★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

散らかっていても年は明ける

2024-12-30 | 日々のこと
健康優良児の私が不調でダウンしていた。

最近の多忙と先日も書いたけれど
乗った電車の中で
口元を覆わずに咳をする人から移ったようだ。
その夜から熱が出て、
やっと昨日から少し動いている。
この年末に動けないなんて言ってられないのだ。

実家が近いので
お正月の前に色々掃除をやってあげなくてはいけない。
人も集まるので準備が必要だし
両親にも心地よく新年を迎えてほしい。

そんなことで、自分の家は片付いていないけれど
大した事じゃない。
散らかっていようが年は明けるのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス

2024-12-27 | ぷらっと気ままにお出かけ
横浜のクリスマスイベントに行った。

基本的には人混みに行くことは無いのだけれど
行ったことがないし誘われたこともあり行ってきた。
後、ここ数日ケーキ作りなどで忙しく
クリスマスの気分は全くないし睡眠不足で
実は頭の中で混んでいる事を
すっかり忘れていて誘いに乗ったのだ。

けれど、行くからには楽しむ気満々なので
早めに行ったせいか
一通りスムーズに見ることができたし楽しかったし
暗くなってからはクリスマスの光も綺麗で
久しぶりの人混みでも満喫できた。

期間があるものはいつだって混んでいる。
基本、出不精だけれど、
もう少し出かけてみるのもいいものだ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マナー

2024-12-26 | ちょっと、ひとりごと
電車や街では
マスクをしている人がとても多い。

風邪やインフルエンザなども流行っていると聞く。私も周りも調子が悪い人はいないので分からないけれど…

電車などで咳をしている人は
マスクをしているからなのか口元を手で押さえる人をほとんど見ない。

それは、やっぱり嫌なものだと感じてしまうのは私だけだろうか?
近くで口元を何かで覆うこともせずにゴホゴホされるのはさすがに気になる。

マスクをしていようが咳をするときは
やっぱり口元を手で押さえるか
何かで覆って欲しいと思ってしまう。

マスクをすることと、マナーは違う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人の想いと、自分の想い

2024-12-24 | 最近おもうこと
自分の持つ想いと、
人の持つ想いにズレがあると
怒ったり、落胆したり絶望する人もいる。

その時の心に湧き起こる感情は
瞬時に来てしまう。

恋人
親子
仕事
どんな距離の関係であったとしても
他人と関わるのなら
自分ではないのだから
完璧に自分と同じと言うのはあり得ない。

例え、会話をして自分の想いを
伝えていたとしても
相手が完璧
自分の真意を受け取っていない場合もあるし
少しズレて理解していたり
もしかしたら、全然理解していない場合もある。

自分の想いは
他人に押し付けることが出来るものではない。
少し共有できたのならいいのだ。
そこで勘違いして、
他人も自分と完璧に同じだと思い込むのは
大きなも違い。

何かを具体的に共有したいのなら
その最優先ポイントを話してみて
相手も共有したいのか
確認してみることも必要かもしれない。
最初は共有したいと思っても、
途中から相手の思いは変わるかもしれない。

勝手に「共有」していると思い込まないこと。

自分の想いは自分の自由。
他人の想いはその人の自由。

他人の想いを自分の想いで縛り付けないこと。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人に従うより、自分の心に従う

2024-12-22 | 最近おもうこと
何をするにも
「こうあらねばならない」
「まずは、こうしなければいけない」
と言ったように
何でも気軽に勉強したり、教えたり
目に見えない世界のことであっても
情報が簡単に手に入るせいか
やたらと「こうあるべき」だと言うことをよく聞く。

何でも、誰でも、
そんな事を言うけれど
本当にそうだろうか?

今日と明日で自分や状況は変わらない。
そんな事を追っかけるより
自分の軸で感じて考えてみる方が大事だ。

何も感じない人は影響されていないかもしれないし
やったところで大差ないかもしれない。
そのままで問題もなく快適ならそれでいいのだ。

例えば、資格がないとできないものなど
必要に応じて取る必要があったとしても
必要もないのにやたらと資格や肩書きから欲しがり
なかなか実際の行動が始められない。

肩書きだけで満足してしまったりするのは
いかがなものだろう?
資格がないことで自分を卑下したり焦ったり、
それを言い訳にダメなままでい続ける。

必要な物事なら
自分流であったとしても、
誰かに従わなくても、
自分の元に来る時はくる。

頭でばかりうんちくを積み上げても
大事なものが遠ざかっていくこともある。

まるで一つしか選択がないように
がっかりしたり怒ったりするけれど
本当は選択は幾つもあるし機会もある。
自分の思考、視野が狭いだけの話で
そもそもは、
それがダメなら必要のないことなのかもしれない。

人に怒ったり、がっかりしたり。。。
自分に怒ったり、がっかりしたり。。。

「こうするべき」
そんな思考や言葉に制限されて
心を縛り付けてしまっていないか見てみよう。
意外と、日常の中に多いものだ。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もっと心の声に敏感になる

2024-12-20 | 最近おもうこと
人生は一つ一つの些細と思っている
本当に何げない選択から作られているのだと
最近つくづく感じている。

日々、無関心に選択したり
行うと言うことがとても多い。
中には嫌々行っていることもあるだろう…

私たちは、もっと心の声を聞く必要がある。
頭で考えた選択や行動に慣れ過ぎて
自分自身に物事を強制していることさえ気づいていない。
例え、それが些細な事だとしても…

人は生まれたからには、いつか死を迎える。
それがいつかは普通は分からない。
けれど、これも様々な選択や行動の延長線上にある。

いつか来る寿命まで
大いに充実して全うしよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理解すること

2024-12-19 | ちょっと、ひとりごと
今は、いくらでも好きな情報を
様々な角度から、様々な深さで取る事はできる。

けれど、そんな現代でさえ
自分が好きな、信じたい、
理解できる程度の深さのものしか見聞しない。
例えば、とっても浅い知識であっても
「自分はよく知っている」
と様々な多くの自分が選んだもの
見聞することによって錯覚し思ってしまう。

そのため、やたら理屈くさくなっている。
自分が理解できる程度
そして信じたいものだけを選んでいる自覚もなく
浅い理屈で素直に聞くことができない。
そこに「自分は知っている」と思っているので
さらに本質を見聞する事はない

自由に、多くの情報を選択し得られるということは
そう言った短所もあるということなのだろう。
物事には短所と長所があるので
私たちの使い方次第で
良くも悪くも使えるし学べるということなのだ。

私のような普通の人は
多くの情報をとりすぎるのも
地に足がつかない状態になり
自分の身にはならないように感じる。

それよりも、コレというものを見つけたのなら
じっくりそれを理解することの方が
役に立ち、学ぶことができる気がしている。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナログな日

2024-12-18 | 日々のこと
先週、箱根に行っていた。

いい機会なのでデジタル機器は持っていかず
スマートフォンで必要な連絡は取れるだけにした。
けれども、私のスマートフォンの電波が悪く
滞在場所ではほぼ使えない状態に。。。

それはそれで、ちょうどいいと
デジタル機器から距離を置くことに。
普段は見ないテレビをつけても
特に見たいものもやはり無いのでテレビも消していた。

温泉につかったりしてのんびり。
本を読むつもりが、眠くて眠くてあまり読めずに
お散歩と温泉と睡眠で終わった。
場所が変わると、その場所に合うまで
しばらくの間、眠くなってしまうのだ。

最近は言語の壁も無くなってきているようで
ホテルのスタッフさんとお客さんとのやりとりは
それぞれがスマートフォンのアプリに音声を入力して
お互いの言語を変換して伝えるようにしているのを目にした。
言語ができなくても、意思疎通ができるので
外国に行っても問題は随分解消されているのだろう。

私はデジタル機器から離れ
「会話する」ということを改めて楽しめた。
たまには意識的にアナログな日を作るのもいい。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

与えられる

2024-12-14 | 最近おもうこと
自分には何が出来るのだろう?
そんなことを探していた時期が長くあった。

それがいかに傲慢なことであったか
今は気づいている。
何でも自分でやっている気になっていたのだろう。。。
だから息詰まるようなものに
必死に食らいついて何とかできると頑張っていたり。

うまく回るようなものは流れがスムーズであり
そんなにしがみ続けなければならない
ようなことにもならない。

上手くいかないのに
あの手この手で何とかなると
「それ」に固着して
他はないように感じたりしてしまう。

本当は「自分でやっている」のではなくて
与えられることに意志をもって
熱心にやることが流れになるのだと思う。
どこかで、自分の欲といういやらしさが入ると
またその流れが変わってしまうけれど。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お互い様で生きる

2024-12-12 | ちょっと、ひとりごと
人は完全に一人で生きて
一人で綺麗に完結できる人はほとんど居ない。

どこかで誰かに助けられていたり
協力してもらって生きている。

中には多くの事柄をお金を払って
仕事として助けてもらい
老後も全てお金を使って
病院やホームで面倒を見てもらい
最後は弁護士さんなどに片付けてもらうように
依頼しておくこともできるかもしれない。

けれど、一般的には誰かの手を借りているのだ。
私はお互い様だと思っているので
手を貸してくれる人がいるのなら
その人に感謝して素直に手を借りればいいと
最近はつくづく思う。
手助けが必要なのは一目瞭然なのに
遠慮して断り続けるのはかえって感じが悪く
周りに気を遣わせたり
結果的に手を煩わせることになりかねない。

素直に「ありがとう」でいいのだ。
自分でできることは極力自分でし、
誰かが助けてくれるのなら感謝して助けて貰えばいい。
誰かという相手がいるのなら相手を尊重し甘えればいい。

素直で可愛らしく生きればいいのだ。
誰かの思いやりや優しさの行為を突っぱねるような
わがままでひねた
可愛げのない生き方を選ぶ必要はない。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする