が栄えていた。

 紀元前30世紀頃、エジプト第一王朝(メスナ王)が成立。

 紀元前26世紀頃、現在のパキスタン北部付近でインダス文明が始まる。

 紀元前2589年、エジプトでクフ王誕生。

  ギザの3大ピラミッドで一番大きい、クフ王のピラミッド建造。

 紀元前2530年頃、エジプトでカフラー王のピラミッド建造。

  ギザで2番目に大きい、この頃スフィンクスも建造される。

さて、旧約聖書のユダヤ人

旧約聖書には、紀元前20世紀から約2000年間の出来事として書かれている。

①紀元前19世紀頃、ヘブライ人族長アブラハムは、神(ヤハウェ)のお告げで、メソポタミア地方から、カナン(パレスチナ地方)へ一族と移ってきた。

  このアブラハがユダヤ人の祖父とされ、何と175歳と長命、しかし、旧約聖書最初の人類アダムは930歳

  ノアの方舟で有名なノアは500歳で元気、セム、ハム、ヤベテと3人の子供を設けたと書いてありますから、

  日本の少子化に嘆くあなた、まだ子供だいじょうぶでしょう・・・気力がない?、体力も?秋になれば・・・

②紀元前17世紀頃、アブラハムの孫ヤコブは一族と共にエジプトに移る。

そして、時代が移り数百年するうち、エジプト人の奴隷となってしまう。

 紀元前1353年、エジプトでツタンカーメンが王に即位。

 紀元前1290年、エジプトでラムセス2世が即位。

③紀元前14~13世紀頃、イスラエル人の子モーセ(エジプト王女に拾われて育てられた?)

に率いられて、イスラエルの民(ユダヤ人)はエジプトを脱出する。

 この時、神が手助けをしたという事件が「過越(スギコシ)の災い」

 神はエジプトに災いを下すことにされた「エジプトの国の初子は、王座に就くパロの初子から、女奴隷の初子、地下牢にいる捕虜の初子、家畜の初子に至るまで皆打つ(殺す)」。

イスラエル人は、エジプト人と神が区別できるように、羊の血を家々の2本の門柱とかもいにつけさせた。

主は、エジプトにいたイスラエル人の家は過ぎ越される。

その夜、全エジプトが起き上った、激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。

モーセ達は紅海沿いに移動し荒野を放浪する。

シナイ山でモーセは神(ヤハウェ)から律法(掟)を授かる。

これが十戒(ジッカイ)といわれ、民が守るべき基本的な10の戒(イマシ)めとされる。

Photo_3

これらの出来事が旧約聖書の「出(シュツ)エジプト記」第14章~20章に書かれている。

 モーセは短命で、120歳で亡くなったそうです。

④エジプト脱出から40年後、モーセの跡を継いだヨシュアが一族とカナンに入る。

一族は、12部族に分かれてカナンに定住した。

Photo_4

ヨシュアがある戦いで 「神よ、敵を倒すまで太陽を止めたまえ!」 と言ったら止まったそうです。

これが、天動説の根拠とされ、ガリレオもふざけるなと困っていました。

 現在、イスラエルが「パレスチナが自分たちの領土だ」と今も主張している根拠は何か?

 Ans. 祖先のアブラハムが、「神がカナンの地を与えると言った」 という夢の話が根拠だそうです・・・

⑤紀元前1003年頃、ダビデがイスラエルを統一し王となり、エルサレムに都をおく。

ペリシテ(パレスチナ)人との戦いで、青年ダビデが巨人ゴリアテと一騎打ちをし石を投げつけ倒します。

この瞬間のダビデ像:ミケランジェロが有名。ダビデは、きゃしゃな体格だったようですが・・・

Photo_7

ダビデ像は、瞳が熱い! ハートが熱い? 瞳がハート?

Up

⑥紀元前970年頃、ダビデの息子ソロモンが王の後を継ぎ、対外交易で繁栄する。

 旧約聖書:ヨシュア記(ヨシュアの下、12部族がヨルダン川両岸各地に定住するまでの話)

 士師記(その後、王国誕生までの戦いの英雄伝)

 サムエル記(預言者サムエル誕生、イスラエル王国誕生、ダビデの台頭と全土統一まで)

 列王記(ダビデの死、ソロモンの即位、死、王国の南北分裂、滅亡、バビロン捕囚まで)

エルサレムに神殿を造営する。(第一)神殿時代

⑦紀元前931年、ソロモン王が死亡する。

北の10部族が反乱を起こし、イスラエル王国を名乗る。

南は残った2部族でエルサレムを首都にして、ユダヤ王国を名乗り分裂する。

⑧紀元前722年、北のイスラエルはアッシリア帝国に滅ぼされ、南はアッシリアに服従した。

⑨紀元前586年、ユダヤ王国は、アッシリアに取って代わったバビロニア帝国に滅ぼされる。

神殿が破壊され、エルサレムの住民は貧民を残し、捕虜としてバビロニアに連行される。

 バビロンの遺跡は、現在のイラク、バグダットの南75㎞にある。

バビロンの捕囚(ホシュウ):紀元前586年から前538年まで、バビロンに捕虜として連行され、奴隷や召使をしていたユダヤ人の悲劇の話

Photo_5

この時代の物語「エステル記」は、映画は見ていませんが、旧約聖書によると

エステルというユダヤ人女性が、多分当時のペルシャの王様のお妃になり、ユダヤ人を助ける話、この一話だけが書かれている。

インドからエチオピアまで127州を治めていた王が、宴会に王妃を呼んだが来なかった。

王は怒り王妃は首になり、新しい王妃の候補として容姿の美しい未婚の女性が集められた。

叔父に育てられたエステルも、民族・出生は明かすなと言われて王宮に連れて行かれた。

エステルが王妃となり、ある日叔父が王の家来とトラブルになり、自分はユダヤ人と明かす。

王の腹心ハマンは、自分にひれ伏そうともしない叔父に憤り、叔父だけでなくユダヤ人をも根絶やしにしようとした。

ハマンは、王の支配国全てに書簡を送った。

「12の月の13日に一日で、若い者も年寄りも、子供も女もすべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」と書かれてあった。

王妃エステルは、苦労の末ユダヤ人殺害の実行日前に書簡を無効にさせる事に成功する。

腹心ハマンは、王により柱にかけられた。

王は王妃に、ユダヤ人について良いと思うように王の名で書簡を出してよいと言われた。

そして書簡が127州の首長に、早馬の急使に託して送られた。

各州に法令として発布される文書の写しが、全ての民族に公示された。

それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するその日の準備をするためであった。

指定された12月の13日、王の命令と法令が実施された。一日の内に行われた内容は、

王妃のいるこの地の城で500人殺し、ハマンの子10人を虐殺した。

他の地域では、ユダヤ人を憎む者を、7万5000人殺した。

エステルは、翌日ハマンの子10人を柱にかけることの許しを王に願い、さらに、

この地のユダヤ人に、明日も今日の法令通りにすることの許しを願い、それも許された。

そして、翌日子供を柱にかけ、城でさらに300人を殺した。

他の地域は14日を祝宴と喜びの日とし、この地のユダヤ人は15日を祝宴と喜びの日とした。

この両日は、代々記念日として「プリムの日」とされ、エステルの命令は書物にしるされた。

 いかがですか・・・これが映画では、ユダヤ人を救ったヒロイン・王妃エステル、その後No.2になった叔父さん 

 の雄姿となっているのでしょうか?そうでしょうね。

 法令が公示されたら、ユダヤ人に逆らう者はいなくなったらしいが・・・

 「十戒」6.殺してはならない・・・これはユダヤ人どうしが殺しあってはならない。他の民族は、殺しても良いということでしょう。

 ユダヤ人が気に入らない者は、女・子供、皆殺しを神は認めている。

 「エステル記」映画では復讐劇をどのように描いているのでしょうか?

下記○印は、ローマに関するメモです。

○紀元前12世紀頃、古代イタリア人がイタリア半島を南下してきた。

○そのうち、ローマのティベル川下流域をラテン人(ラッティニ)が占め、先住のエトルリア人の 支配下にあったが、紀元前6世紀末、エトルリアの王を追放し共和制になった。

○既に貴族と平民の階級があり、政務官職と元老院は遺族が独占していた。

 紀元前563年、ネパールで後にブッダと呼ばれるガウタマ=シッダールタ誕生

      528年、インドのブッタガヤの菩提樹の下で悟りを開く(仏教の誕生)

      483年、インドのブッタ入滅

 紀元前552年、孔子誕生・・・・・479年 孔子 死亡

⑩紀元前539年、バビロニア帝国がペルシア帝国によって滅ぼされる。

翌年、紀元前538年、ユダヤ人の一部がエルサレムへの帰還を許される。

紀元前515年、エルサレムで神殿が再建される。(第二神殿)

旧約聖書の「エズラ記」「ネヘミヤ記」のエズラとネヘミヤは、指導者として律法(トーラー)を学ぶことに重点を置いた信仰を広めた。

ここから「ユダヤ教」が生れたと言えるでしょう。

旧約聖書「エズラ記」第7章10.12

 エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようとして、心を定めていた。

 天の神の律法の学者である祭祀エズラとの記述もある。

バビロンに残った人々や、この後、第二神殿も破壊され世界各地に離散(ディアスポラ)したユダヤ人が神の掟を口伝で広めた話を5世紀以降まとめられたのが、タルムードといわれ、トーラーとタルムードは、現在もユダヤ人の信仰、生活の基礎になっているそうです。

ユダヤ教の教会をシナゴーグ、教え導きを与える師をラビというそうです。

男子は13歳で「掟の子」成人式となる、ユダヤ教はトーラを毎週決められた箇所を順番に読んでいく。全世界のユダヤ人が決められた同じ個所を読み、1年で読み切る。次の年も同じように順番に読む。13歳から聖書の学習が始まる。女性は、礼拝の義務はないそうです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初夏、すごしやすい季節とな... | トップ | ヴァチカン、キリスト教のP... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事