★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

魂との繋がり

2024-04-30 | 最近おもうこと
最近は改めて人生を考えている。

今までの自分はどうだったのだろう?
いつも自分の人生を生きているのだろうか?
嫌々やり続けていたり妥協してばかりいることはないか?
いつも自分が選択しているのだろうか?
本当にそれは自分がしなくてはならないことか?
責任を自分に課すことばかりしていないか?

そんな風に見返したり、どうしたいのか見返したり。。。
自分勝手なように感じて罪悪感が出たら
本当にそれは自分が単に放棄しているのか、
単に自分勝手な言動なのかよくよく観察していく。
もしかしたら、子供のことや親のことなど
自分の責任として、義務として
自分自身を追い詰めすぎている人もいるかもしれない。

自分の人生として、魂として生きているか?
考え方や想いは「自分の中からくる」ものだけではなく
周りや育った環境などが多大に影響していることもある。

人は自分の人生を生きるために在る。

日々の一つ一つの何気ない選択も
自分自身が心から願い思ってのことなのか
改めて考えながら選択して過ごしていく。。。

魂として生きようと選択すればいい。








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できる人の会話

2024-04-29 | ちょっと、ひとりごと
本当に文章の中に英単語を混ぜて話す人がやたらにいる。

大学受験をしていればそれぐらいわかるだろう
と思われるかもしれないけれど
本当にみんなわかっているのだろうか?
一回話すたびに4、5個も単語が入る人もいる。

特に、ビジネスマン、実業家、クリエーターなど
中には政治家などにもいる。
ルー大柴さんくらいのレベルならまだ分かるにしても
そのミックスは変なところで突然入りレベルも私にとっては高い。

日本語で伝えるときは横文字は入れないようにしようと
私は思ってしまうけれど
きっとあまり英語ができないからだろう。。。

昔、誰かが会話の中に「そのソースはどこにあるのか」
と言ったようなことを話した時
私はソースという単語の意味が分からなかったので
頭の中では
「・・・?ウスターソース?何ソース?」
「ソースだから何か味付け的な意味なのか?」
と、一瞬頭の中でその未知の単語の意味することを想像しながら
話を聞いていたことがあったっけ。。。

きっと、英語が得意な人はつい出てしまうのだろう。





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権力を持つと隠れるもの

2024-04-28 | 最近おもうこと
権力、お金や立場などで力を持っていると言うのは
本音で接する人がいなくなっている場合がほとんどだ。

そんなことはないと思っても実際はそうだし
本音を言って欲しいと言っても、
長い間無難に接する人や感じよく接する人に囲まれていて
失礼な人やカチンとくるような言葉を言う人がいないので
本音を言われると「失礼だ」と絶縁されてしまう。
いつでも自分が言うことを熱心に聞く
またはフリをする人ばかり。

本当に力を隠すような人はいないので
当然ながら「お近づきになっておけばご利益が。。。」
と考える人が多くなる。
なかなか付き合いのある人たちの本音を知ることはない。
その上、自分自身も知らない間に
エゴが顔をもたげているけれど
それは影に隠れて気付かなくなっている。

世の中の人たちと言う目で周りを見た時
感じが悪い人、失礼な人たちに出会わない率は高くなる。
普通と言われる人たちはそうやって接していることが多い。

人はそうやって自分の利益を考えて接している場合が多い。
力を持った人は気付かぬうちにエゴも強くなっているので
本来の自分自身を省みることが大事になるわけか。。。

この世では、いつでもプラスとマイナスのバランスを
調整するように学ぶものが含まれていくのだろうな。
結局は自分自身の魂磨きを怠ることはさせないけれど
それをどうするのか選択するのは自分次第
ということもさせてくれる。







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しあわせ

2024-04-27 | 最近おもうこと
人は幸せなこと、満たされていることがあるのに
一つの不幸や不満に意識を向ける。
向けるどころか集中するぐらいだ。
そうやって1日を、人生を無駄に使ってしまう。

そこから逃れられないわけでもないのに
自分で逃れようとせず、自ら入っていこうとする。
関わりを断ちたいと言いながら
断ちたくない思いが勝っていく矛盾もある。

自分がどこに意識を集中するかでも見えかた感じ方は変わる。
些細なこと
遠い昔の古傷
そんなことまで意識を向けようとする。

日々の幸せに感謝し意識を向けよう。
幸せも、不幸も自分で決められる。
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大人も子供も年齢の違いなだけ

2024-04-26 | ちょっと、ひとりごと
10代、20代
またはとても年上の人を見るとき
親や他人でも自分よりずっと年上の人に対して
「しっかりした大人」
「全ての悩みはすでに卓越して素晴らしい答えを持っている」
「しっかりした常識と包容力を持っている」
「物事の多くを知っているのだろう」
と見たり、勝手に期待を込めた見方をしてしまう。
ひどい時には私の方がずっと若いから甘やかしてくれるとまで
意識、無意識に関わらず思っていたりもする。

これは完全な誤解。
単に年を取っただけのことで、
知恵がついたわけでも、
人間的に深くなったわけでもない人は多いのだ。

相変わらず考えていること
やっていることや自分勝手さも変わっていないもの。
だから、自分より年上の人に対して勝手な妄想をしてはダメだし
妄想される方も迷惑だろう。
失礼な態度を取らなければお互い問題はおこらないだけ。

60代以上でも相変わらず恋愛、出会いなどで悩んでいたり
実は知らないことばかりだったり
そんなものなので、若者の手前は年を重ねた分の態度をとっているだけ。
特に、自分の子供の前ならなおさら。。。

やっていることも、考えていることも、思うことも
悩みもそんなに変わらない。
人間はそれくらい同じことを繰り返す生き物なのかもしれない。






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短縮される言葉

2024-04-25 | ちょっと、ひとりごと
日本語も短縮していったり
英語も短縮していったり
何を意味しているのか分からない。

伝えるために発言、発信するなら
相手に理解してもらえる言葉を使うのだろうけれど
発信する人も、それを理解する人だけを対象に考えているのだろう。

今のところは困るわけでもないし
私は時代についていく必要もないので取り残されておこう。


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見合った運動をしよう

2024-04-24 | 日々のこと
日本は長寿国だけれど
寝たきりの期間も平均10年と言われるほど長い。

私は動ける身体を目指しているので運動はしている。
それで気づいたのは
一般的に中年以降の人向けの運動というのは
本当に本当に老人がするようなものばかりが多い。

全く人生で運動をしていなかった人、
やらないよりはやった方がいいと考える人向けなのか?
老人と呼ばれる年齢の人だって現代はもっと活力もあり動ける。
それを40、50代の人の運動で
それはないだろうと思うような簡単なものばかり。

全く運動していない人が重い腰を上げて
始めるにはいいかもしれないけれど
そんなものを続けたとしてもやらないよりマシという程度で
身体的には変化を感じないだろう。

今は寿命も長いし身体も若い。
もっともっと動けるのだから
動けるうちから少しづつ始める方がいい。
急に初めて身体を痛めたり、痛めたから始めたとなると
また出来なくなってしまうので
問題がないうちから丈夫な身体作りを見合ったもので始めるのが一番。
激しい、きつい運動なんて無理にしなくてはいいけれど
慣れてきたら少し変化をつけて運動して見たらどうだろう。








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映画の話

2024-04-23 | 映画
久しぶりにディカプリオ主演の映画「インセプション」を見た。

公開当時に見たとき興味深いと思って見た記憶があったけれど
改めて見てみると更に興味深いものだった。
多分、1回目にはちゃんと理解しきれていなかった複雑さが
今回分かったからだと思う。

夢の中の夢をコントロール現実を書き換えるのだけれど
それをより深くしていくので
話が途中からよく分からなくなったりする
場合もあるのかもしれない。

人が現実だと思っているこの現実は
本当に現実なのだろうか?
自分が夢の中にいる時はそこは現実になる。
たまに、夢の中で夢を見たり
夢の中でその夢をコントロールできることもあるので
その時は、夢から覚めた自分がそこにいて
現実を作っているけれど
それもまた夢だ。

起きた時に一瞬、
今起きたここは現実なのか分からなくなることもある。
夢を作り、夢を書き換え、現実を作り出し、現実を書き換える。。。
私たちも日常でこのようなことをしているのかもしれない。

常に目的意識を明確にしておかなければ
意識は混沌としてしまう。
または、単に日常のどこかで
人生を諦めていくことを選ぶこともある。

望む現実を引き寄せること、
歳をとることを引き寄せることも
全て自分が許容していくものなのかもしれない。

自分は望む現実を生きているのだろうか?
望む現実を生きるために
ここに意識を向け
自分がやるべきことをしているのだろうか?

興味深い映画でした。








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根気よく時を待つ

2024-04-22 | 最近おもうこと
同じ話を聞いたとしても、その理解度は違う。

自分のレベルで解釈ができるのだから当然なのだけれど
これが日常全てにおいて言えることなので
物事をややこしくさせていく。。。
社会生活をしていれば
様々なレベルの人が混ざり合って生活しているので難しい。

同じ説明をされて理解できるかできないか。
さらには、その意図をより深くまで理解する人までいる。
学校でも会社でも、さらには自分の興味のある事柄や
趣味や勉強している内容に関しても
何でも、どこでも、いつでもそんなことが起きている。

それなのに、この社会では
同じ場所で同じやり方をしなくてはいけない。
大きな視点で見れば、その差も大したことないのだけれど
私たちからしたら大きな差になる。

さらに理解できていないことも理解できない。
理解できずにいると
些細な理解さえも全て理解したかのようになり大騒ぎする。
それもまた、そこに囚われてしまう。

最近思うのは、どんなに理解しようとしても
どんなに勉強していても
その時が来ないと理解できないのではないかと言うこと。
それは個人差があり上手な説明をされても理解できず
様々な条件が揃った時にスッと入ってくるような気がする。

どれくらいの期間なんて関係なく、頃合いがあって
条件が揃わないと理解につながらないので
みんなで仲良く理解しようとしてもできない。

誰かにとって簡単なことでも
自分にとっては簡単なことではなく
土台さえもないまま積み上げることだけで
何とかなるんじゃないかと考えるけれど
やっぱり積み上げることはほとんどできず崩れてしまう。

今できないことでも
静かに土台作りを試行錯誤して続けていると
いつの間にか作り方が見えてくる時がある。
投げ出さないことが可能性を生み出す。




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作られない美

2024-04-21 | ちょっと、ひとりごと
外見と内面にギャップがある人は多い。
私もそうだと思う。

若い頃、
「育ちが良さそう」
「大事に育てられてるって感じ」
とかアルバイト先の先輩や大人からよく言われ
そう見られていることが何故かとても嫌だった。

意識的に変えていった自分があり
それとはまた別に内面の表れも混合して今の外見がある。
今はガサツで育ちが良さそうとは一切言われない。。。

そう思うと、人は一体何を見ているのだろう?
完全に内面を見ている人もいれば
完全に外見しか見ていない人もいる。
人それぞれ、勘があるけれど
自分で勘がいいと言う人ほど当てにならないものはない。
とにかく、そう言ったものもひっくるめて感じとる。

外見は自分がなりたい自分、
人がイメージする自分に近づけることはできる。
けれども、内面はそう簡単に変えることはできず
変えたと思い込もうとしてもなかなか上手くいかないものだ。
外見ばかりに意識がいき内面を置き去りにすると言うことは
人生の課題をいつまでも放っておくと言うこと。
その課題を外見に費やすことで
自分自身を誤魔化していこうとすること。

外見は他という対象があって意識する。
内面は表面的には他という対象があるような錯覚をしたとしても
実際はそこには自分自身しかいない。

人が複雑にしているだけで
根本的には全て単純なこと。。。
外見と内面、内面を表現するために外見がある。
美しさは自然なバランスの中に現れていく。












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