★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

街の個性

2025-03-22 | ちょっと、ひとりごと
少し前に中野に行く機会があった。
そこで、すっかり寂しい風貌になった中野サンプラザが。。。

以前は逆側に降りる機会が多く
このサンプラザ側には来る機会もなかった。
随分、中野も変わってきている。
古き?良き時代の中野の雰囲気もすっかり変わりつつ。

子供の頃、コンサートで中野サンプラザへ何度も行った。
駅から近くにそびえ立つ、印象的な形の建物は
とても記憶に残るものでもあり
中野のランドマーク的建物だった。

先日、跡地に予定していた企業との話が
資材などの沸騰により予定価格も沸騰したため
破談となってしまったとニュースで見た。
また、新たに企業を決め
話を進めなくてはならないそうだ。

どこに行っても同じような高層ビルで
大きな企業が入るか、マンションとして活用される。
殺風景な同じ景色だ。

駅周辺の高額な土地は似たような企業しか手は出せない。
駅ビルには似たようなお店が入り
都内はどこも殺風景な個性のない街になってきている。




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人柄を見る基準

2025-03-21 | ちょっと、ひとりごと
良い学校、有名な会社や政府機関でのお勤め
または住まいの立地など様々な外的要因から
考察できる家柄や経済力。

家族の、親の、または本人自身などの
力で育った環境や現在の生活をしていたりする。

世の中には
そのような外的要因で人柄を判断する人もいる。
昔のように家同士のお見合い結婚なら
より強く家柄は判断された。

家柄、経済力、仕事で人柄を判断するのは
私は小さな子供の時から違和感があったし
大人になっても変わらない。

出身校、勤める会社や親の職業で
人柄も素晴らしいと思う人は確かに多い。
けれど、何だかとても悲しいことに感じる。
浅はかに、表面上しか見ることができないのだろうか。。。

多くの親や本人自身が望むということは
世の中がそう見ることを知っているからでもある。

人間の本質はそんなものではないけれど。。。
幾つになってもそんなことを重要視している人も多い。



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新宿

2025-03-20 | ぷらっと気ままにお出かけ
昨日はちょうど雪が激しく降っている時に新宿を歩いていた。

少し積もりそうな勢いだったけれど
用が終わったお昼頃には雪も止んで
少し雨が降っている程度だった。

ついでにお友達へのプレゼントを選びに
高島屋へ寄ってみた。
デパート自体、あまり行くこともないけれど
プレゼントを買う時には便利だ。

ついでに本屋さんにいきたかったのだけれど
以前あった本屋さんは
紀伊國屋の洋書専門店としてのフロアだけになってしまって
日本の本は置いていなかった。
駅の反対側の紀伊國屋まで行くのは面倒なので
やめたけれどがっかり。。。
本屋さんはどんどんなくなっている。
ついでに都内では在り方を変えてしまっている。

新宿駅140年記念と書いてあるのを見て
そんなに歴史があるのだと驚いた。
様変わりはしているけれど
様々なドラマがあっただろうと思うと感慨深い。

現在も駅周辺は大きく変化しているので
ちょっと寂しい気がする。





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社会性

2025-03-19 | 最近おもうこと
ある高校の野球部で監督が
生徒を殴ったか、ぶったかで高校を辞めさせられた
という話が姉と両親と一緒の時に出た。
その後、別の高校に行くことになったらしい。
そこに問題の生徒以外もついてくとか何とか。
詳しい話は知らないけれど。。。

姉は「今の風潮」は何があっても
絶対手を上げてはダメで、
問題になる結果になるのがわかってるのだから
だめなんだという。

甲子園に行くような競争の激しい
チームワークや闘争心も育てる中で
感情が出ることもあるから
分かってはいても
つい手が出ることもあるかもしれないから
入部の際に親御さんに一筆書かせて
それでも大丈夫なら入部の許可を出したらいいと反論する私。

それでも、学校や上の組織が問題にするし
世の中がその風潮なのだからダメなんだと。。。

私はこの「風潮」というものに
とてもとても違和感がある。
そんなものはコロコロ変わるもので
そこに愛や正義といった道徳は含まれないことも多い。

手を出すことはダメだ。
けれども、人間なのだからミスを犯すこともある。
また、普段どうかという人間性かも見る必要があるし
その状況といった、その場のやり取りだって大事だ。

今は、まず自分の保身のために「風潮」を読む。
熱心になれば感情的にもなりやすいので
やや冷め、周りのご機嫌をとりながら
好かれようとする。
一生懸命ではなく、そこそこやれば丸く収まる。
これが良いことだとは私は思わない。

「今はこうだから」
組織になればなるほど守るもの大きくなるので
世の中の目を気にしなくてはならない。

世の中で働く多くの人は
利益を出すこと、
会社という組織の中の一員であること
などの社会の枠組みの中の一員として
折り合いを上手にとり動いている。
それは、人の目や世の中のその時の風潮で動く必要があるのだ。。。

いい、悪いといったことは
頭で作る「風潮」より
内面から育まれる変わらないもの
ではないかと私は思っている。
だから私は社会からズレているのだろう。。。






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言葉

2025-03-14 | ちょっと、ひとりごと
言葉というのは現代の私たちにとって
本当に大切なものだ。

コミュニケーションとして
また、自分にとっても大事なもの。
けれど、最近は特に気になってしまうこともある。

言葉を軽く聞こえるような言葉にしたり
大きなこととしていう人もいる。
傷つけないようにと言った場合もあるらしいけれど
犯罪などの悪いことも全て軽い言葉にしてしまう。

時代と共に言葉も変化はする。
けれども、変える必要のないものもあるし
いちいち変えることもないと思ってしまう。
傷つくという人には悪いかもしれないけれど
それをバネにできたら
たくましく進むことができるかもしれない。

自分自身で思考するとき、
人に話すときに使う言葉によって
自分で気持ちや思考の深さも変わってしまう。
犯罪が軽い悪いことくらいにもなり
自分も気軽に足を踏み入れることもできる。
思考の中でも頭の中で使う言葉は大事なのだ。
良くも悪くも言葉をわかりやすく正しく使うことは大事。

好き、興味があるものを研究というと
捉える側の印象は本当に違う。
いいことならまだしもだけれど。。。
小さなことを大きくいうのは
これは言葉の問題ではなく
話を盛るということなので違ったこと。

なるべく、誰もが話を聞いて
同じようなことを想像できるという言葉を
選び使うということが大事だと思うのだ。

いつの日か私たちにテレパシーで
コミュニケーションする時が来たら
言葉を超越して見ていくので
どんな言葉を使うのかなんて関係もなくなる。
事実は事実、嘘は嘘などなど
全部筒抜けで見えてしまう。。。

そんな想像をすると
言葉は現実を単にそのまま表すものとして
または、想像を正しく掻き立てるものとして
うまく使う必要があるのではないかな。。。






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