★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

2025-03-04 | ちょっと、ひとりごと
関東の私の住む地域では昨日雪が降った。
この冬、正確には2回目になるのだけれど
1回目は本当にチラッと一瞬舞っただけなので
今回が本当に雪といえる。

この冬で一番寒く感じた。
雨もずっと降っていなかったので
この雨は嬉しい。
埃っぽさが洗い流された感じがする。

この地域ではあまり雪は降らないので
雪が降り始め、それを見ているのは嬉しい。
適度な雪はウキウキするのだけれど
やっぱり、あまり見られないからだろう。
空から降ってくる雪は綺麗だ。

そんな呑気なことを言えるのも、
この地域だからだろうけれど。



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日本の過度なサービス

2025-03-01 | ちょっと、ひとりごと
あるテスト会場へ行った時
受付時間になっていないのに
会場に入ろうとする人がかなりいる。

その付近に多くの人がいるのに関わらず
入れると思うのか見ていないのか?
ちゃんと、用紙にも書いてある。

さらには持ち物のところにも
室内での履き物と書いているけれど
ほとんどの人は持ってきていないので
会場側からわざわざ配ってあげている。
持ってきていないなら靴を脱ぐだけで
そのまま行ってもらってはダメなのだろうか?
「書いてありますよ」くらいで。。。

時間、注意事項、持ち物など
書いていても見ない。
こんなものなのかな。。。

日本のようにビジネスをする側が
人を集めるため、売るために至れり尽せりだと
それを使う側、消費者側、お客さんは
当然と思うことが増えるのだろう。

こう言うものと思い込んでしまい
たとえ自分に非があっても認めなくなるような。。。
日本のようにビジネスする側が手厚くもてなし
さらに競争のため手厚くもてなし。。。

結果、自分に非があり思うようにいかないと
騒ぎ立てたり責めたりする人も出る。
働く側はどんどん面倒くさい先回りが増え
利用する側はどんどん甘やかされ
自分の注意はいらなくなる。

よく言えば大雑把、悪く言えば雑で適当な
そんな場所に住んだことがある人から見ると
自分のミスを先回りして回避してくれるような
度を越す親切をしてくれる国は
ほとんどないような気がする。
ましてや、自腹を切って先回りなんてしてくれない。

日本でのビジネスは
いかに手厚くもてなしをするかが競争にもなる
でも、それを当たり前に思ってしまう基準は
何だかおかしな気がする。









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みんな中流以上

2025-02-26 | ちょっと、ひとりごと
様々なニュースで日本が貧しくなっているという。

食費が以前に比べてどうだとか
生活が困窮しているとかネガティブなことを言う。
給料はずっと上がっていないのに
食品の価格は何倍にもなっているとも言う。

比べる対象をどこに置いているかで
その感覚はまた違ったものになるのではないだろうか?

私は昭和生まれで小、中学生の時は
6〜9クラスもあり1クラス42、3人位だった。
クラスの中で海外旅行に行ったことなんてほぼ無く
夏休みはいいところ祖父母の田舎程度で
温泉へ行った人は自慢していた。
子供の中に海外だの旅行だのと言った
思考さえも無かったのだろう。
それくらい、家族で旅行に行くことは稀だったのだ。
ましてや、子供の頃から家族で海外旅行なんて無い。
大人になって、新婚旅行といった特別な時に
思い切ってお金を出すくらいのものだった。

外食もほとんどしないのが普通の家庭で
スーパーやコンビニのように
出来合いのお弁当やお惣菜など
今のように簡単に手に入る場所も少なかったし
第一無かったのだ。
あっても早く閉まるので仕事帰りには間に合わない。
冷凍食品も少ないしほとんど使っていなかった気がする。
とにかく、家で作ることがほとんどで
家族で外食できるのは、
それこそ特別な時だけだったろう。

洋服などもファストファッションのように
おしゃれなデザインを安く変えることはなく
白いTシャツだってデパートで1万円くらいし
靴もセールでも1万円くらいはしていたので
全てが高かったのだ。

旅行も安くいけるようになっている。
外食も安くいけるようになっている。
洋服や品物も安くなっている。
医療、学校などにしてもそうだ。

いつの間にかお金持ちしかできなかったことが
誰にでもできるようになってしまった。
出来ないことも少し無理をすれば
手が届くようになっている。
中級の上の生活を誰でもできるようになっていた。

今の幼稚園、小学生はどれほどの割合で
旅行に行ったことがない子供がいるだろう?
海外経験者だって多いだろう。
外食したことがない子供はどれくらいいるだろう?

私が子供の頃は
本当にボロボロの借家に住んでいる子もいた。
今思えば、学年で1、2人くらい
生活保護を受けていた家庭もあった。
車がない家庭や
塾に行けない子、私立には行けない子も
普通だったので
それぞれ子供ながらに自覚してやっていた。
アルバイトも精を出す子は精を出していたし。

貧富の差は現代よりもはっきりしていたのだろう。
私の目には今の方が贅沢になっているように見える。

格差が無さすぎて
自分にも気軽に手に入れられると思うからこそ
手に入らないことにヒステリックになる。
また、国家を上げて
個人のエゴを満たすように動いている。
国民のエゴが強くなるように、
エゴの強い人は考えるのだ。














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細胞に感謝する

2025-02-25 | ちょっと、ひとりごと
人の身体は不思議なもの。

私は医者でもなければ
運動を指導するような立場でもない。
けれど、結構健康オタクではある。

健康オタクだけれど
うんちくを詳しくは話せない。
単に身体にいい、悪いことは分かるくらいで
人に解説しようとも暗記しようとも思っていない。

自分自身の体験や人を色々見て観察した経験などで
自分なりに感じたり実験したりしている。
なので、良いと言われれば
ある期間自分で試して、
何も変わらなければやめるし
取り入れなくなるけれど
これも、今の自分には
必要ないものというだけかもしれない。

病気になれば身体だけでなく気持ちも暗くなる。
気持ちが暗くなれば病気になる。
歳を取ると病気になりやすい。
歳を取って体の自由が落ちてくると
気持ちが塞ぎやすくなる。

まずは気持ち、意識が大事だ。
自分の細胞の完璧さを邪魔しないこと。
疑っているのなら、
まずは信じようとすることから始めてもいい。
「ダメだろう」と信じながらでは意味がない。

無茶をしても一生懸命元に戻してくれる。
元に戻すよう働いてくれている。
元に近づこうと働いてくれている。
人任せではダメで細胞だけに任せず
自分が最大に協力しなくてはいけない。

今の状態にも感謝してできることをする。
その中で、できることを見つけていく。
その細胞、身体の完璧さに感謝をする。

考え方、気持ちの持ち方、食べたもの
動き方などの生活スタイルで身体は作られている。
分かってはいるけれど、
実行するのは難しいものだ。





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ステレオタイプ

2025-02-21 | ちょっと、ひとりごと
以前、私はアメリカ人は
白黒はっきりしていて大らかで
早くから自立していると思っていた。
大学の費用は自分で払うとか
早く実家を出て暮らしたいなどなど。

いまだにそう言っている人もいるけれど
その人の周りにはそんな人が多いのかもしれない。
けれども、きっと一部を見ているだけの話だ。

考えてみたら
同じ人間なのだから
持っている感情に大きな違いはない。
それ以上に、競争の激しい社会なのだから
権力に争うより媚びる賢さを持つ人も多いのだ。
そんな中で白黒はっきりするわけもなく
驚くほど媚も売るし、
露骨な足の引っ張り合いも
影での動きも噂も激しい。
意地悪だって多い。

育児に関しても「怒らない育児」など
アメリカからの情報が日本に入ってきたり
外国育ち、外国の大学で勉強してきた人が
表面に出て活動する機会があり
日本人も真似をするわけで
日本より先にやっている国がある。

ということは、そう育った人は
似たような傾向があるのも当然で
実家に住み続ける人や引き込みもいる。
離婚か結婚せず実家に住み続ける。
もちろん、アパートが高いという理由もあるけれど
実家を出る気があるのなら
ルームシェアはできるだろうと思ってしまう。

いい大学で、いい会社に入って
似たような成功組しか周りにいない人にとっては
似たような人しかいないので
その他大勢の普通の人の感覚も暮らし方も知らない。
そもそも、接点がないのだから何も見えない。

逆に日本人だって
自立している人もいれば依存し続ける人もいる。
白黒はっきりしている人もいれば逆もいるし
さっぱりしている人も大らかな人も色々だ。
その人が育った家庭や地域などにもよると思う。

ある日本人がアメリカ人に
日本人は目を合わせることを快く思わない。
知らない人には挨拶しない
と日本人について説明していた。

それを聞いてびっくりした。
そんなことはない。
あれは個人的な意見であり日本人を表すものではない。
私は朝の散歩や何かの集まりなど、
時と場所によってではあるけれど
知らない人にも挨拶はする。
それに、知らない人でも
笑顔で挨拶されて嫌な人は少ないだろう。

そんなことで、
私たちが知っている日本や日本人だって
あくまで自分やその地域といった一部だけの話で
全体を知っているわけではない。
ましてや、私たちが想像する外国なら
尚更、本当に僅かな面を見ただけなのだろう。

ステレオタイプとは
恐ろしいほどの思い込みをしている。













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至る所でザワついている

2025-02-15 | ちょっと、ひとりごと
なんだか至る所で
権力をかざして行っていたような
今までの在り方が騒ついている。

立場が権力として使われていたけれど
そうしてきた人や場所での在り方が変化する。
どの道、行き詰まっていくのだろうけれど。。。

ある方から見れば
イライラ、頭にくることが多いだろうし
もう一方から見れば
少しづつやる気が出ていくかもしれない。







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感覚を伸ばす

2025-02-14 | ちょっと、ひとりごと
同じものを見ても
同じことを聞いても
同じものを読んでも
人それぞれ受け取る意味
思うことや感じることは違う。

これはなかなか厄介なこと。。。
意味することが伝わっていない、
また、そこから揉め事が始まる場合もある。

社会という集団の中では
ウマが合う人ばかりがいるわけではない。
その中ではどうしても、
似たような感覚の人が多い人たちが権力を持つ。

どちらが正しい間違っているかの問題ではなくて
どういった感覚の人が多いのか?ということだ。
また、人は流されやすいので
元々持つ性質がどうかで染まっていく。

見せ方、言い方、書き方は
こちらの求めに応じて
本来は、相手の持つ感覚に合わせていく
必要があるのだけれど
相手を非難しやすい。
人は、やはり自分が基準となりがちだから。。。

集団という中に所属しているだけで
本当に大変なことだと思う。
だから、会社に勤めて働くということは
それだけで立派なこと。

学歴では測れない感覚や想像力。。。
学歴があるからといって
理解できているとは限らないのが
また、厄介なところ。

自分の感覚だけは、唯一自分ができる
変化させられる部分なので
ここは生涯成長させていきたいものだ。













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在る世界を広げる

2025-02-03 | ちょっと、ひとりごと
自分が知っている、わかっていると思っていることは
自分の在る世界の中の話だったりする。
もちろん、全く知らない、わかっていない場合もある。

声を上げる人は何でもすぐに声を上げる。
その反対に、声を上げない人は何に対しても
声を上げることはほとんどない。

これは、一般に聞くことができるのは
片側の声を上げる人たちの話だけで
声を上げない人たちの話は聞くことがない。

一方の見方、考え方しか聞かないのだ。
自分がどちらのタイプかにもよるし
どれだけの体験をしてきたかにもよるけれど
もっと多様な見聞をしてきた可能性もあるし
様々な体験をした中からの
想いや考え方もあるかもしれない。

自分の環境にもよる。
体験や考え方、知り合う人間たちも環境によって
偏っていくものだ。
その中での知ること、わかること
感じることや考えることが生まれるので
偏ることも仕方がない。



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理解

2025-01-25 | ちょっと、ひとりごと
「知っている」
「賢い」
と、密かに自分自身を思っている人は多い。

けれども、どれぐらいのことを
私たちは理解しているのだろう?

どれくらいのことを
理解しようとしているのだろう?

安易に知っている、賢いと思う人は
すぐに披露したがるので噂が好きだ。







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無精者

2025-01-24 | ちょっと、ひとりごと
以前では手紙、
今ではメールなどデジタルになって
更に億劫になり
連絡が途絶えてしまった。

本当に繋がり続ける人だけでいいとも思っているし
実際の繋がりもないのに近況を知る必要もない。
切れる縁は切れるもので昔ながらのやり方なのだ。

「あの人はどうしているのかな?」
くらいでいいのだ。
何も繋がり続けるツールを持ち合わせていないので
相手も探しようもない。

世の中はデジタルになり
より誰かを探したり、
繋がり続けたりしているけれど
私は真逆を行っている。
久しぶりに連絡をしたら
電話番号やメールなど
相手が変わっていることもある。

あった時に話そうと思うと
メールで近況報告しなくていいと思ってしまうのだ。
要するに面倒なのだけれど。。。
そんな感じで、世の中の流れとはかなり逆なのだ。






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