Venezia(ヴェネツィア)、英護ではVenice(ベニス)、ローマと並んで観光資源に溢れた歴史の重みが感じられる街です。
「アドリア海の女王」「アドリア海の真珠」「水の都」
かつて始めてのこの街に宿泊し、夜半ホテルの部屋から街中を眺めていて、治安が良さそう・・・、
一人で地図も持たずにカメラ片手にサンマルコ広場に行ってみようと・・・無謀にも出かけた記憶が鮮明によみがえってきました。
ホテルは、サンタ・ルチーア駅から歩いて5分位
上の画像の左手前側に、サンタ・ルチーア駅(鉄道)があります。
数段の階段を上がった上に駅舎があるのですが、この街にタクシーは走っていませんので駅前ロータリも無く、
上部に横長のひさしが通っただけの機能優先の建物だったと思う。
駅前は、フェリー乗り場です。(上の画像の右側)
駅舎の東横にサン・ジェレミア教会(11世紀の設立)があり、運河との間の道を進みます。
この先、ホテルは左に進むのですが、カナル・グランデ(大運河)に架かる数少ない橋が右にあります。
橋を渡って、反対側から振り返ると
11世紀の教会にしては、ギリシャ風モダンなデザインです。
そして、数か所フェリー乗り場が見えます。
・・・近くの通りに面した、ここが宿泊先の4つ星ホテル
そして、部屋から眼下の通りを眺めていたら
結構治安が良さそう、女性の一人歩きも見えます・・・
屋台のお店は片付けられているが、若干飲食店の灯りが見える。
・・・カメラ片手に出かけたのが、PM9:00だったようです。
方向感覚は良い方だが、・・・・見通しがすぐ悪くなる道に困りながら進むと、・・・狭い運河に架かった橋が現れた
確かヴェネツィアは100、いや120以上だったかの島が集まり、運河も100数拾以上、橋も数百はあるようでした。
運河に架かる橋が多いのは当たり前と、どんどん進む。
・・・橋の先は違う区域、区画整理いや、開拓された年代が違うのか・・・道幅が急に狭くなったり
四つ角の小さい広場に出てくると、さてどちらに進もうか・・・
街角で、覚えやすい目印が見つからず、通行人についていくと・・・狭い路地に入り・・・後に続く
路地の先は、・・・開けていた。
近道だったようだ・・・、この先密集した商店街で・・・この辺は?、多分リアルト橋
付近の商店街はシャッターが降りていて、先に進んで迷子になっても、店が閉まっていては聞くこともできない。
路地は迷路のようで、来た道は覚えられそうになく・・・引き返すことに
15分位で・・・このような光景に戻れて、ホッとした。
ウインドウショッピングがしたかったのだが、ホテルの中にも多少ありました
ヴェネチアングラス、クリスタルか否か分からないが、今日では鉛の使用制限があり
かつてのような製品は製造できないでしょう。
そしてホテルからの翌朝、眼下に、旧市街らしい屋根と壁
通勤客で活気が出てきたようです
サンタ・ルチーア駅前のフェリー乗り場に出発です。
ショーウインドウに温かい光が点きました。ここは世界有数の観光地です。
・・・
今回は、この日も霧雨模様、・・・左がイタリア本土で、右がヴェネツィア本島。
ヴェネツィアの境界線は本土側にも土地はあって、例えば左の海岸に沿って数キロ北東にマルコ・ポーロ空港もあります。
今日では、河口から約10㎞くらいまでが行政区域でしょうか。
3850mのリベルタ橋によって鉄道と道路が走り、本島側と結れています。
鉄道はこの先、画面右に直進してサンタ・ルチーア駅が終着駅、途中で右に分岐して隣の島に進むと貨物駅
道路もこの先本島で右に曲がり、終点のTRONCHETTO(トロンケット)の駐車場に進みます。
近くにあるトロンケット島からの地名でしょうか。
黄色のラインで駐車場に到着。フェリー乗り場に進み・・・
青の航路でボートによりサン・マルコ広場の東側のフェリー乗り場から再上陸です。
右側のジュデッカ島との間を進むと、やがて鐘楼が目立つ、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が離れ島に
ルネッサンス後期に着工され、17世紀に完成し、チィントレット、カルバッチオ等の絵画で有名
この教会の対岸では、本島市街地をS字形にカナル・グランデが走り、この位置で合流します・・・こんな風景です。
サン・マルコ寺院の鐘楼が見えきて、ドゥカーレ宮殿が視界に入ったら、・・・
中世の船乗り達は、12世紀に建てられた二本の柱頭に感謝の祈りを捧げたのでしょう
聖テオドール(最初の守護聖人)が左側に、槍と盾を持ち・・・聖マルコでは無いようです。
有翼のライオン像、
これはヴェネツィア共和国の紋章です。
・・・そして、フェリー乗場から・・・歩いて・・・この2本の円柱が建つ小広場に到着
この2本の円柱の真下から、サン・マルコ広場を見てみましょう(これは昔の画像です)
さて、観光の目玉が サン・マルコ寺院やゴンドラでしょうか
下の写真も昔の画像ですが、・・・多少気になる所があるのですが・・・、船体の色が黒のみ?・・・習慣です。
この時は、潮位が90~110cmくらいだったのでしょうか?・・・海面が高いでしょう・・・
ヴェネツィアを悩ます、アクア(水)・アルタ(高い):満潮ということですが、通常は異常潮位現象を指します。
内海(潟)の海水面が満潮時(大潮)の大きさと、季節風(海風)の強さ、気圧などの条件により100~160cmにも達する現象。
通常 潮の満ち引きはピークが30分くらいですから、上の写真は満潮からどのくらい経過した状態かは不明です。
・・・昨年11月上旬は、150cmに達し大変だったようです。警報のサイレンが100cm以上で鳴るようですが・・・。
ゴンドラは、1隻6人乗り40分80€が相場との話、乗り場やコース、もちろん時間で異なるのは当然ですが・・・。
ホテル・バウアーの横の運河から乗船、・・・薄曇りになってきましたがゴンドラは30分位で十分、路地から・・・
自由の女神や交通信号もあり、・・・やがて大運河にでます。
ゴンドラの船団、いい風景です。
・・・この観光用客舟、左右非対称・・・右側面は直線で、こちら側にオールを入れる。
左側面は大きな曲線を採り、傾きを補正しているようです。
右前方にサンタ・マリア・テッラ・サルーテ教会のドームが見えてきました。
こちらの運河側が確か、ファサードのようでした。
ラテン十字ではなく、中央部にドーム、奥に内陣、その内陣にもドームが載り、鐘楼が建つ。
サン・マルコ小広場からの見た目を美しく、その様な設計で計画され
(これも昔の画像)正面からはドームが重なり、左右対称のデザインです。
この教会、1919年 今年のイタリア版カレンダーを購入した中に、採用されていました。
この教会は、17世紀のヨーロッパを襲ったペストの終息を祝い、1631年着工、1687年完成。
教会の土台には、〇〇〇本の杭が打ち込まれているとか
このようなボーダシャツ、似合いますね (昔の画像でした)
市の免許と約100万円と言われる営業ライセンスが必要で、ゴンドリエーレ:船頭さんになるのは大変
・・・〇〇〇は?、10万でした。
さて、この建物をつなぐ渡り廊下のような構造物・・・下を小運河が、・・・ゴンドラも通るコースですが・・・
主役が・・・分かり難い、
この画像ですが、何とこの画像もカレンダーの2月に採用されていました。
なぜそんなに有名なのでしょう。
名称は、「ため息橋」、左の建物がドゥカーレ宮殿の裏側、右側の建物が牢獄
この橋を渡ると二度と生きては帰れず、囚人がため息をつきながら渡ったという「ため息の橋」
しかし、イタリアの建築物カレンダーに選ばれた理由については、デザインでしょうが・・・?。
サン・マルコ寺院もありました。
2019年4月のカレンダー
この寺院も、イタリア全土で良くみられるラテン十字ではなく、・・・いや十字形ではあるので、縦横同じのギリシャ十字か?
・・・漠然と内部に入るとあまりの凹凸の多さに目移りがして、全体像すら把握できない、更に前回は暗かった。
前回、鐘楼に登った時の動画から、パノラマを切り出して見ると、十字の中央部と四方にドームが載せられているのが良くわかる。
前々回の照明が点いた本堂内の画像を整理中。
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