★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

占い

2024-11-29 | ちょっと、ひとりごと
先日、何となく風の時代と言う事を書いた。
知らなかったけれど、最近その傾向が強まったらしい…
私は星などの動きについては分からないけど。

以前は星占いや様々な占いが好きで、当たると聞けばすぐに行っていた。
何か相談したい訳でもなく単に興味があったのだ。

色々な人に会ってみて、当たっていたと思える事もなく、本など書いている有名な人であってもピンとは来なかった。
結局は自分で判断し、選択するものは選択し、
成るようになっていくだけなのだ。

惑星や星は人体にも勿論影響する。
その為に、人の感情や思考なども影響し世の中の流れ、または自然界も影響する。

昔から星読み、統計学、人相や手相など様々な占いがあるけれど、全体の大きな流れはあったとしても細かなことなど分からないだろう。

そんなことより、自分の人生に責任をもち五感を高めておく方が間違いなく読み取れるようになる。

占いなどはちょっとした娯楽として楽しむ位がちょうどいい。


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生活を見直してみる

2024-11-28 | ちょっと、ひとりごと
この10、15年くらいだろうか?
一般的にビデオをとって見て学ぶようなことが増え
今では何でも動画を通して学べる。
何かを調べ、文から理解するということも
少なくなっているのではないだろうか?

仕事も趣味も「見て学べ」と言う場は
今ではほとんどないかもしれない。
私も仕事で見て学ぶと言う状態だったのが
とにかく細かく丁寧に説明して教えるような流れになった。

あまりおしゃべりが上手じゃない人は
どんどん霞んでいくような時代になり
仕事はそこそこでも細かく喋れる人の需要が増えた。

それに従い受けても、
その瞬間をしっかり集中して
行う、見る、学ぶと言うような姿勢や意識は
ずいぶん減ってしまったように思う。

ある時、私が教えると言う機会があった時
そこにいた人たちの態度には驚くものがあった。
全く気持ちはそこにはなく、聞く気もないのだ。
動画を撮って、気の向いた時に見ればいいくらいに思っている。
動画を撮ることに意識が向くので
自分の目でしっかり瞬間を見ることはおざなりだ。

それこそ、どんなこともそうだけれど
お料理など本を見てもできない人はできなかったけれど
今は動画で手取り足取り細かく説明もし実演してくれるので
やる気があれば、全くできないと言う人はいないだろう。
味も出来栄えも動画を見れば失敗はない。

自分で考える必要もなく
失敗から学ぶ機会もないのだ。
仕事の仕方、学び方
世の中の流れによって変わるものだ。

人の感覚というのは大して変わらないのに
外側の流れは大きく変化し
自分自身もそれらを受け入れている。

これは、どうなのだろうか?
気づかないところで
自分の感覚を鈍らせたりしているかもしれない。
考えてみると、何かをしながら別のことをしていたり
ない集中力がさらに散漫になっているような気がする。
また、自分で考え内側から湧き出た感覚より
誰かの発言や方向に流される機会が増えているかもしれない。

静かにアナログな時間を過ごすことは大事で
必要なことだと感じる。












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あったら便利な家電

2024-11-27 | 日々のこと
日本に戻ってきて一年。
一通りの必要な家電製品は買った。

けれど、唯一まだ買っていないものが
オーブンレンジ。
今年の夏頃にも書いていたけれど
値段が下がるのを持っていて買っていなかったのだ。
何かとオーブンは使うのでオーブンレンジが良い。

先日、やっと買いました!
意外とレンジのない生活は慣れたら問題無いもので
不便とも思わず過ごせるもの。
あればあったで便利ではあるけれど。。。

オーブンがないので作らなかったものを
年末のパーティーシーズンに作れるので楽しみだ。
差し入れに必要なものを作る機会があるので
オーブンがあると便利。
いいタイミングで買うことができた。












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風の時代に入り

2024-11-26 | 最近おもうこと
「風の時代」という言葉を
聞いたことがある人もいると思う。

私も詳しいわけではないのだけれど
長らく「土の時代」だったものが
昨今は「風の時代」に入り
社会、人の感覚が変わり
価値観が変化していくと言われている。

戦後の昭和の高度成長などは
まさに「土の時代」のようなものを感じる。
とにかく働いて、働いた分得られるものがあり
所有することに重きを置かれる競争社会だ。

最近は何だか地に足のつかないような感覚だったり
がむしゃらさはないのに欲や当たり障りのない
ふんわりしたものを感じたりする。
身の丈に合わないものを得ようとするのも
目に留まるような競争はよくないと
うわべではされる平等社会になってきた。

「風の時代」になったからといって
すぐに変化するわけでもない。
けれども、なぜか集団になってある方向へ動こうとしたり
考えを同じ方向へと促すことも多く見るようになっている。
ちょっと、これは気味が悪くも捉えられる。

人の意識というのは大きなうねりを作るのに
集団という機会を作り無意識なものを
ある方向へ促すことは冗談の域ではないと私は思ってしまう。
けれども、昨今のネット社会では
そいった個人の考えや思いを
大きな集団にしてしまうことも可能なのだ。

集団になることは私個人的な感覚では
新しい時代的でないと思ってしまうのだけれど。。。

どんな風に世の中が変化していくのか分からないけれど
偏らず、私は中立な立場で傍観しているだろう。












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自然のままとは。。。

2024-11-24 | 最近おもうこと
「自然のまま」「作り上げない状態」である物事は
ますます無くなっている。
何を持って「自然」と定義するのか曖昧になっている。

その中で生きている人たちは
どこからが自然でどこからか作り上げているのか
分からなくなるし、
自分の都合でそれらのハードルへの考えも変化する。

私は歳をとったせいか
「自然」な物事に魅力を感じてしまう。
考えてみれば昔から人に対して
本音で話していない人とお近づきにもならなかった。
前にも書いたけれど
比較的人の性質が多少わかるところが
私には影響しているのかも知れない。

自然と思っているものも自然でないものが増え
それこそ食物だって人だって
不自然に作られているものに囲まれている。
私たちはすっかりそれに埋もれて気づかないだけだ。
食物に旬もなくなり太陽も浴びずに育ったもの
見た目は同じだけれど
実は違うものも日常で手にしている。

それはビジネスという観点からだけでなく
私たち自身がそれらを欲しているために作られていく。
結局は私たちの多くが欲している先に
自然でない物事が次々に生まれていく。

これは科学や医療が進めば
より私たちが欲するものを作り上げられ
未来は人の欲をますます満たすものが
作り上げられるだろう。。。

それは人にとって
どう影響していくことになるのだろう?












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人生を生きる

2024-11-21 | 最近おもうこと
どの年代でも自分で人生をどう生きたいか
その都度、覚悟を決めて行動しなくてはいけない。

あれもこれも理想ばかり並べても
決して実現しないような他人が関わることならば
きっと、それは単に自分の希望であり
現実化するのは難しい。
それより、自分ができる現実を
どう生きるのかを考える方が得策だ。

一つの理想のために
自分らしくない、自分の気持ちを我慢して
手に入れることが本当に幸せなことなのか考えてみる。
本当は一つの先に密かにもっと望んでいることがある。

その理想はどこからきたものなのか考える。
人に自慢したい、いつからかそう思い込んでいるなど。

他人の気持ちを無視して自分さえ良ければいいと
あまりにも傲慢になっていないか考える。
自分が望むことを他人も同じように望んでいると
思い込む人は多い。

または、悲観的になっている自分を可愛そうと
見ていないか考える。
多くの人は自分の問題を
他人のせいであるかのように見ている。

決めたら、くどくど言わずに出来ることを行動に移す。
とにかく言い訳無用でやる。

自分のこと、
自分が望むこと、
そのために自分が決めたこと、
それを実行する。

これが自分の望む姿ならば
泣き言や言い訳をし、他人のせいにすることもなく
いつも笑顔で幸せであるはずだ。
望まないから愚痴や文句が多く弱々しくなるのだ。

それならば覚悟し決めたことを実行することだ。






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魂の道を歩んでいる

2024-11-19 | 最近おもうこと
人生を通し変化していく人もいれば
変化しない人もいる。

人生を通して持って生まれた性格を
どのように活かし、どのように変える必要があるのか。

変えずに済む環境の人
変えようとしない人
変えざるを得ない人
変えたいという気づきを得る人

経験から変えようと努力してきた人にとっては
自分を変えずに周りのせいにしたり
泣き言を言い続けている人を
一喝したくなる気持ちにもなるだろう。

けれど、よく観察していると上手くできていて
変えなくていいような状況を生きていられるようになっている。
ブツクサ言い続けていても本人自身も
自分が問題だということに全く気づかない。

人は自分の人生に物語をつけたがるけれど
それは既にある程度設定されていて
起こってきた事なのだと思う。

だから物語を語るより、人生で起こる出来事に自分で対処し
自分で内省し気づいた気になっていることに
少しの謙虚さを加えた方がいい。
全てはそうなるようになっているから。。。

きっと、そう決めてここにきている。
誰もが人生を大まかに決めた中で生きている。
日々、最善の自分としてやっているのかだけが
必要なことなのだろう。

そう思うと、人との関わりや自分自身が
違ったように見えるようになる。
人はそれぞれ違うのだ。
違って、また同じようにここにいるのだ。










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「もし。。。」は考えない

2024-11-15 | 日々のこと
人は後からならいくらでも様々な事が言える。
いい事ばかりならまだしも嫌なことならなおさらだ。

他人のことも、自分の事も
後からなら何とでも言えてしまうので厄介だ。
他人から言われれば煩わしし
自分で言えば後悔ばかりが思いつく。
いい事だって、後付けされたものばかりだ。

瞬間では選択した物事が本人にとって必要で最善だったのだろう。

その物事から多少距離がある他人の方が
それらを俯瞰して見られる分、最善の選択はしやすいのかもしれない。
当の本人は距離が近すぎて見えないことが多いのが普通。

だから体験から学ぶことが1番なのだ。
バカなことをやっているように見えようが、
どんな結果であろうが本人にとって必要なのだ。
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物質と精神

2024-11-13 | 最近おもうこと
歳をとっているからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
子供や孫がいるからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
学歴や会社が立派だからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。

人は様々な外部の条件とは関係なく
自分自身でしか人格を形成することはできないのだと思う。
自分が歩んできた人生の中で
自分自身をどのように見つめていくかが必要だ。
残念なことに、自分の性格を正しく見つめている人は少ない。

傲慢さや頑なさ、わがままさ
全てを思い通りにしたいという強さは
物質を手に入れるという面では必要なこと。
そのように育っていく人もいるし、
自分でそのように生きていく人もいる。

精神、物質が伴わないという
この違いはなんだろう?
これは、魂の違いなのかも知れないと。。。
性格だと言う人がいるけれど
では、その性格を変える必要なく
歳を取れると言うことは?

物質世界、精神世界の両方のバランス。。。
どちらかばかりを追うことも偏ることも
肉体を持って生きている私たちにとって
結局、生きることを難しくさせる。
それこそ、周りにいる人はもっと大変だけれど
きっとそこにも何らかのカルマがあるのだろう。

普通の人にとっては
どちらもちょうどいいバランスで成長することが
肉体を持って上手くこの世を体験していけたことに
繋がるのかも知れない。
極端過ぎることもまた、何かをなすには必要だけれど
そこまでに至らないのが多くの普通の人たちだ。



















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物事を選択する基準

2024-11-11 | 最近おもうこと
物事がスムーズにいかないものは
一旦止まって再考してみたり、
または、その話を白紙にする。

いい話であっても進み始めるとすぐに
何度も問題が起こることがある。
問題が沸き起こっても対処はできるので、
文句を言いながらも突き進んでしまうこともできる。
断るか、そのまま進むか。。。
道をどちらか自分で選択していく。

条件のいい話だと
多くは進むことを選択するかも知れない。
それはそれで、「いい条件」というものは
達成することができる。
その他は、さておき。。。

断れば、手に入れたかも知れないものへの
多少の執着を残して何だかんだ理由をつけながら
自分がした選択が正しかったと思おうとするかも知れないし
潔い人は「もしかしたら」なんて思わずに
スパッと進めるかも知れない。

私はいつでも迷うような粘着した部分があるので
なかなかスパッと決断できないのだけれど
若い時よりはだんだんマシになってきたかも。。。

結局は自分で選択したもので全て完璧なのだ。
人生に「美味しい何処どりだけ」の人なんて滅多にいない。
必要なものを体験するように選択している。

あれこれ考えたところで
もしかしたら、進むべき道は決まっていて
自分で選択している錯覚の中にいるのかも。
または、本当に大きなゴールに向かってあれこれの道を
自分で選択しているのかも知れない。

どちらにしても、選択しなくてはならない時は
両方を選べないのだから
何を基準に選択するのかが
結局、自分らしい道につながるだろう。





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