気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

セビージャ・・・どこ?

2017-04-26 | 旅行記

Sevilla:セビーリャあるいはセビージャとスペインで語は発音される都市ですが、日本ではセビリアの表示が多いようです。

スペインで最も人口が多い都市は首都のマドリード:320万人、バルセロナが半分の160万人、次いで地中海に面したバレンシアがさらに半分の80万人。

スペイン南部のアンダルシア州都、アフリカに近いこの都市セビーリャの人口は70万人、スペインで4番目の人口です。日本では・・・静岡市や岡山市くらいでしょうか。

セビーリャから大西洋岸の河口まで約80km、海岸線は砂浜で、良港の条件としての水深、入江、風向きに対応できず河の上流のセビーリャの街が発展したようです。

一方、地中海へはここから南東へ約180㎞、車で2時間のイベリア半島南端、ジブラルタル海峡のアルヘラシスの街(イギリス領)に良港があります。

 

ではジブラルタル海峡から地中海の東の端、内戦が続くシリアまでどのくらいの距離でしょうか、・・・内海ながら非常に幅が広く東西約4000kmです。

地球の円周40000kmの1/10にも達します。日本列島の長さ?・・・北海道東岸から・・・沖縄の先・・・さらに西に進み・・・香港で、約4000Kmです。

セビーリャ中心部を拡大してみましょう。

朝日が昇るころ・・・右側、半円状のスペイン広場に向かっています。(左斜め下が、北です)

ところでスペイン広場から左に約1.kmに、創立127年を迎えたセビージャFCがあります。

上の画像は北が上方になります。・・・セビージャFC(フットボールクラブ)昨年の夏、清武が入団して話題になりました・・・(半年後日本に帰国)

スペインはサッカー王国ですから、他にも・・・セビーリャ中心部の画像の上方(南)に目を向けると・・・

半円形の建物から地図の右上に約2.3km、こちらにも創立110年を迎えるレアル・ベティスがあります。(上の画像は、北が上方)

セビーリャFCが富裕層のサポータが多いと言われているようです。・・・こちらのレアル・ペティスは労働者のサポータが支えているようです。

がしかし、レアル(英ロイヤル)の冠と縁があるのか先代と現スペイン国王はレアル・ペティスの名誉会員だそうです。

・・・イタリアのミラノで、本田のACミランと長友のインテルミラノの地元2チームが戦う熱狂的なミラノダービーに対して

この地では、アンダルシアダービーあるいはセビーリャダービーと呼ばれ、スペインで最も熱くなる対戦だそうです。

・・・アンダルシア・・・・闘牛、フラメンコ、サッカー、情熱大陸です。

・・・競技場?と思えるような入口から・・・中に入ってみましょう。

この内部は・・・24時間無料で入場できるスペイン広場です。


年代物の建物のようです・・・1929年の万博時にパビリオンとして建てられ・・・築90年になります。

両端に塔が建つ半円形の回廊の下部壁面には、セビーリャの名物工芸品です、素晴らしい絵タイルが貼り込んであります。

スペイン48県の歴史などが描かれ、順を追って撮影した画像を・・・整理しようとしたら・・・

撮影したSDカードが見つからない、・・・紛失か?・・・マイクロSDカードも見つからない。

・・・暫定的に・・・スペイン広場から大聖堂まで同行者の画像を拝借しました。

この様な絵タイルで、床面に地図、上部に紋章、正面に出来事などが描かれています。

絵タイルは8世紀頃、北アフリカ経由でイスラム教徒からもたらされ、この地で発展します。

後にイタリーに輸出され、ルネッサンス時代にイタリーでマジョリカタイルとして人気になります。

・・・絵タイルを探してみると、やはりありました。

この槍を掲げた騎士と御伴の方、前方丘の上には風車が並び、・・・ラ・マンチャ・・・スペインを代表する物語ですが・・・描いてあります。

広大な半円形の回廊は(直径200m)、異国情緒あふれる光景です。エピソードⅡで映画の一場面、登場しています・・・スターウォーズで、

独特の幾何学文様がこんなところにも利用されています、

鳩も朝日を浴びて・・・各々好きな方向を向いて、今日も一日 拘束されないで、良い日でありますようにと祈っていました。

噴水やボート乗り場もあり、そして強烈な夏の日差しは、・・・緑多き広大な公園で涼みましょう。

スペイン広場を後にする・・・と

北隣に、18世紀に建てられたヨーロッパ最大級のたばこ工場がかつてあったそうです。

ここが、現在はセビーリャ大学の校舎です。

街路樹が整然と並び・・・早朝のジョキングは爽快だろうと思っていたら・・・走っていました、エネルギーが伝わってくる学生たちの街です・・・

そして、この区画の裏側(北側)川の近くには、少しピンボケですが豪華な王宮のような建物がありました。

これは、サン・テルモ宮殿、中央に大理石と思われる3段のファサードが豪華で存在感を主張しています。

凝った装飾はルネッサンス後のバロック調、・・・当時の王宮はかなり広大だったようです。

そして川に沿って左に曲がり、上流方向に少し進むと・・・こんな塔が見えてきました。

今日では、あまり目立たず、うっかり見過ごしそうな単に古い塔です。

この塔が、黄金塔と呼ばれ、1220年の建造当時は黄金色のタイルが貼られていたのでこのような名前とのことです。

グアダルキビール川の対岸にも同様に塔が建ち、(対岸はシルバーとの説)ロープを張って船の入港を見張る役目もあったようです。

(現在は海の博物館)

間もなく大聖堂の近くにやって来ました。

路面電車に、観光用馬車、移動手段の新旧そろい踏みです。

そしてこの右側には、観光名所の

スペイン最大の大聖堂(カテドラル)が1519年に完成しています。

ヨーロッパの聖堂では、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模と言われ、奥行き116m、幅76mの大きさです。

1401年に、この地のイスラム教のモスクを壊して立て直していますので、北側にモスク時代の特徴、オレンジの中庭が残り、

東側にはミナレット(尖塔)を残して、キリスト教の鐘楼に改造する・・・独特のレイアウトのようです。

一本だけ赤いつくしが気になります。だれかご存知でしょうか。

こちらは南側、サン・クリストバルの門(扉)です。

そして、扉の内側にジャンヌ・ダルク?と思えるような戦う乙女?のブロンズ像が救いを求めています、調べてみましょう。

右手に盾、左手には・・・ヤシの葉? 高さ4m、1288㎏、バルトロメ作といわれるようです。

「ヒラルディーリョ」の像

・・・大聖堂の東側・・・修理中です。奥の北側に鐘楼が見えます。

そして、鐘楼の先端に・・・何と同じ像がみえます。

この像は、・・・風見鶏の機能を持っているようです、盾とヤシの葉ユニークな組み合わせです

鐘楼の名前は、ヒラルダ(風見鶏)の塔と言われています。

ブロンズ像の名は「ヒラルディーリョ」

・・・少し移動しましょう。

モスクの尖塔時代は、階段を設けず螺旋のスロープになっていて、ロバに乗って70m近くまで登れたそうです。

カトリック教徒が改造する際に、スロープ構造はそのまま残したので、鐘楼は現在もユニークなスロープ式が残っているようです。

・・・近くの広場に聖母マリア像・・・ずいぶん高い位置に置かれています。

・・・同じ目線にあると慈愛が感じられる気がしますが、見下ろされると・・・聖母マリア・・・布教ではどんな役割なの?

そして隣はアルカサル、門を抜けて、バンデラスの中庭です。

中庭のこれらの樹木も、オレンジです。

さてこの旧市街には、狭い路地が残っています。

建物の中を抜けて南側に進んできました。

サンタ・クルス街(旧市街地・ユダヤ人街)を歩きます。

ユダヤ人は知識が豊富で、いろんな仕事を考えます・・・ある仕事でこの界隈には悪臭が漂い、市民から嫌われていた時代があったようです。

今日では同じ仕事が・・・海の向こうアフリカ・モロッコで地場産業となっています、・・・皮のなめし・染色作業です。

悪臭が漂うのは動物の皮を鳩の糞や小便のアンモニアで洗うと柔らかくなるようで、柔らかくしてインディゴやサフランなどの染料で染める、・・・そんなユダヤ人の街並みがあったようです。

マァ・・・、キリスト教徒も裸体は禁止と風呂に入らず、おかげで教会では悪臭対策に香炉を振り回し、近代では香水が発達したことも有名な話しですが、・・・

ローマ人やイスラム教徒は、清潔な人々だったようです・・・今日では、多分宗派にかかわらず清潔でしょうが・・・

レコンキスタ後、この地でもユダヤ人は追放され、今日は住宅地になって、旧ユダヤ人街のキャッチフレーズで観光地になっています。


お土産店やレストラン、小さな広場、案内板がありました 

左上の大聖堂から左下に進んできています。

現代の航空写真ではこんな感じです

もうすぐ下側で、右に延びる塀の近くに向かっています。

・・・食用に適さないから誰も食べないという・・・たわわに実ったオレンジの樹がかわいそうで・・・

そこで、グレープフルーツくらいのオレンジを食してみました。ハッサク並みに皮が厚い。

水分も適度にありグレープフルーツ並みの糖度だったが、ビタミンCも多いのでは・・・食べられなくはなかった。

しかし、糖度が高くジューシーなオレンジが沢山取れるので、だれも見向きもしないということでしょう。

オレンジはアラブ人が持込み、中庭に植えてオアシスにと、香りや観賞が目的だったようです。

しかし多分、レモネードに利用されているようですが・・・

地面に沢山落ちているオレンジを踏まないように・・・路地をさらに南に進みましょう。

レンガの塀に沿って続く小道があります。

アクア(水)の道・・・では歩いてきた道を、振り返ってみましょう。

左側の塀は何と2000年前のローマ帝国時代の城壁のようです。

更に進むと城壁が途切れた所で、断面が公開されていました。

水道管、太いですね、

この水道水は先程の中庭近くの宮殿(アルカサル)に届けられていました。

・・・ローマ帝国は、世界各地で水道工事を行っています。

数10kmにも渡る水道橋を造る優れた土木技術がありました。

しかし、技術だけでは実現しません、今日でも驚く壮大な計画、大量の資材の調達力、そして労力(大半が奴隷でしょうか)ローマ帝国時代は、興味が尽きません。

 城壁沿いにこんな大木が

ゴムの大木です、南米から贈られたそうです

そしてこちらの葉は、どんな形か分かり難いでしょうか・・・ローアングルの方が良かったですね

砂地に濃い緑の植物、縁にギザギザの切込みが入った長い葉です、50cm以上はあります・・・この葉が素敵な文様となって我々の目を楽しませてくれています。

大きな丸いプランター鉢に、この様な葉のレリーフ文様を見たことがありませんか。

地中海産 アカンサス(Acanthas)・・・、ギリシャの国花、和名は、ハアザミ、アザミではない。

古代ギリシァ文化がこの葉を装飾に用い、葉の先端を巻き込むようなデザインなど、洗練された文様が、

建築意匠として(コリント様式)大理石や材木に彫刻され、柱頭(柱の上部)などにも利用され、イスラムの文様にも使用されているようです。

・・・ムリーリョ公園です。

帆船が遠くから目立ちます、

スペインで大航海時代の先駆け・・・有名な船? 冒険家・しかしイタリア人

コロンブスとサンタマリア号のモニュメントです。


船の中央に ISABEL イサベル女王の名前が刻まれています。裏側は国王。

ポルトガル王に大西洋を西回りに航海し、新大陸を発見する計画の援助を申し出ていたが喜望峰経由が現実的と・・・1485年に断られ、イギリス、フランスも懐疑的で・・・

スペイン王室に援助を・・・女王が関心を持たれたが、1490年委員会が否決する、その後も進展せず・・・

しかし、レコンキスタ、最後の紛争地点グラナダが陥落した。

戦争の経費が軽くなり、イサベル女王はコロンブスの計画を承認し、1492年 大陸発見となる航海に出発しています。

キリスト教の布教と、金銀財宝、奴隷の持ち帰り、原住民の虐殺・・・

キリスト教徒の作成する歴史では、どのような記述になっているのでしょうか・・・

この見事なデザイン、二本の柱の柱頭に・・・デザインされていましたアカンサスの葉です。

そしてこちらは、オレンジの街路樹

収穫?、落下したオレンジの回収業務でしょうか。

オレンジも資源です、有効利用されていることでしょう。

セニューラ? セニョリータ、若いから大丈夫でしょうが・・・腰痛に気をつけて、

オレンジがいっぱいのセビーリョから、・・・白い街、ミハスに移動します・・・約240km




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