「マグロ」をテーマに取り上げるため、銚子漁港へ取材に行くことに。25日の夕方、近海の延縄漁に出ていた船が入港するというので、その時間を目指して編集のゆうさん、カメラマンの沢海さんと3人で銚子に向かって走っていると「入港が遅れる」との連絡が入りました。
しかし、取りあえずは現地に入って待機しておかねばなりません。5時過ぎには銚子漁港に到着。
水揚げは翌26日の早朝。というわけで、ゆうさんが漁港に一番近い宿を探し、部屋を予約しておいてくれたのはいいのですが、前日の彼女からのメールには「お化け屋敷かも…」などと書いてある。
しかし、過日、取材時に泊まった温泉宿も「昭和の部屋らしい」と怪しみつつも、別段それほどのものではなく、ホテルそのものはもてなしが素晴らしかったので、単にホームページの情報だけでは何とも言えまいと思いつつ、自分でも宿のホームページを確認。
創業は今から360年前の1645年(正保2年)。銚子を代表する宿として多くの要人・文人に愛されてきたらしい。おっ、いいじゃないか。由緒ある宿らしい。ちょっと楽しみ!
その日入港予定の漁船が翌朝にしか入港できなくなったことが分かったので、さっそく宿に荷物を置き、美味しい魚でも食べに行こうということになったのです。翌日早いので「深酒はしないように」と申し合わせながら。
で、宿はというと、ううむ…。
古い建物は戦禍に遭って消失してしまい、現在のものは戦後すぐに建て替えられたものだというが、戦後すぐに建て替えられたまま、おそらく改築することなく、今に至っている様子。
入口にあるバーは「にゅうさろん」という平仮名の名で「昭和」そのものなのだけど、宿の佇まいに風情というものがまったく感じられないのです。昔、サロンだったであろう広間には卓球台がありました。それは懐かしかったけど。
入浴セットを抱えた「海の男」といったオッチャンたちが出入りしており、泊まり客はあまりいなそうです。部屋数はたくさんあるように見えるのに、手違いで部屋の用意がまだだということで、ロビーで少し待たされる。ロビーのそばにある階段から上をのぞくと、2階は真っ暗でちょっと怖かった。
私が泊まる部屋は「あやめ」の間。ううん、シブイ。高度成長期も知らずに時間が止まってしまったような部屋でした。これこそ「昭和の部屋」だよ。
もちろんトイレは共同。廊下を出て「婦人用」と書かれた扉を開けると、いきなり便器がありました。
あやめの間の入り口 あやめの間の室内
部屋の鍵はこんなのが1個。ちと不安
「このような旅館が健在とは!」と思いながら写真を撮っていると、無骨な感じの見知らぬ男がにゅっと入ってきたので、思わず「キャー!」と声をあげてしまった。男の仲居さんらしく、ポットを持ってきてくれたのだけど、「ノックくらいしてくださいよ~、びっくりするじゃないの~」と心の中で叫びました。
作りつけられていた鏡や引き出し。細工は手がこんでいるの
だけど、いかんせん古いだけで、骨董的な趣が出ていないの
が非常に残念。夜、絶対この鏡はのぞかないようにしようと
思いました。
翌朝は3時半くらいに起きなきゃならないし、この日の取材もどうなるか分からなかったので、ゆうさんは「素泊まりで予約しておいた」とのこと。正解だったと思う。
食堂をのぞいたら、どこかの合宿所のような感じで、今では「とても“料理の大新”とは謳えまい」というセッティングでした。
宿の主らしき男性は「昔は皇族も泊まりに来たけど、あっちにホテルができちゃったから(あっちというのは観光の名所・犬吠崎のことらしい)、こっちはさびれる一方で、今は漁師か慶応大学のボート部の学生やOBしか泊まらない」と嘆いていました。慶応ボート部とは古い付き合いなのだそうだ。
ゆうさんは「なんであんなに部屋数があるのに、私ら3人はポツンポツンと離れた部屋に泊まらされるのだろう」といぶかしがっており、それぞれに今見た自分の部屋の様子や宿の感想を感嘆符付きで興奮気味に話しつつ、漁協の人に教えられた魚料理の旨い店に向かったのでした。