『ありがとう。また逢えるよね。』の著者は、曹洞宗の僧侶、横田晴正師。「ペットロス こころの相談室」のサブタイトルがついているように、ペットロスに苦しんでいる人たちに向けた導きの言葉が書かれている本だ。
10年前にどうしたら僧侶になれるのかといった本を書いたとき、在家から僧侶になった方のひとりとして取材させていただいたのが横田師だった。すでにトチ、ブナ、クリと暮らしていた私は、人間だけでなく動物の供養のできる数少ない僧侶であった横田師のお話に共感し、その後に著した拙著『「犬をいっしょに暮らしたい!」と思ったときに読む本』の中でも紹介させていただいたのだった。
このたび発行された『ありがとう。また逢えるよね。』は、出版社の倒産によって一時絶版になっていた同名著書の刷新版で、装丁・挿画・本文扉絵を担当したのは、なんとゼンヨージ画伯なのだ。
センヨージ画伯は私の本のブックデザイン、イラストを担当してくれただけでなく、ブナとクリが召された際には、お悔やみのステキなイラストを送ってくれた、こころやさしい絵描きさんである。絵本も描き、江戸の研究から生まれた江戸関連のイラスト読み物を何冊も上梓している八面六臂の仕事人なのだ。
横田師は『「犬といっしょに~」のゼンヨージ画伯の絵を気に入り、今回ゼンヨージ画伯は直々のご指名だったようです。これもご縁ですねえ。
第5章の「ペット供養Q&A」には、ホッとすること、納得できることなど、慰めになることが書かれており、ペットを喪い、迷っていたり胸を痛めている方にはオススメです。
友人から薦められていた「興福寺仏頭展」の会期の終了が迫っていたので、東京藝術大学美術館に出かけた。上野に行く前に根津神社を詣でた。澄み切った青空と金色に色づいた銀杏の目が覚めるようなコントラストに、しばらく見入ってしまった。
上野公園への道すがら、アジア地域で手作りされた服飾や雑貨を扱っているステキなお店をのぞき、体の芯から温まるとろみのついた熱々のお蕎麦を食べ、路地裏のパン屋さんで手作りのおいしそうなパンを買うといった散策はなんともしみじみと豊かなひと時だった。
それにしても、根津から上野公園周辺は平日でも人手が多い。前回散策したのも平日だった。にもかかわらず、そぞろ歩く人の数がまあ、多いこと。この辺りにあまり馴染みがなかった私にはちょっとした驚きだった。どうもこの周辺は京都などの観光地と変わらない人気スポットらしい。
確かに、落ち着い佇まいの神社仏閣や郷愁をそそる昔ながらの建物、古いモダンな洋式の建造物が建ち並び、風情があるし、美術館、博物館などが集まっているためかアカデミックな雰囲気も味わえる。路地の入口やちょうど休憩したいなと思う辺りに小洒落た喫茶店などがあり、散策する人たちのこころを和ませるような構成になっている。何度訪れても新しい発見がありそうで、興味をひくエリアです。
「それにしても」の連発ですが、それにしても、昨日の興福寺仏頭展は混んでいた。展示物の前はどこも人だかりといった感じで、ごった返していた。展示室になっている地下2階から3階へのエレベーターなど長蛇の列。仕方ないので私は歩いて5階分を昇ったのだけど、いやいや、こんなに人出があるとは思わなかった。
高貴な表情の銅製の「仏頭」は、1411年の火災で胴体を失ったまま行方知れずとなっていたのが、500年の時を経て発見されたという、有難い仏像だそうだ。仏頭だけでも圧巻の大きさなので、全体ではどれほどのものであったか。想像しただけで、当時の製造技術の高さや苦労、人々の思いに押しつぶされそうになったのだった。
法相宗の唯識については展示内容を読めど、すぐには理解できず、これまた、ただただその教えを求めた僧たちの熱い気持ちに驚き、11世紀、13世紀という悠久のかなたで生きた仏師たちの信仰心や精緻な技に息をのむことしかできなかった。
帰宅後、唯識教学について調べてみたのだけど、難解至極。私の頭ではついていけないそうにない。いろいろ探しているうちに、法相宗・薬師寺のホームページに私でも何とか理解できそうな、やさしい解説を見つけたのだった。
「つまり私達の認めている世界は総て自分が作り出したものであるということで、十人の人間がいれば十の世界がある(人人唯識:にんにんゆいしき)ということです。みんな共通の世界に住んでいると思っていますし、同じものを見ていると思っています。しかしそれは別々のものである。
例えば、『手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』という歌があります。旅行客が猿沢の池(奈良にある池)の旅館で手を打ったなら、旅館の人はお客が呼んでいると思い、鳥は鉄砲で撃たれたと思い、池の鯉は餌がもらえると思って集まってくる、ひとつの音でもこのように受け取り方が違ってくる。一人一人別々の世界があるということです。」
ふむふむ。しかしながら、これだけではいかようにも解釈できそうで、唯識教学が何を説こうとしたのか分かりにくいなあと思いながら、『西遊記』で名高い、かの玄奘三蔵の生涯を説明したページに進んだ。
玄奘三蔵は瑜伽師地論と唯識論の奥義を極めるべく、鎖国状態の唐から3年をかけて天竺に赴き、唯識教学を学んだわけですが、薬師寺の解説によると「玄奘三蔵が翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ74部1335巻にのぼります。今、日本で最も読誦される『般若心経』の基となったのは、この大般若経です。」ということだった。
そうか、「般若心経」に通じるのか……、「般若心経」が出てきて初めて、ほんの少しだけわかった気がしたのでした。情けないことに、あくまでも「ほんの少しだけ」だし、わかったというのも「気がした」だけですが。
3度目の「それにしても」ですが、それにしても上野公園一帯は、晴天の降り注ぐ日差しのもと常緑樹の間に赤や黄色の葉がこんもりと点在し、そこらじゅうが輝いていて美しかった。充分目の保養をし、新鮮な気持ちに包まれたのでした。