まだまだ健脚ぶりを披露してくれるトチ。写真は、土手道から外れて好き勝手に草むらに行ってしまったトチを、「何、そっちに行っちゃってんの?」とばかりにブナが凝視している図です。
ブナはまだ耳が聞こえるものだから、道から外れて行くと「そっち行っちゃダメ」などと私に言われ、すごすご付いてくるのだけど、トチはすっかり聞こえないので、ときどき私の手招きも見て見ぬふりをして、あっちこっちへブラブラと。
このあと、すぐに呼び戻されるブナは悔しかったのか、こっちに戻って来ようとするトチに突進して行こうとしました。トチがひっくり返ると危ないので、直前に「ブナ、ダメ!」と叫ぶと、踵を返してクリに突進。
何の罪もないクリはいきなりブナに突進されて、目を白黒させていたのでした。弟分はつらいねえ、クリ。
今、水産資源で問題になっているのが、クロマグロの資源の悪化です。
日本で安く出回っているクロマグロ(本マグロ)のトロは、畜養物が多いのではないかしら。
完全養殖が魚卵を人工的にふ化させて、飼育したものを出荷するのに対して、畜養は卵を産んだ後の痩せた親魚や幼魚を獲ってきて脂をのせて太らせて出荷する方法。とくに地中海沿岸で盛んに行われています。養殖とはいえ、もとは天然資源なのですね。
畜養が問題視されている点は、幼魚も巻き網で一網打尽にしちゃうから、資源状況を悪化させるし、巻き網ごと生簀に移してしまうから、漁獲数の管理ができないことだそうです。で、その海外畜養クロマグロの最大の輸入国が日本なのです。
先日、水産資源の国際交渉を行っている政府代表の審議官を取材したのですが、畜養を含め、マグロを取り巻く現状がよ~く分かりました。
審議官が言うに、日本側にもある程度責任があると思うのだが、日本に輸出すれば高く売れるというので、地中海のクロマグロは日本向けの輸出品に変わり、次から次へと畜養による生産を拡大していった。量的にそれほど多くなければ問題はなかったのだろうが、漁獲量をオーバーする違法漁獲まで出てきた、と。
実際に「日本の巨大な食欲が資源を絶滅に追い込む」などと報道され、日本への風当たりが強くなっているとのこと。
クロマグロは日本では飛びぬけて高い。ほかの国々ではそんなに値段が高い魚ではないのだそうです。そのまま地方の市場で売られたり、あるいは缶詰の原料になったり、クロマグロでも1kg200円、300円の世界です。それが日本では1kg4000円とか5000円で売買されている。日本に持ち込めば高値で買ってもらえるわけです。
10数年前までは飼育することができなかったのだけど、大量に脂が乗ったクロマグロを生産できるようになった。当初はスペインとクロアチアが始め、これがあっという間に地中海沿岸国に広がって多くの国で手がけるようになったのだそうです。
天然のクロマグロであれば、トロの部分は体重の5%くらいなのですが、脂を乗せた畜養物は1匹から取れるトロがその3倍から4倍もあるのだとか。
だから、日本の回転寿司屋さんでも「本マグロフェア1皿100円!」なんてことがあり得るわけです。
でも、やはり私たちは考えなくてはいけないでしょう、「日本の巨大な食欲が資源を絶滅に追い込む」と言われていることや、大量に廃棄される食品・食材のこと、安いということと安全ということが同時に成り立つのかということや、食品偽装がなぜ起こるか、ということなどを。
(撮影/カメラマンの粂川真木彦さん)
北大路魯山人や志賀直哉などの文化人、吉田茂をはじめ多くの政財界人が愛した名店「銀座久兵衛」の二代目、今田洋輔さんを取材しました。
案内されて本館4階のエレベーターを降りると、テーブル席の手前がミニギャラリーになっています。陳列されているのは「美と食の巨人」と呼ばれた芸術家・北大路魯山人の作品。昭和10年創業以来、多くの食通が「銀座久兵衛」の寿司の虜になったのですが、魯山人もそのひとり。同店のためにわざわざ作った器もありました。
「子どもの頃は住まいの1階が店舗でしたから、寿司屋の商売を直に見ながら育ったわけです。おやじは有名な方々とカウンター越しにテンポよくやり取りしながら、寿司を出していた。普通では会えないような方々が来てくださり、両親は懸命にお客様の喜ぶ味を提供している。比較的早くに『おれが継がなくて、だれが継ぐ』という気持ちを持っていましたね」
「寿司には、ほかの料理にない独特な広がりがある。横綱は鮪でしょうね。でも、そのほかに白身の魚あり、貝柱あり、コハダのような光りものあり、7色も8色も9色も楽しめる。いろいろなものがあって、『寿司』というひとつのメニューになるのです」
「食べる方が自分でメニューを作ることができるのも魅力ですね。時間がないときは何貫かみつくろってさっと食べる。あるいはちらしにする、ゆっくりコースでいただくなど、寿司は選択肢が広い」
「それをもっと気軽に楽しんでいただくために、値段が明朗じゃない、常連客と一見さんに差をつけ過ぎる、板前は無口でつっけんどでもいい、などの寿司屋の旧態然とした慣習は撤廃しました。うちでは調理の技術だけでなく、会話のテクニックも重視しています。会話も自分からうまくなろうとしなくちゃ。それが寿司の旨さにも反映しますから。寿司屋には活気や華やぎがなくてはいけません」
「店がお客様を選ぶのではなく、お客様が店を選ぶのです。選ばれたときに最大限の努力をしてお迎えする。味は手を抜けば、すぐに悪くなります。守るものは守り、時代の声は取り入れ、常に危機感を持ってやっていますよ」
さすが! 築地場外の高慢な感じの寿司屋とは違うなあ。あそこは明らかに一見の客は区別してたもの。築地というネームバリューだけでやっているのか、ネタも決して良くなかった。
「銀座久兵衛」はお昼でも最低4000円。私にとっては高値ですが、一度今田さんの伝えるお寿司の味と雰囲気を楽しんでみたいと思いました。
築地市場には750の仲卸しがあり、その3分の1がまぐろ専門の仲卸です。仲卸の取材先として関係者に勧められたのが、生まぐろを専門に扱っている「西誠」さん。
この日は塩釜産をはじめ、オーストラリア産などのメバチを6尾競り落とし、早々に場内にある店舗に運び込んでいました。「西誠」3代目の小川文博さんも話を聞きました。
切っているのはこの店に来て35年という小笠原さん
(撮影/編集者ゆうさん)
1m以上もある包丁でまぐろを切り分ける手を休めて、小川さんが話し始めました。
「日本では今、世界のクロマグロの7~8割を輸入しているわけでしょ。冷凍技術の発達がまぐろの普及に貢献したことは事実だよね。
でも、天然の生まぐろは脂に甘みがあって最高だと思っているわけ。時期によっても獲れる場所によっても味が違うから、目利きは難しいけど面白い。メバチだって最高に旨い時期とそれが獲れる場所がある。同じ種類のまぐろでもひとつとして同じ味はない。
まぐろは奥の深い魚なんだよね。大きい魚だから個体差がすごくある。だからこそ生にこだわるわけよ」
「この前、『大間のクロマグロはあるか』と聞きにきたお客さんがいて、『三厩産のならあるけど、大間産はない』という、『じゃあ、いらない』と言って帰って行ったんだよ。
今の時期なら津軽海峡のクロマグロは絶品。大間に水揚げされたか、三厩に水揚げされたかだけの違いなんだよね。『大間』というブランドだけがひとり歩きしている。
消費者も産地ブランドに振り回されて、しっかり味を選ぶということができなくなっているんだろうな」
そうだよなあ。飽食に慣れて、垂れ流しの情報を鵜呑みにして分かった顔してる。水産物にJAS規格を当てはめて、ブランド化するのもおかしな話だしね。回転ずし屋さんなんかで安く出されているトロは、ほとんど海外で畜養されたまぐろだもんね。
西誠さんで三厩産のクロマグロを食べさせてもらいましたが、貧乏人の私には「禁断の味」でした。鮮度抜群だから臭みもなければ、変に脂もまわってなくて、甘みがあって絶品だった! その後、場外の寿司屋で食べた水っぽいまぐろとは大違い。味の違いは明確でした。
12月1日、朝4時前に家を出て、築地市場の取材へ。うちの周辺を走っていたのはトラックと新聞屋さんのバイクだけ。もちろん犬たちの朝のお散歩はお預け。お昼頃、帰宅したので、そのあと行ってあげましたが。
築地は年間5000億円という巨額が動く世界一の魚河岸です。近海の生まぐろをはじめ、遠洋延縄船が水揚げした国産冷凍まぐろ、オーストラリア、チュニジア、メキシコ、スペインなどから空輸された外国産のまぐろが築地市場に集まってきます。
午前5時前、築地市場の正門にタクシーで乗り付ける多くの外国人観光客。彼らのお目当ては世界のまぐろが競り落とされる光景です。「仲卸」「売買参加者」と呼ばれる人々が並べられたまぐろを丹念に下見し値段を検討するさまを、息を殺して見つめていました。
やがて鐘が打ち鳴らされ、競り人が独特の口調でまぐろの番号と価格が告げ、仲卸人たちが無言のまま競り人に指で合図を送り、買い付けていきます。
一般の見学者は冷凍まぐろの競りしか見学できませんが、私たちは前もって申請書を提出し、プレスとして入場していたので、あちこち撮影して回れましたが、ターレットという荷台が付いた小型の電動車や人力の荷車が縦横無尽に走り回っており、注意していないとぶつかってしまうような雑踏の中、その活気に気押されながら、あちこち取材して回りました。
少し前に、やはり暗いうちから銚子漁港を取材しましたが、あのときは生まぐろの水揚げと近海延縄漁船の船長に話を聞き、「まぐろ漁は博打だ」という話が印象に残りました。博打のように一発狙いで、海の男たちが釣り上げた大物がこうして競り落とされていくわけだ。なんかすごい世界だなあ。
農林業に携わっている人々と水産業に携わっている人々は、明らかに人種が異なるように思う。農耕民族と狩猟民族の違いみたいなものだろうな。