★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

体調改善

2023-06-28 | 日々のこと
父のフグのように浮腫んだ足や手首などはすっかり元に戻ってきた。
身体中の痛みも消えた。
足は夕方になると多少の浮腫みは出るけれど
ほぼほぼ改善している。

結局、原因はまだ分かっていないけれど
低容量のステロイドの錠剤をこの1週間とり始めたことで
効果がみられているよう。

薬を飲む1週間以上前からエプソンソルトの足浴、
樟脳オイルを使っての念入りなマッサージを足から膝まで行い
その間に肩首を温めておいてから
手から腕、肩首、背骨までほぼ朝晩毎日行っていた。
そのせいか、薬を飲む前には随分浮腫、痛みも和らぎ始めていた。
それと並行して水もしっかり飲ませてデトックスさせ
痛みが引いてきた頃から、少しずつ歩いたり手や腕を動かし
歩く練習、足をしっかり上に持ち上げるなど行った。

おかげで、ほぼ元通りになってきたので
だんだん自我が強くなり気難しい性格も戻ってきて
昨日は運動もしなかった。

自分で動けるようになりトイレにもちゃんと
一人で行けるようになり
食事も自分でできるようになったので安心だ。

夜中に10回以上トイレに起きるのに付き添い手伝っていたので
母も参ってしまい、私がいる時は私が行い
とにかく、私がいる間に自分ひとりでトイレに行け
自分で食事が出来るようにしておきたかったので
それができるようになって良かった。

今、動くようになったのを良いことに
運動をサボるのも自分が決めればいい。
夫婦の形も人それぞれなので生活に原因があったとしても
回復して元に戻すのは自分達次第だ。
他人は強制できない。
いくら家族だといっても…

それも、自分の人生なのだ。
その中で、自分にできることだけ、
自分がしたいことだけを求めずやるだけなのだ。




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変わることの難しさ

2023-06-27 | 最近おもうこと
人の考え方、思い癖はそうそう変わるものではない。
本当に弱った時に変わることはあっても
状況が回復するとほとんど元通りになる。

根本を見直すことはしないのだ。
わかった風であったとしても、変えることはない。
しかし、根本を変えない限り再び弱る状況になる可能性は高い。

状況であっても、身体であっても同じこと。
変えるための機会を与えられているのに
変えようとはしない。
残念にも感じるけれど、
それはそれで、その人の人生の取り組み方だ。

人それぞれ魂の段階も取り組みも異なると私は思っているので
それに応じて人生への向かい方も異なるのだろう。

同じものを目の前にしたとき
どう反応しどう取り組んで、どう学ぶのかが違うのは
そんなことからくるのだろう。

それはそれで、その人の人生にとっては完璧なのだ。



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病院は万能ではない

2023-06-24 | 最近おもうこと
40代くらいから何か肌のトラブルなどで病院に行くと
年齢のせいだと言われ始める。
50代以上になると、もっと年齢のせいだと言われることが増える。
そのうち、色々な場面で年齢のせいだと言われ
原因や解決策もはっきりしないような
匙を投げられているようなものしかあたえられなくなる。

いつも、コレを不思議に感じていた。
肉体、細胞の状態は人それぞれ違い、
DNAレベルでは大きく違っているし生活習慣や食事も違うのに
年齢で一括りにするのは違う気がするのだ。

私が思うに医療というのは未だ解明されていないことが多いので
分からないことは年齢のせいにするのだ。
その方が都合もいい。
もちろん、加齢により起こる身体の現象から起こるものはある。
けれども、不明イコール加齢ではないと感じるのだ。

70、80代になり何かしらの身体の不調があり病院へいくと
あちこちの科に回された挙句
結局原因がわからないと言われることも多いようだ。
そして、大量の薬をもらったり、
原因が分からないことで不安を抱え続けて不調も続く。

先日、父の突然の不調を見ていてより感じることは
本人自体、または身近な人が積極的に
行動することが必要になるのではないかということ。

出来るなら本人が自分なりに調べ
その不調を改善しうる可能性のある物事を取り入れ
実践してみることも必要なのではないだろうか?
または、身近な人が取り入れてあげる。
本人が全てを拒否するようではどうしようもないけれど…
それは本人、身近な人次第で
その頑なさも原因の一因なのだろう。

まず、食べるもの。
身体を動かせるなら少しずつでも動かす、動かしてあげる。
必要に応じて身体を温める、マッサージするなど。
現代は自分達でも色々な情報が得られるのだ。

西洋医療は病名がはっきりし、
適切であるものに対して効果があるのだろうけれど
原因が分からないと改善しなかったりするもの。

病院へ行けば全てが分かり治るものではない。
けれども、身体の中で何かが誤作動を起こしていたり
何かが炎症を起こしているわけで
その時、または長い期間の食、生活スタイルも
見直してみる必要はあるのだと思う。

危険でないことなら薬や外科などと違い
自分で工夫し努力することも可能だ。

















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老い、理想と現実

2023-06-14 | ちょっと、ひとりごと
急遽、日本に帰国中。
急に父が自力で歩けなくなり病院で調べても原因が分からず
再度別の病院で調べて結果が金曜日に出るので付き添いたいのと
何度も夜トイレに起きるので母が参って来ていて手伝う目的だ。

もともと気難しく神経質なので自分で出来ないから大変だ。
脚などひどい浮腫で
体中、多分関節なのだと思うけれど痛いらしい。
どうなることやら。。。

歳をとって体が思うように動かせない
出来ないことが増えていくのは
誰しも自分自身が最も想像できていないことだろう。
皆んな若い頃があり、体の機能はスムーズに動いて当たり前だと思っていた。
けれども、そうはいかなくなっていく。。。
ゆっくりでも、何とか自分で何でもできるのは凄いことだし
家族にとってもそれがどんなに有難いことか。

色々な人を見ていても
何だかんだ子供が面倒を見てくれるのは本当に少ない。
一人で住んでいたり、たまに子供が来る程度だったり
老老介護のような状態だ。

私も今から鍛えて
なるべく自分のことは自分で出来るようにしておかなければ。




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アップグレードできるもの

2023-06-11 | ちょっと、ひとりごと
昨日のブログを書いてしばらくして閃いた。

常にアップグレードできるものが
向いていることなのかも知れない。

最初から気づいている人もいるかも知れないけれど
私はそのことに気づかなかった。

何かやりたいけれどやりたいことがない、
見つからないなんていう人も多いと思うけれど
興味があるものや、
やりたいことを見つけることに注目するのではなくて
何となく無意識にでも
新しい情報を見ている事に注目してみたらどうだろう?



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正しさへのこだわり

2023-06-10 | 最近おもうこと
自分が「正しい」と思っていることを多くの人は選択したり行う。

それが人から見てどうかは関係なく
自分自身は正しいと思っているのだ。
中には良くないと分かっていてもやってしまう。

自分が思う「正しい」も、
そこに執着し過ぎることは自分を痛めてしまう。

ある程度知識がある、長年関わってきた、自分流が強い
そんな風にある意味自分を信じ、自信があるのだろう。
それは、その時の自分にとっての正しいを導く。

けれども、まだ全てを知っている訳ではなく
特に人間に関わることならばより流動的だ。
常に新しく分かることや発見されることが出てくるわけで
世界トップで研究している人たちさえまだまだ知らないことばかりだ。

私たちは簡単に頑なになる。
正しいこと、道徳などに対して自分が頑なに行おうとする。
正しい事にこだわりすぎて自分を苦しめていないか?

真面目に努力することもいいことだ。
でも、たまにはちょっと風通しをよくし
少しいい加減に行い長続きさせるくらいでもいい。

何事もこうあるべきだと頑なになりすぎず
柔軟性を持ち、必要に応じて緩めてみてもいいのではないかな。




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言い訳が湧き上がる時

2023-06-09 | 最近おもうこと
よく40代、50代
もしかしたらそれ以上かそれ以下かも知れないけれど
「今更」
「この年齢になったら」
と言って、始めないことや選ばないことがある。

これは憧れてはいるけれども
そこへいく道の努力やその先の漠然とした将来への不安への
言い訳として何かしらが必要なのだ。

不思議なことに18歳だとしても20代だとしても
何か難しいことをするときは似たような言い訳を探す。

これはその道に進むことを熱望していないからだ。
単に漠然とした憧れだけで
自分が心底望んでいる訳ではないからだ。
社会の基準や何だか皆んながそうしているから。。。
と言った理由で自分も引きずられているだけで
特に強い理由も熱望もないことに大きな努力は負担だ。
それがある程度の年齢ならば尚更状況を言い訳に使える。

そんな状況の時は時期じゃないのだ。
もしかしたらずっと憧れは持ち続けるかも知れないけれど
それは漠然とした憧れだけで
自分が実際にやる必要のないものかも知れない。

「何者かにはなりたい」
そんな風に幾つだろうがぼんやり思っていたりする。
何者かにならなくてはいけない気がどこかでしている。
学生で進路を決めるときも社会人になっても歳が上がっても
人はそんなことを思い気持ちのどこかで焦ってしまう。

もしかしたら、何も焦る必要もなく
まずは自分の平凡な人生に日々満足し充実することを
見つけることが優先なのだろう。

そして、本当に必要なもがある時は
何の言い訳も考えず始められるはずだ。


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自分だけしか変えられない

2023-06-08 | 最近おもうこと
人はどんな状況であっても
自分自身の物事の捉え方次第でその状況は変化する。

どんなに恵まれて幸せであるだろう状況であっても
不満ばかりあったり幸せだと感じない人もいる。
人は自分自身に不満があると意地も悪くなるものだ。

もちろん、何かに満たされず、
また暇を持て余していていたら自分で幸せを感じず
人の噂話や意地悪なことが自分の興味を掻き立てる。

そんなことを繰り返していたら幸せから遠ざかるだけだけれど
それさえ気づくこともない。

また社会的地位や経済力と内面の充実度や幸せは全く比例せず
どんな立場でどんなことをしていても
そんな表面的なことで相手を計ったりすることはできない。
残念ながら世の中には表面的なものだけで
内面も立派だと計ってしまう人は多いのだけれど。。。

自分の内面を自分が見つけていくことで
今の自分自身に気づくことだけが出来ること。
そして、自分自身を知っていくことが他人を知ることも繋がる。

常に誰かのせいにしたり
人の噂というのは自分の意識が外だけにあり
自分の内側を見ないようにしている。
問題を見ないまま過ごし続けることもできるけれど
結局、虚しさは増すことになる。

幸せも、虚しさも発生するところは同じなのだ。
それに気づけば外側で誤魔化すことが
長続きしない意味がわかるはずだ。









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何のために今を使うのか

2023-06-07 | 最近おもうこと
お金は大事だ。
何だかんだ言っていても皆んなお金が好きだ。

何かのきっかけでお金を大きく稼ぐようになる人や
生まれつき恵まれた環境の人もいるだろうけれど
経済的な自由を手に入れている生活を変えることは難しい。
できることが出来なくなることは難しい。
できないことから出来ることへと
向上していくことは簡単だけれど
できていたことが出来なくなることは難しいのだ。

どんなに精神的なことを語っていても
驚くほどお金に貪欲な人は多い。
何もしなくても当たり前のように経済的に
常に溢れ出るお金がある人は別だろうけれど
普通はお金のことを考えお金はたっぷり欲しいと思うのだろう。

たっぷり稼ぎ物質欲がある程度満たされ始めると
美や若さを手に入れたくなり
その先は寿命に目が向くようだ。

でも、今のところ
どんなに成功しても
どんなにお金持ちであっても、結局、死は免れない。
それも、それがいつ訪れるのかも分からない。

お金のために生きる、
お金のために今を使っているのか?
自分を表現するために今を使っているのか?
何のために生きているのか?
結局何のためにかと言う、その動機を
今一度考えてみることも必要だろう。





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適正である状態

2023-06-06 | 最近おもうこと
自然の摂理の中には「適正である状態」
というのがあるのではないかと感じ始めた。

私はなんせ何でも中途半端でいい加減なので
何かの専門でもないし調べ上げることもない。
そんな私でも、ぼんやり自然を見て感じていると分かる。
「適正である状態」=「バランス」をもたらす。

人は日常の中で私たちも自然の中の一部であることを忘れている。
何故だか切り離して考えていて、
私たち人間とその他自然にあるもの、動物たちなども含めて。
それだけいつの間にかエゴが強く刷り込まれている。
人間は特別だと無意識でも思ってしまっている。

でも、個々人に関しても常に適正な状態は大事で
ある程度まで歪んでも歪みが強くなり過ぎると完全に壊れる、
または上手くいけば
その後適正な状態へと向かう事ができるかも知れない。

柔軟性を持っていい加減なくらいが
本当は上手く対応していけているのだろうけれど
近代生活をしている場所にいる人たちは
そんな人を良くは思わないと思う。

物質が多くある都会の中にいると
自分達が何でも主導できる錯覚の中にいるからだ。
常に自分がコントロールできるという力を持っている
と錯覚した状態が普通になっている。

身体は科学や医療が進むにつれて状態を治したり、
状態を良く保つ事ができるようになってきた。
でも、目に見えないだけに自分自身、
まして他人の心の状態を見極めるのは難しいだろう。








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