昨夜は奇妙な夢をみました。
夢の中では、人が憑依をされているように
残忍なことをする人たちがいて
それを私たちが退治している。
私たちがその主犯格だと思っている人を
やっと仕留めたのにもかかわらず
何故かまだ残忍なことが起こる・・・
最終的に私たちが見逃していたことに気づく。
その主犯格は寝たきりの植物状態のおじいさんで
そこにいってハッと気づいて即座に仕留めるのですが
何故かキムタクがチームのメンバーで
その人を仕留めたのは彼でしたが・・・
それらを仕留めるのは残忍なので書けませんが
夢の中では怖くもなんともなく退治する方法なんですね。
最終的に意外な主犯格を見つけ仕留められて
戦いが終わってみんなホッとしている。
そんな、何故かキムタクが出てきた夢でした。
人の感覚は面白いもの。
自分が認知しているもの、信じるものなどで
全てをその枠の中に入れ込もうとしながら物事を考える。
全くもって、その枠からははみ出させたくないように・・・
どんなことでも自分が知る物事は
ホンの一部にしか過ぎないにもかかわらず
それを認めずにいるようです。
自分には思いもよらないような物事や考えや思いは、
もっともっとあると思いませんか?
私も、今思うと多くのことを自分が体験したことに
基づいて決めつけていたことから
またその現実を生み出していたようなことが多くあったと思う。
純粋にオープンにただ物事を受け、
流れていくようになるといい・・・
大人になるにしたがって
少しづつ、純粋がゆえに傷ついていくのを恐れ
また、少しづつ閉じてしまう。
それが普通の大人になる過程なのかもしれない。
その対処法で自分が傷つかないように、
被害を及ばないようにすることが大人の賢さと考えたりする。
本当は、純粋でオープンであるということと
大人になるにしたがって得た知恵を融合することができるはず。
そうしたら、もっと新しい可能性を秘めた人生を
つくり出していけるかもしれませんね!
たまにゴルフをするとき、
何年も行かなかったりするときもありましたが
最近は頻繁にはじめています。
ずっと前に買ったクラブは化石のようだといわれていますが・・・
ちょっと、1,2本買いたいものもあります。
ただ、高いのですよね~
私のレベルだと何を使っても大差ないくらいだし
もう少し慣れてからでもいいような・・・
年齢と共に身体を動かす趣味が持てるといいですよね。
10年ってあっという間に過ぎるので
これからの身体のことも考えて
少しでも自由に動かせていけるようにしないと。
若いときには全く考えていなかったことです・・・
去年の秋に足を怪我しましたが
今も元には戻っていないので不自由さは痛感しています。
何事も実際に経験すると実感としてあるので
考え方にいかされていくようです。
こつこつダイエットは続いけていますよ。
一週間に一度くらいは書いておかないと
挫折しているように思われてしまいますから!
食べながら運動もしてゆっくりですが
少しずつやっていますが
逆にしっかり食べながらというのは大変だったりします。
最近はこの暑さでしっかり眠れない夜もあります。
新月や満月付近は同じくらいの時間に
必ず起きてしまうのですが・・・
満月が近いときは特に必ず起きて月を見て
またひと眠りが毎晩になっていました。
身体も習慣も少しずつ変化したいときのようです。
この情報社会になって自分の感覚を、
または想像を使う機会はどうなっていっているだろう?
劇的に減少しているだろう・・・
全ての感覚、第六感っていうものも混乱している。
情報や本など誰かの言ったことを
自分の出来事のように置き換えるような
思い込もうとするところも
自分が欲することに基づいて得た情報によるものだから
仕方がないことかもしれないけれど
あくまで、自分と他の感覚に境界線は認識したうえで
共感するということが大切な気がする。
自分でクリエイトするもの・・・
感覚や想像力は手取り足取り効率よく
誰かが勉強の仕方を教えられるものではない。
効率よく、合理的にものごとを進めることは発展した。
その分、その真逆にあるものから身につくものは減少した。
何がいいのかは分からないけれど
自分の感覚に耳を澄ませることを根気よくし続けることは
人生を自分自身が少しだけだとしても
理解するのに役立つようです。
日差しが強すぎて外へ出るのも躊躇してしまいます・・・
今週からゆっくりできていました。
ちょっと日々の計画を立てよう。
子供の夏休みの過ごし方じゃないけれど、
集中できるときにリズムも作れるし成果がでるのじゃないかと・・・
大人になると毎日追われるように一日が終わり
そんな日々の繰り返しで毎年過ぎて
気が付くと何年もたっている。
10年、20年、30年・・・
そんな風に10年単位で考えても
無駄に過ごしてきたときも沢山私はある。
いい年になっても子供の時から大して本質は変わらない。
少しだけ自分自身のことが分かったり知恵がついただけ。
忙しさにかまけて自分に言い訳をしやすくなるのも
大人の言い分でもあるのかも・・・
自分の代わりに周りに努力させることもできる。
私は代わりになるものもないし
今までほとんど何かに向かうことで
新しい答えを見つけられたから
自分自身で何とかするしかないと思っている。
実のある人生にしたいから
自分の人生を豊かにできることをいつだって探そう。
私は今週になってエネルギーが変わった気がする。
今はまだ分からないけれど良くなる。
良いと思う人、悪いと思う人に分かれるだろうけど…
私のエネルギーってことは、もちろん全体にとってもということ。
今までとは変わっていくようだ。
在るべきことは本来在るべきことへ・・・
必要な場所へと降りていく・・・
守られるものは守られ、崩壊するものは崩壊する
幻想的な不確かさが崩れるのも時間の問題になる
正しいと思っていたものが不確かに見えるのなら
正しいはずだとしがみつけばつくほど
より深みにはまるだけで苦しさは増すような・・・
自分の下にくるもの、こないもの。
執着ではなく必要か?天に任せる時代なんだ。
立場が違うから理解できない?
独身、既婚
子供がいる、いない
既婚で子供がいても正社員として働いている、専業主婦
働いている、いない
などなど、いろんな社会的立ち位置がある。
同じような環境にあれば同じ?
そんなことはなく、
同じような環境だろうが人それぞれ考え方は違う。
環境や立場を言い訳にすることもできるし
そんなことを利用せずに努力したり希望するもののために
頑張ろうとすることもできる。
よく、社会ではグループ分けをしようとするけれど
そんなのはナンセンスで一緒になんてできない。
言い訳に使えるものがなかったら?
自分と他のモノを比べたりする必要もないし
とやかく言う必要もない。
もっともっと、それぞれが個として自立したら
色んなことが変わっていくでしょうね。
ダイエットを始めて一週間。
―1.5です。
年齢的にダイエットも難しいのですが
焦らず成果を出せる方法を見つけていきたい。
体脂肪をもう少し落としたいので・・・
そんな感じで、ちょっとダイエットしても
落ちなくなってしまった年齢だけれど
今回は気合を入れて試行錯誤しながらやっています。
八月末のパーティーまでに少しはスッキリしたいし。
陰と陽というものがあります。
詳しいことは分からなくても
これは、どちらも同じようにバランスが大事ということ。
常に「もっと、もっと!!」と欲を尽きなく求めようとしては
そのバランスが崩れるというようなもの。
人はどこが満足するポイントか、
どこが立ち上がらなくてはいけないポイントか
気づかなくなってしまうことが多い。
だから、その「いい時期」や「悪い時期」が
もっともっと拡大すると勘違いしてしまう。
「いい時期」「悪い時期」どちらも徐々に訪れる場合
突然ドンっと訪れる場合とあるけれど
その時期をどう見ることができるのか?
不思議なもので陰には陰
陽には陽と惹きつけ合うような気がする。
ただ、何を陰、陽とみているかにもよるかもしれませんが・・・
少しだけ大きなスパンで物事を眺めてみる。
「今」だけに焦点をあてるのは行為ということ。
ここを勘違いしているのではないか?
どちらにしても、
「足るを知る」ということを忘れてはいけない。