「はる」を見舞った翌朝7時。携帯の着信音が鳴った。「はる」のお父ちゃんからだった。
「今朝方5時ごろ、はるが逝っちゃった」
「はる」は深夜2時ごろから苦しみ出して、押さえきれないてんかんの発作のようにのた打ち回ったそうだ。最期は頭を打ち付けたかのようにガクッとなり、ふうと息をして絶えたという。それを見ていたお父ちゃんの気持ちを思うと息苦しくなり、走り出して「うおーっ」と叫びたかった。
話していてもこみ上げる涙を抑えられず、声が震え、しゃくりあげてしまう。お父ちゃんに「泣かないで」なんて、慰められたりして。
「はる、偉かったね。ちゃんと逝けたね。さすが、トチの子だね」
心の中で「はる」をいっぱい褒めてやった。そしてトチに言った。「トチ、はるがそっちに行ったけど、ちゃんと迎えてくれた? もう会えた?」
春に生まれて、春に逝った「はる」。トチから一番最初に産み落とされて、一番最初にトチの元に還って行った「はる」。13歳だもの、長生きのうちだよね。
電話を切ってから、トチを亡くしたときのようにオイオイ声をあげて泣いた。壮絶な最期を聞くだに「はる」もお父ちゃんもよく頑張ってくれたと思う。
ノエホタ母にメールで知らせると、やはり泣きながら電話が来た。そして、ノエホタ母はとてもいい話をしてくれた。3月20日に逝ったノエルはてんかんの大発作で、やはり七転八倒の苦しみの中で、鎮静剤が効いて力尽きて逝ったと聞かされた。
「あんな逝き方をするなんて」とノエホタ母が嘆き哀しんでいたところ、ノエホタ父がこう言ったそうだ。
「エネルギッシュだったノエルらしいじゃないか。ノエルは自分のうちにある残りのエネルギーの一滴まで、この世で使い果たして逝きたかったんだよ。苦しんでいたんじゃない。ノエルなりにエネルギーを発散して逝ったんだよ」って。
ノエホタ母はそれを聞いて「少し救われた」と言っていた。いいこと言うね、ノエホタ父。そうだね、「はる」もパワフルな子だったから、きっと最後の一滴までエネルギーを出し切って旅立っていったんだね。
食いしん坊だった「はる」は、注意がちょっと行き届かない、甘いお父ちゃんの目を盗んで、呆れるほどいろいろなものを平らげてきた。そのエピソードには事欠かない。
卵を殻ごと1パック、大袋に入った切り餅を全部、硬いアルミのカップに入ったマドレーヌを1袋……、どうして口の届かないところに置いておかないのかと思うでしょ? どうしてかしらね、前科がいっぱいあるのにね。
お父ちゃんは自分の毎食後、催促されるがままに海苔巻きをやっていたし、リンゴも丸ごとポイっとあげていた。リンゴを一箱買いながら「はるが大好きだから、いつも箱買いなんだよ」なんて、目尻を下げながら言っていたお父ちゃん。「はる」といいコンビだったんだ。
最近など、焼いてから凍らせるつもりで、冷ましておいたハンバーグ12個を平らげていたそうだ! でも、それは「はる」が悪いわけじゃないのよ。届くところにあったんだもの、叱られなきゃ食べちゃうわよね、「はる」は食いしん坊なんだもの。
全然攻撃的じゃなくて、のほほんと気立てがよく、甘えん坊で食いしん坊で、いっぱい可愛がってもらった「はる」。幸せだったよね、はる。
はる、トチの元に生まれてきてくれて、ありがとう。トチともう会えた? ブナやほたるやピッコイは、まだまだそっちに行かないから、みんなより早くもらわれた行った分、そっちでトチにたっぷり甘えていていいよ。
春に生まれたから「はる」と名づけられたトチの息子。
27日に「大腸ガンでもう長くないかも」と聞かせれて、それから連絡がなかった。心配になって29日の朝に電話をすると、お父ちゃんが困惑した様子で告げた。
「27日から飲まず食わずだったから、今朝、病院に連れて行って点滴してもらった。ずっと震えているし、背中の毛も立てている。苦しいんだろうね。そしたら先生が『もう治る見込みがないから、あまり苦しむようなら、安楽死をさせてあげる方がいいかもしれません』って」
絶句してしまった。気が動転してしまった。涙がボロボロ流れた。「はる」のお父ちゃんが消え入るような声で私に「どうしたらいいだろう」と聞いた。
うちの犬のことなら、あんなにパニックにならなかったと思う。私は泣きながら「お父ちゃん、ちょっと待ってて、考えるから。ほたるのお母さんとも相談してみるから、ちょっと待ってて」と言った。お父ちゃんはこれから仕事に行かなくてはならないと言う。
ノエホタ母と私は、「この選択だけはしたくなかったのよ~。分からない、どうしていいか分からない」と言い合って泣いた。ひとしきりああだこうだと話し合って、少し落ち着いてくると、私は「はる」に会いに行って、どんな状況なのか、この目できちっと確かめてこようと思った。
すぐさま「はる」の家に電話をして、お父ちゃんの妹さんがいることを確かめると、取るものも取りあえず茨城県つくば市にある「はる」の家に向かった。
お父ちゃんは7年くらい前から「はる」を連れて、越谷にあった妹さんの家で暮らすようになったのだ。その家を売り払い、「はる」がここに引っ越してきて5年。
初めて訪ねた「はる」の終の棲家。柵に囲まれたこじんまりとした庭は気持ちよさそうで、花の手入れも行き届いていた。
「はる」はとてもいい環境で晩年を過ごしていたんだね。何だか救われた気持ちになった。出たい時に庭に出て、夜は家の中でのんびり過ごしていたそうだ。
はやる気持ちを押さえながら扉を開けると「はる」は庭に横たわっていた。ちょっと目を離したすきに、どうやって出たのか、庭の花壇に横たわっていたという。トイレに行きたかったんだよ、「はる」は。
それからは、ずっとそこに横になっているという。お父ちゃんの妹さんも70歳に近い。1人では「はる」を移動させることができないのだ。妹さんは私が行ったことで安心し、家の用事をこなしていた。
「はる」はゲッソリ痩せていた。臀部の骨が飛び出していたし、顔をなでれば頬骨がくっきりと分かる。
おなかは復水が溜まり、膨れていた。呼吸をするたびに下腹が上下する。でも苦しそうな息じゃなかった。時折足が震えるけれど、背中の毛は立っていない。鎮痛剤なども点滴されたのかもしれない。全身をゆっくりなでてやりながら、私は「はる」の耳元でささやいた。
「はる、苦しかったら、もう頑張らなくていいんだよ。自分でお逝き。お前はトチの子でしょ、お前の母さんは自分できちっと逝ったんだよ。薬でなんか逝かされちゃダメ。自分できちっと逝きなさい。薬を打たれたりしたら、そのときは納得したつもりでも、きっとお父ちゃんはいつまでも苦しむでしょう。だからね、お父ちゃんのためにも、トチのためにも、安楽死なんてさせられちゃダメだよぉ……」
最後はもう涙声だった。喉の奥に哀しみがうっうっとこみ上げてくる。「はる、ホントは逝っちゃイヤだよ。トチより長生きしてほしかったんだよぉ」
長い時間、私は「はる」のそばで過ごした。
日が傾きかけた頃、私はお父ちゃんの妹さんに「はる」を乗せられるくらいの板を探してもらった。ちょうどいいラティスがあったので、はるの下にタオルを敷き、それを引きずって「はる」をラティスに乗せて、室内に運んだ。
ときどき体位を変えたくなるのか、立てないのに立ち上がろうとする。そのたびに支えてやった。また動こうとするので支えてやると、敷物がびっしょり濡れていた。たくさんオシッコをしてしまい、気持ち悪かったんだね。
一緒に住んでいても、大きい犬を扱い切れない妹さんに代わって、敷物を替え、体位を変えてやった。
「はる」に伝えることは伝えた、と思う。あとは「はる」次第だと思う。治る見込みがないなら、苦しまずに静かに逝ってほしいと思った。
27日の夜、トチの息子(ブナの兄さん犬)「はる」の飼い主さんから電話があった。トチの子どもを譲った飼い主さんのうちで最も年配だった「はる」の飼い主さんを、私たちは「お父ちゃん」と呼んでいる。
お父ちゃんが力なく言った。
「10日くらい前から、はるが食べなくなり、今はガリガリに痩せてしまった。大腸ガンだって。5cmくらいの腫瘍があるんだよ。辛そうにブルブル震えていて、背中の毛を立てている。もう長くないかもしれないので、一応、知らせておこうと思って……」
びっくりしてしまった。震えて毛を逆立てるのは痛い証拠だ。
大震災の日、トチの子どもたちの家は大丈夫だったか心配で電話をしたとき、受話器の向こうから「はる」が吠えている声が聞こえた。
「ずっとこうして吠えているのよ」とお父ちゃんの妹さんが言った。
「なんで、どこか具合が悪いの?」
「違うのよ、何か食べたいって吠えているの」
「そんな……。そんなことで吠えるようになるなんて、お父ちゃん、どこまで甘やかしたのかしら」
でも、そのときすでに痩せ始めていて、前立腺ガンの疑いがあると聞いた。だから、吠えていたのは何か訴えていたのではないかと私は思ったのだけど、妹さんは「そうじゃないわよ。いつも何か私たちが食べていると要求吠えをするのよ」と言うのだった。
あれから1カ月余り。「はる」が大腸ガンだなんて……。すぐに妹犬ほたるの飼い主であるノエホタ母に知らせ、2人でものすごく嘆いたのだった。
生後40日くらいの「はる」を見に来たお父ちゃんたちが「慣らし保育のために連れて帰りたい」というので、「じゃあ、1週間だけね」と言って送り出したのだけど、「連れ帰ってみたら、可愛くて可愛くて、もう手放せない」なんていうお父ちゃん。
もらわれていった頃の「はる」
だから「はる」だけほかの子より早くに親元を離れて行くことになってしまったのだけど、本当に可愛がってもらい、連れて帰って、初めてドライブに行ったときなど、車内でオムツなんかされちゃって、ウンチのあとにはウエットティッシュでお尻まで拭いてもらって……。
ほらね、「はる」ったらオムツなんかされてる
それでも「甘やかさないでね」と何度も念を押し、オスだし、父犬のように大型になるだろうから、きちんとしつけを入れるために、自分たちでできなければ、ちゃんと訓練所に通ってくれという私の言いつけを守って、警察犬訓練所にも預けられたのに、でも、やっぱり帰ってきたら、お父ちゃんがすっかり甘やかしてしまったのでした。
「はる」をこよなく愛し、厳しく接してくれた「はるママ」とは訳あって別々に暮らしているけれど、いつも「はる」に上質なフードを届けてくれていた。
痩せる前までは40キロもある堂々としたオス犬だった。お父ちゃんは「はる」に引っ張られてころんで、前歯を何本も折った。穏やかで気立てのいい子だったけど、パワーは凄かったね。それにとても食いしん坊で、いろいろなものを食べてしまったエピソードを耳にしてきた。
「はる」の気立てと容姿のよさから交配させる計画が持ち上がり、ハンナとかけたこともあった。結局うまくいかなかったのだけど、ハンナとは似合いの夫婦のように仲良くなり、仲介した私も交えて、家族同士のお付き合いも深まり、ステキな思い出となった。
「仲良くしようよ」と「はる(左)」は言ったのだけど
そんな「はる」がガンだなんて……。すごくショックだった。空を仰いで呟いた。「トチ、お願い。お前の息子を助けて。『まだこっちに来るのは早いよ』って、はるに言い聞かせて、お願い!」