★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

他人に向かって使う言葉

2024-06-30 | ちょっと、ひとりごと
どう見ても30代以上の人でも
「おばさん」「おじさん」と他人を指して使う言葉。
ひどい時には、どう見ても同じくらい
もしかしたら年下かもしれない人に向かって使っている。
「おばあさん」「おじいいさん」もそうだ。

それを使うとき、やや蔑んだ話をしている。
私はそう言った言葉が嫌いだ。
だから他人に向かって言っている人にも違和感がある。
時々、愛情を持って使っている人もいるけれど
その場合は別。

自分だって、赤の他人の中年から
そんな風に呼ばれたくないだろう。

自分より年上かもしれない他人から
そんな風に呼ばれたくないだろう。

そう呼んでいいのは無知な子供だけ。
そして、そんな言葉を使うのも
無知な子供と言葉の知らない大人だ。





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2024-06-29 | 体験やイメージ
一般的に「魂」と言う言葉を
誤解している場合が多いのかもしれない。

「魂」をも、自分のと言った個として捉えている。
全部が肉体からズームアウトしてしまっているけれど
もっとズームインで戻すことが必要なのかもしれない。
そこから感覚を拡大して観る。。。

まずはそれから。
それから、人生を活かすことができる気がする。
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完璧な美しさ

2024-06-28 | 最近おもうこと
気づいたことがある。

ぼんやり外を見ていた時
何気ない外の景色、空や木が完璧な美しさでそこにあること。
全てが完璧で美しい。

形も色も、バランスも全てが
ただ完璧に存在している。

古代から人は芸術で美を表現しようとしている。
素晴らしい芸術家たちが目に見える美を表現しようとし
目に見えない美を表現しようとしてきた。
芸術だけに限らず、さまざまな分野で表現しようとしきた。
表現しようとしてきたと言うより
深遠たる存在に
近づきたい、
同じように表現したい、
理解したいと言う欲望からの表現なのかもしれない。

古代から深遠たる存在を真似ようと
してきたのが人間だし
いつの間にか驕ってしまった存在になってしまった。

驕り高ぶり大事なものを蔑ろにし
自分たちが何者かになれると思っている。

人は制限された中にいる。
その制限が私たちを自由にする。


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健康

2024-06-27 | 日々のこと
日本人は比較的健康に関する話、
特に年齢が上がれば上がるほど
体にいい食べ物に関心がある人は多い。
さらに、年齢が上がり歩き始める人もとても多くなる。

要するに、健康に関心がある人が多いのだろう。
グアムでは本当に高い割合でアップルウォッチのように
心拍数や消費カロリーなど、体調を管理できるものを
身につけている人は本当に多かった。
日本では、どちらかというとオシャレな若者に多い気がする。
今、アメリカでは指輪で健康管理をチェックできるものを
身につけている人も多くなっている。

私個人的には、そう言ったものは取り入れないのは
自分の体の状態を自分自身で敏感に感じることが
大事だと思うから。。。
今、至って健康で丈夫だ。

もしも、体に何かの問題が起こったのなら
何かがうまく働いていないわけで
それを改善していくことが必要になる。

必要に応じて休息させる時もあるけれど
甘やかし続けるのは良くないし働かせ続けることも良くない。
長くかかったものなら
改善するのに時間はかかると思えば気長に取り組める。
表面化するのに時間がかかったものもあるのだから
何事も、急速な結果を求めず
気長に緩々と取り組むのがいい。

体自体も大事、
それに影響する気持ちも大事、
さらに心、魂を意識できるといい。




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辛い出来事

2024-06-26 | 最近おもうこと
人生に起こった出来事をどのように捉えられるか?

良いことなら単にいい記憶としてあり
良くないものなら根深く辛い記憶としてあり
それらが心の中で現在に影響を与えるかもしれない。

辛い出来事はその中に留まることもできるし
それを機にして別の機会へと
自分を誘うこととして使うこともできる。
見方次第でその問題を使うことができるけれど
人それぞれ心への影響の仕方は違う。

どんなに楽な見方、
違った見方をして活かすことを頭では分かったところで
心のの中に滞った暗闇を取り除けるのは
単に理屈などではなく様々なことが影響をして
暗闇を作り出しているのだから
それは人によっては難しいことになる。

それぞれに起こる辛いと感じる出来事は
自分に活かせることになるはずなのだろうと思う。
人によって生まれる環境、時代、性別
そして人生で起こる辛いことなど
多くの違いがあるのも
その人に活かせるものとしてある
と考える方が強くなれる気がする。













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良いところとダメなところ

2024-06-24 | 日々のこと
人は他人の良いところを見つけるのが上手い。
その上、ダメなところを見つけるのは更にうまい。

自分自身のことはというと
ダメなところを見つけるのは上手い。
もう少し、良いところも見つけるのが上手くなれたら良いのに。。。

では、見つけてどうするのか?
ダメなのは分かってはいるけれど
変えるまでの行動はしない人も多い。
だから、そこを突かれるとイラッとするのだろう。
それなのに、人にはダメなところを直してほしい
変えてほしいと思ったりするのだから勝手なことだ。

自分のことも、人のことも
良いところを認め、ダメなところは
少し多めに見る寛大さを持ちたいところ。
甘やかし過ぎると成長する機会を逃すので注意だけれど。

客観的な距離で自分のこともみることは大事だ。






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自然のサイクル

2024-06-23 | ちょっと、ひとりごと
先日も話題にした「調和」

「調和」すると言うことは
自然のサイクルにそれぞれが合わせるわけで
それなりの時間が必要になる。
自分だけが焦ったり、急かしたところで完成しない。

そう考えると、
きっと今でも都会の中で生活している私は
自然に調和していない事も多いのだろう。

それでも、以前は気づかなかった事も
場所が変化し選択肢が減り
不便な中に入ったおかげで
初めて自分が持っていたストレスや不調和に
自然の中に身を置いて気づくことができた。

欲やエゴは「調和」からは逆の位置にあることが多い。
力ずくで手に入れようとしたり
必要以上に蓄え
無理矢理作り出したり、早める。

目立つこともなく
群れる必要もなく
何かを残すこともなく
在るがままに
自分自身の人生を活かすことだけで「調和」する。






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運の器

2024-06-22 | ちょっと、ひとりごと
人には「運の器」があるのだと思う。

例え、その人のようになりたいからと言って
話を聞いたり、本を読んだりしても同じようにはならない。
少し近づけたとしてもほとんどの人は同じまでにならない。

性格が悪いのに
お金のことしか考えていないのに
真っ当にやっていないのに

そんなことと「運」は別の話。
どんなに真面目にやっても「運の器」が小さいのに
「運の器」が大きな人に憧れても挫折感ばかり生まれていく。

ただ、陰陽の働きで度を越すようなバランスが崩れたときは
戻す働きは出るのだと思う。
それは人それぞれ違うのだから強いどちらかが強いときは
慎重に見極めておかなければならないけれど
それは一般的に自分では難しいことだ。

ただ、自分の持つ「運の器」自体に感謝し
最大限に活用していこう。




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柔軟性を持つ

2024-06-20 | 日々のこと
歳を取るとともに頭も身体も硬くなる。。。
このような人は多いけれど
若くても頭も身体も硬い、
または、身体は年齢に見合って柔らかいのに
頭はカチカチの頑固な思考といった人も多い。
ちなみに私は子供の時から身体が硬い。。。

私たちは「身体も頭も柔らかい」を目指したいものだ。

私は身体は硬いけれど、
その範囲の中でそれなりにストレッチしている。。。

色々な見方や思考を取り入れられれば
さらにその軸が洗練されていくけれど
頑なになればそれは進歩しないものになる。

頑ななことに自身で気づくのも難しいのだけれど。












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調和

2024-06-19 | 最近おもうこと
「調和」

どちらかにより過ぎず、いい具合に調和すること。
自然との調和が必要だと
このブログにも度々書いているけれど
全てにおいて言えることだ。

真面目になり過ぎて正しいこと、正義と言って
逆なことをしていることに気づかないこともある。

小さなことから大きなことまで
全てこの調和を意識すると
見え方、心の在り方も変わっていく。

今日も運動をしながら気づいた。
私たちの身体そのものも宇宙なのだと。。。
この身体の中でそれぞれが働き、この身体という銀河の中に今いる。
その中で完璧な働きをして完璧なバランスを保っていてくれる。

いいことだとか、悪いことだとか
外から勝手にバランスを崩そうとしてしまうけれど
本来は完璧にバランスをとっているのだから
新しい科学だとか浅知恵を仕入れて
極端になり過ぎてはいけないのだと。。。

どこかが過剰になれば、歪みもおこる。
そこへむやみに科学的なものを入れ込むのも
どこかで反応が出ていくのではないかとも。。。

今や、人間はどこまでも科学の領域を広げ
生、死、美と言ったものをコントロールしている。
人間はどこまでもエゴを広げていく。。。

自然の中に必要なことがある。
現代に生きて使えるものがあるというのは
それも使うことが自然なことだというのかは分からない。

今や、何を自然とし、何を科学と言うのかは
私には分からないけれど
少なくても「調和」に関しては意識していく事はできる。

自分の身体、
自分の周り
そんな、一番身近な部分へ意識を向けるだけで
大きなことが変化していく。








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