北隣の回廊は他の建物につながる通路の役目も果たしています。食堂、共同寝室、古文書保管室、さまざまな階段へと行くことができます。
2列に並べられた小さな柱は、わずかにずらされ、常に変化する視覚効果を作りだしています、とパンフに記されています。
ここは北側の斜面に13世紀建てられた3階建ての建物の3階。修道院には修道僧の瞑想と祈りの場のために回廊が造られている。
尖頭アーチが採用されているゴシック様式で、全体を軽量にするために屋根は木片、柱も細く柱頭アーチ部には葡萄などが彫刻されている。柱頭彫刻、アーチはロマネスク様式の修道院に多く見られる。
驚くのが、屋根の軒にクリヤーランプ(昔の透明ガラスの電球)が垂木(タルキ:屋根の傾斜に沿って取付けられている補強材)と垂木の間に電線が露出した状態で配線されている。
漏電、雨水によるショート、電球の寿命、消費電力・・・灯の数が多いだけに一昔前の電球が気になった。
この建物の1階は四角い太柱が特徴の部屋で食糧庫に使われているそうで、非公開です。
その上2階が騎士の部屋・・・修道院に騎士の部屋?
北の端から、合成写真を・・・この右側(西)にも増築予定だったが未完成のままとか
このアングルでパノラマが撮りたかったが、廻廊の屋根上に登れないし、後方は海で・・・
教会の左側に先端がとがった建物は、控え壁と呼ばれる・・・聖堂の外壁を補強している尖塔でアクセントになっている。
ここは、ベネディクト修道士たちの食堂,、最上階で窓も多く光が差し込む。
片隅に屋根の模型が展示されていた、軽量化のためにここも木造、石積みと同じようにアーチが架けてある。
両脇には59もの窓があるとのこと。ステンドグラスはシンプルな幾何学模様、現代風でもある。
さて、下の階に行く途中に、このお山に最初に聖堂を建立した人物とサン・ミッシェルの伝説が大きなレリーフになってスポットライトを浴びています。
西暦700年の始め頃、アヴランシュの町のオベールという司教が夢の中で、大天使ミカエル(仏語・ミッシェル)から「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じられたそうです。
夢だった・・・と思っていると、・・・その後、再び夢に現れたそうです。
だが、単なる夢とオベール司教は信じない。
行動を起こさないことに業を煮やしたミカエルは、3度目にオベールの頭に指を突っ込んだ・・・
その瞬間がレリーフになっています。
翌朝、オベールは自分の頭に穴が開いていることに気付き、大変驚き、お告げは本当だと思ったという。
・・・お告げ?実力行使もする?・・・天使は、神の使いだそうで、旧約聖書にみられるように相変わらず残虐で強引な設定だ・・・当時は、この位が当たり前?
・・・あの岩山と言われて、・・・アヴランシュの町から見える所なのでしょうネ。
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そう、高速道路の左、高台の城壁に囲まれた古い街アヴランシュ・・・
岩山は、西南西に直線で約12㎞先、遠いような、しかし見通しが良いから身近な存在だったのでしょう。
このころ天使ミカエルは、一部の教会・信者の間で話題になっていて、天使ミカエルを祀った聖堂も各地の山の頂などに建立されていたようです。
噂では天使ミカエルがこの世に現れた最初の聖堂が南のほうにあるという。
旧約聖書の「ダニエル記」・・・多分イスラエルの守護天使、新約「ヨハネの黙示禄」・・・サタンとの戦いを指揮するなど、ごく一部の物語でミカエルが登場している。
悪魔の象徴であるドラゴンと戦って踏み潰している図、天の軍団のリーダー、剣や槍を持つ武闘家、・・・戦う大天使ミカエルに守護して欲しいと願っていたので夢に出てきたのでしょう。
709年10月16日岩山にオベールによって礼拝堂が献納された。
・・・その後、一説によると大天使ミカエルを祀ったこの岩山、モン・サン・ミッシェルを聖地にするには・・・何かが必要だった。
司教オベールは、200年も昔の492年に始めて大天使ミカエルが人々の前に姿を現したという伝説の聖地、ローマの先に二人の使者を向かわせた。
この聖地、モンテ・ガルガノ・・・現在も洞窟内に大天使ミカエルの聖堂がある。
・・・
ナポリから東に山を越えアドリア海に面したシポント遺跡に近いガルガノ山(今日のサンタンジェロ山)で、492年、チョットした出来事がありその3日後、大天使ミカエルが司教の前に現れて、「ガルガノ山の洞窟はミカエルの保護のもとにある、神と天使の名のもとに洞窟を神聖な状況にせよ」と告げられた・・・その洞窟に行ってみる、と内部は聖堂にふさわしい構造になっていたという。
そして、この洞窟と地下を整備し聖堂が建てられた。・・・大天使ミカエルが現れたそうだ!・・・瞬く間に噂が広まり、大勢の巡礼者が押し寄せた。
・・・
そして半年かけて聖地にたどり着いたオベールの使者達は、モン・サン・ミッシェルの話をすると何とモンテ・ガルガノにある貴重な大天使の赤マントの一部、足の下にあったという岩の破片を頂くことができた。
オベールは二人によって、ミカエルの聖遺物と物語が手に入った。これでモン・サン・ミッシェルは聖地となるだろう。・・・
この件で聖地となったか否かは、分かりませんが、各地の教会が聖遺物にすがるのは確かなようで、信じられない話がたくさんあります。・・・
日本にも言い伝えはたくさんありますが・・・
・・・・・
階段を下りて2階に、・・・修道士たちの食堂の下の階、ここは王侯貴族達の食堂、金持ち巡礼者などもここでもてなされたそうです。
13世紀、絶頂のころタペストリーや絵画・工芸品で飾られていたことでしょう。
ホタテ貝:いろんな説があるが今でも巡礼者が首から下げている人も多い。隣は壺、マクダラノマリアの香油壺?
サア隣に進む、ここが内陣の下、太柱の礼拝堂。15世紀の中頃に建てられた室内は、大半が補強柱と言う雰囲気だった。
ここが内陣の床にあった丸ガラスの真下になる。
次の部屋、南隣の礼拝堂、聖マルタン礼拝堂は11世紀の建築と古い建物で、当然壁が非常に厚い。
礼拝堂から先に進み、南側の通路に出ると、
巨大な巻き上げ機が据え付けてあった。ここはかつての修道僧の納骨堂で、牢獄として利用された1820年頃に設置された。(車輪は中世に工事用に使用されていた物の複製)
グルリと1周して、最後に再び北側に戻ってきた。
ここが2階の騎士の間、上の階は廻廊になる。
何故、騎士がいるの?・・・十字軍と同時期、ヨーロッパ各地に宗教騎士団が100以上結成されたようです、が、ここモン・サン・ミッシェルでは「聖ミカエル騎士団」が結成されたのは遅く、活動実績もないようです、名前のみ残った。
この部屋は修道僧たちの仕事部屋として使われていた。
・・・十字軍?・・・歴史の教科書に出てくるあの十字軍、
「ヨーロッパは貧しくみじめであるが、聖地イェルサレムこそ乳と蜜の流れるところ」
「この地で不幸な者は、彼の地で幸せを得るだろう」
「これこそは神の御業(ミワザ)であり、神の御業に参加する者には罪が許されて、贖(アガナ)いは免除される」
と、1095年、公会議で・・・聖地に行こう!異教徒から奪還しなければならない!・・・熱弁をふるったとされる。群衆は熱狂した。そして、十字架の軍隊と定住を夢見て多くの信者も同行した。
熱弁をふるった人?・・・聖職者・カトリック教のトップ 教皇ウルバヌス二世。
・・・
台座の上で、剣を振りかざした天使ミカエルの像がある。翼の生えた男性でしょう。
足元に悪魔ドラゴンがいる。拡大してみよう。
ミカエルの作者は、爬虫類が嫌いだったようだ。
階段を降りると一階、ここもかつては食堂。ここは残された人々・・・そうです、貧乏巡礼者達の食堂です。
13世紀頃、巡礼ブームとなり、潤った教会も俗化します。ここの建物で見られるように階級と金で選別されました。祈る人・聖職者、王侯貴族・金持ち、貧乏人です。
パンフレットには、司祭の間、ここでは修道僧たちは貧しい人たちやあらゆる境遇の巡礼者たちを迎え入れていましたとあります。
現在は、売店となっている。
出口に進もう、建物の横を通り、登ってきた階段を下ると磔刑像がある広場の上に出てくる。
山裾から海岸線の城壁まで、狭い土地に住宅やお土産屋が立ち並んでいます。
南東方向から振り返ると、このような修道院が見えました。
城壁の一部、円頭部は屋根付
かつての厳しい風景に復元されるそうです。完成予想図・資料(www.projetmontsaintmicher.fr)より
パリに帰るのはPM10時以降、夕食に立ち寄ったレストランで、土産を買った。
日本では最近見られなくなった光景。太ったのが3羽、鳩じゃなくて雀、有名だそうです、ビスケットを与えるから・・・あの店の近くに沢山いました。買った土産?、レストランの屋根の上に・・・
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