★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

やるべきことに目を向けること

2014-10-27 | 日記


自分が何かを選択した後、後悔することはないですか?

今、私がそんな状態だったのです・・・

でも、自分の考えに沿って選択したことだし

与えられた事をしっかりしていく中で

何かが足りないのなら又考えればいいと思い直しました。

自分が決めて出した結果に

いつまでもウジウジなんて駄目ですね~


どの選択も間違いはないと感じたのです。

結果的に何か違うと思ってもやるべき事をしている中で

きっと必要なことは得られるはずですから

間違った選択なんてないわけですし・・・


その場所でやるべき事をする。

何もしないで手元にないものばかり見て

やるべきことさえやらないということは案外多いものです。

「こうだったらいいなア~」と今に不満を持って

いるのは今が台無しになるわけで

今にしっかり目を向けられなくなります。

未来にばかり目を向け、今に目を向けられないのは

ずっと同じままで同じところをクルクルと

自分のしっぽを追いかけるようなものです。


まずは、今いる場所で出来ることをしっかりやる!

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自殺は罪なのか?

2014-10-23 | 日記


今日また電車の事故直ぐの駅を通りました。

運転を再開して直ぐだったので、

まだ周りを片づけをしている状態でした。


どうしてそんなことを・・・と思いましたが、

きっと苦しくて、悲しくて全てに絶望していたから

全てを投げ出したかったのかもしれません。


もっと、そういった絶望を助けられることは

ないのだろうか?


それで、その者たちはその後どうなるのだろうか・・・


そんな事を考えていた時に

私なりに理解したことがあります。


自分で自分を殺めると

もっと苦しみを味わうことになると聞きます。

でも、何に罪を負うことになるのか?

罪というものがあり、

罰というものがあるのか?疑問でした。

苦しんで苦しんで耐えられなかったことが罪なのか?


でも、これは罪や罰というものではない

のではないかと感じます。


私が私なりに認識したのは

絶望のあまり、肉体を投げ出しても

自分がしたことに驚愕し

この絶望と驚愕のループの中に

捕らわれるのでないかと言うことです。

その意識が強いので同じループの中に

留まってしまうのだと思うのです。


意識がこの捕らわれのループを創り出して

しまうのだと感じるのです。

だからこそ、抜け出すのは大変なのではないかと・・・

この創造した捕らわれの枠に気づくことが

いかに難しいかということです。


私たち自身が常に意識から創造した世界を創り出します。

でも、ある時点でこの意識が広がったときに

物事の理解が変わるのでしょう・・・

でも、肉体から解放されても持っている意識が

頑なに縛られていると、

やはり同じままの意識に憑りつかれ

続けるのではないかと思うのです。


だからこそ、自然のサイクルということが

穏やかに移行する上で必要になるのだと思います。

全ては自然の摂理です。


意識が自分の世界を創造する・・・

なかなかこれを理解するのは難しいことだと

いうことは分かります。


難しいことは理解する必要もないと思います。

どんなに苦しいことがあっても

必ず抜け出さるときがあると

もがいてでも、少しづつでもいいから

前に進み続けることです。

必ず光は見えるはずです。

一番いいのは楽観的でいられることですが

こればかりは性格によって異なります。

だから、どんな性格の人でもできることは

苦しくてどん底にうずくまってしまう

時があったとしても、しばらくしたら

どん底で立ち上がることです。

なかなか暗闇から出られなくても

少しでも進むのなら違う場所へと

進んでいるということですから・・・














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死を考える

2014-10-09 | 日記


昨日はある事故現場に遭遇しました。

救急隊がきはじめたので、

私は仕事があるので直ぐにその場を離れましたが・・・

たぶん、助からなかったのではと思います。


肉体というのはなんだろ?と、とても感じました。

自分で選んだ死なのか事故なのかは分かりませんが

病気でない死というのは

生と死が一瞬で分かれる場合があります。

この肉体という器に大きなダメージが加われば

私たちは死にます。

当たり前のことかもしれませんが

平和な国に生まれ安全が当たり前になってしまうと

この当たり前なことさえ

忘れてしまうのかもしれません。

死が遠い存在のもののような

気がするのかもしれません。


常に死が身近にあるような職業の方と

身近にない方とでは又見方が違うでしょう。

もちろん、国によっても違うでしょう。


最近は事故などを目撃すると

こぞって携帯で写真を撮ろうとしたり

SNSを使う人を多く見かけます。

とても不愉快になります。

これはどういう感情からやっているのか

全くわかりません。

そういう人は、自分も事故にあったときや

事故で亡骸になった姿の写真を

ネット上に流されたいのでしょうか?


それぞの見方、考え方があります・・・

私はアナログですが、必要最低限でいいです。

あれもこれも知りたいとも思わないし

小さな自分の世界を満たしながら

周りも幸せであればそれでいいですね。

充実して生きられるように・・・

私たちが生の中に今いるならば

そこには常に死もあるということを

忘れず毎日を周りにいる人と共に

充実していけるようにしなくてはいけませんね。

この肉体とこの環境や人間関係を持っている

この時を充実させなくては、と感じるのです。


全てが上手く絡み合い組み合わさって出来上がっている

ことを考えると、今を活かさない手はないと思うのです。

そこで何を得られ生み出すのかは分かりませんが・・・

だから1つの生、

この時を大切に活かす必要があると思うのです。





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