気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

中世の街  ディンケルスビュール

2013-12-21 | 旅行記

ロマンチック街道を約200km、北上する。

集落が見えると、中心部には尖がり屋根、・・・ドイツもキリスト教の布教が進んだ国土で、街は教会の尖塔がランドマークとなっている。

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ディンケルスビュール(Dinkelsbu?hl):ロマンチック街道にある中世の小さな街が、今日でもその姿を変えず残っているという。

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ロマンチック街道・・・夢・空想的なロマンとは残念ながら関係がなくて、北はバルト海からドイツを経由しローマに続く巡礼の道でもあったローマ街道をいう。

ドイツ バイエルン州のこの地は、ヴェルニッツ河が流れる西側に王宮が9世紀頃建てられ、この王宮を囲むように、油・壺・ワイン・パン・皮革製品・家畜と市があちこちに出現して街が発展していく。

南北にローマ街道、東西にニーベルング街道が交差し、10世紀には交差路の丘に要塞が築かれた。

14~15世紀にヨーロッパが発展するのと合わせこの街も毛織物などで最盛期を迎え、1372年から新たな城壁が造られ始める。

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この街にも戦火から街を救ったエピソードがあるようです。

ルター派VSカトリック教の宗教戦争の一面をも持つといわれる30年戦争が続いた時期、この街はカトリック教側でした。

1632年スウェーデン軍の攻撃で、このカトリックの街は破壊と略奪の危機に・・・ここで立ち上がったのが何と、子供達だったそうです。

・・・敵スウェーデン軍の将軍に子供達が慈悲を請います・・・純真な子供たちの願いが聞き入れられ、何とか破壊・略奪から免れたそうです。

この結果、中世の景観が無事に今日まで残された。・・・真っすぐな・・・純粋な、数多くの瞳の力は強かった。

毎年7月に、この伝承の祭りが行なわれているようです。

・・・上の地図で、右横になる駐車場から街並みを見てみよう。

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手前を緩やかに流れているのが、ヴェルニッツ河。

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小さな橋を渡り、城門をくぐり、円錐形の門や塔が守備している旧市街に入る。

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この看板は何かな?レストランかな?

旧ローマ帝国の都市は石畳が多い。馬車・荷車がぬかるみにはまらないようにと大変な労力で造られた道路だが、堅くて凸凹で滑るし歩きにくいし、膝にも良くない。

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大きな木造の建物が並んでいる。各建物の壁面はカラフルな彩色だが、彩度が抑えられ落ち着いた雰囲気で好感が持てる。

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素敵なご夫婦がお店から・・・黒のファッションがお似合いだ。

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500mも歩くと街の中心部、正面交差点の右角に教会の鐘塔がそびえ建っている。

交差点を渡り、小さな広場でこの街の象徴となるべきものを探すと・・・この銅像が。

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誰? あまり有名ではないようだが・・・帰って調べよう。

・・・地元出身の神学者・詩人のクリストフ・フォン・シュミート(1768~1854)さんと思われます。

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交差点(信号も無い街だが)の角の大きな赤い建物、屋根に塔のあるこの建物は、市参事宴会館「ラーツ・トゥリンク・シュトゥーベ」1600年前後に建造された。

神聖ローマ帝国皇帝カール5世やスウェーデン王グスタフ・アドルフも宿泊したとあります。

その右、3件目のピンク色の目立つ建物。

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これらは木組みの建物が特徴で三階部分から上に三角屋根、ここに四層の構造を持つ「ドイツの家」ドイチェス・ハウス。

戦火から救われたこの中世の街並み、歴史的建造物の中でこの建物が一番美しいと言われている。

2階より3階の方が大きい?・・・何故?建物の造り方がチョット違うらしい。箱を積み重ねる構造で各階が独立して造られている。

だから、3階と4階は天井を高くしてテラスを少し前に出し・・・通し柱が無い代りに、床面積が大きければ積み重ねても不安定にならないですね。

このような上の階が大きい建物は良く見かけられる。

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建物が並ぶこの景観で、壁面の色が個性豊かなのに気が付きました?

これは 条例で、切妻45度、隣の建物と異なる彩色、窓は木造十字の形などと決められているので、統一感がありながらカラフルなのですね。

このピンクの建物は、現在は人気のホテル兼レストラン・・・看板も派手な目立つ宣伝はできず店名のみ、書体は古書体と統一されています。

このような15~17世紀の歴史的建築指定が840棟もあると言われる・・・このような街に生を受けると、当然郷土愛が強くなるのは想像できるが、守らなければならないことが多すぎて、城壁の外に自由が・・・と思う人もいるでしょう。

せめて歩道は石畳風の融雪路面にしようなどと提案したら、異端児扱い門前払いでしょうか。

過去の文化遺産を利用し、旧市街を廃墟にしないで生活を維持するには、楽なようで利便性や快適な暮らしを一部犠牲にしてこそ守れる文化があるようです。 

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積雪は少ないが気温が低い・・・この地方の特徴で、これが防寒着対策をすれば、気合でスポーツを楽しむお国柄なのでしょう。

日本の雪国は、海側は横殴りの風が強く積雪は少ないが寒い、内陸部は雪は多いが、風は弱く気温もそれほど低くない。かまくら遊びとこたつでミカン・・・農耕民族の血筋でしょうか。

聖ゲオルク聖堂(ザンクト・ゲオルク・キルヒェ)

1448年~1499年の建立、角地の鐘楼は歴史を感じさせるが・・・美しいとはいえない、・・・何か継ぎ足しの塔に最上階は八角の小屋。

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ロマンチック街道のガイドブックによると、下の一部のみ本堂と同じ時期のゴシック様式だが資金不足で、1225年に築かれたロマネスク様式を継ぎ足して完了。

最上階の八角形の建物は、後の時代に夜警のために建てられたようです。

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横から見ると、本堂は天井が62m、後期のゴシック様式として天井は高い、それに対して横の鐘塔は中途半端な高さで煙突のようでもあり・・・外見より中身を見てみよう。

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すごい、統一感のとれた簡素で重厚な・・・これがドイツ! などと勝手に感心しながら主祭壇に進む。

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この身廊部は、エーゼラー父子が2代に渡りながら51年間と短期間に完成されたので、統一感のある素晴らしい教会内部となっています。

全ドイツでここだけにあるといわれる「聖体」を秘めた高さ12mの安置塔があります。
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側廊には主祭壇と同時期に造られた6つの祭壇がバランス良く設けられている。

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キリストの磔刑やマリア像、そしてドイツが誇るパイプオルガン・・・内部は素晴らしかった。

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街中の小さな広場、市が起つとにぎやかになるのでしょう。しかし、石畳に積雪があると車は滑りやすく大変でしょう。

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旧市街でも、ウインドウの中は現代の優れた工業デザイン

日暮れが近い・・・

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防寒具対策を施して、健康のために寒風に当たろう・・・オレンジ色の明かりが灯った。

さて、もう少し北上しよう。約53㎞先に、ローテンブルクの旧市街がある。、

同じく城壁に囲まれた中世の街並みが残る・・・ここと同じ?・・・ここより大きい街です。

すっかり日が暮れた。ここは城壁の中、同じく30年戦争の物語が・・・

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このマルクト広場で・・・明日は出合えるかな?

聖ヤコブ教会にも有名な・・・

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彫刻があるという。

城壁の中のレストランで夕食、

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お店は閉まっているが、フクロウがいっぱい!

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こちらも楽しい雑貨がいっぱい。
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そしてこの先右側にホテル・・・来過ぎてしまったか・・・

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玄関の先に、エーデルワイスと懐かしいスキー板が

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明日は、朝食前に街を散歩しよう・・・ではまた後で

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