無事に日本に帰って来ました〜
年内いつまでにどうしなくちゃならないのか考えなくてはいけません。
まず、予定を考えてからやる事をやっていかなくては…
外国に住んだこともなければ
全部片ずけて何処か見知らぬ場所へ越したこともない私には
全て未知すぎて何をしていいのかも分からない。
必要なことをやるだけです。
先のことは今は分からないし…
自分のことはなかなか分からないけれど
漠然と思っていたことって当たるんですよね。
自分でお店を作る時も、
ずっとココ(日本)にいるか分からないから一人で出来る規模にしようとか
全く海外への憧れも希望も無いのに何となく感じていた。
ふざけて私は50歳から英語を学ぶのに
巷では30歳から英語を学んだ英語本を見かける。
こんな年齢からでも出来るって意味ですから、
もしも私が出来るようになったら本も出版できるかも!?
って、感じでふざけて言っていたのに
海外へ行くことになったのも当たってしまった…
当てようと思わないことの方が
進む道を感じているのかもしれませんね。
何処ででも、自分が出来ることを精一杯やるだけです。
私は多数の家庭に入り込んで、
それぞれの家庭の在り方を経験してはいない。
多くの人はそうだろうと思うけれど…
自分の家庭や結婚相手の家庭、
もしくは恋人や親戚の家庭などと限られている。
それも訪ねる程度ではなく、
そこでしばらく過ごしてみないと生活は分からない。
私は自分の育ってきた生活を普通だと思うけれど
全く違う生活を普通だと思っている人も
もちろんいるわけです。
望んでいる生活スタイルもあるだろう。
生活の中の優先順位もあるだろう。
だから、誰かと生活を共にする又は家庭を築くと言うことは
問題も起こってくるのだと思う。
どちらか一方が自分の見方を押し付けるのではなく
どちらも受け入れ、どちらも意見を出せるようにしなければ
同じ「普通」はほとんど無いだろう…
ただ今アメリカにいるので、
ここ数日はワールドシリーズを夜な夜な見ています。
レッドソックスとドジャースで、
昨日は7時間以上にも及ぶ熱戦を繰り広げて盛り上がっています。
日本人では前田投手が頑張っています。
昨日も素晴らしい活躍でしたー
レッドソックスの大谷選手がワールドシリーズには出ていないのは残念。
面白い試合展開なので見ています。
さて、もうすぐにほへ帰るので
仕事と引越しのことをしていかなくては…
自分にとって必要なものを得るために
必要な物事に遭遇していく。
運が悪いとか思ったりすることもあるけれど
きっと、どういった物事が起ころうと
その中から最善のモノを手に入れることもできるのだろう。
肯定的な見方をして楽観的に進んでいけたら
最悪だと思う物事の中にも必要だったものが見えてくる時が来る。
やっと少し思えてきたのは、
間違った選択は何も無いという事。
そうは言っても、
「ああしておけば…」とか思ってしまう時もあるだろう…
でも、どの選択をしていこうが
その中から必要なモノを得られる。
やるべきことは、常に今いる中でベストを尽くし
楽観的に洞察力を持って前に進んでいく事なのだろう。
何かしらの利害関係で本音を隠してお世辞を使って
それをずっと貫き通すなら良いけれど
こちら側では本音を喋ったり別の顔を見せるから人間関係も問題が起こる。
まだまだお世辞やおべっかが好きで見抜けない人も多いし…
打算的でいることもまだまだ上手くできる。
利害関係の中で上手くやっていく人たちとそうでない人たち。
そのうち、もっと分かりやすく別れていくような気もするのだけれど…
どちらにしても自分が心地よく、
自分が在ろう自分でいられるようにいることだ。
人には沢山の側面がある。
今は強く出ていない側面でも、自分で自覚のない側面や隠れた側面がある。
もしかしら、ニュースで見るような犯罪者に見る側面や
善人に見るような側面を持っている。
全ての側面を自分も持ち、他人にもあると見れば
少し違って周りを見ることができるかもしれない。
大きく違って見えるかもしれないことが
案外、大差ないことだったのかもしれないと感じる…
何となく、自分たちが感じる「差」自体も
本当は大差ないことなのかもしれない。
全てのものの見え方が狭すぎるのが
物事を困難にしてしまう原因なのか…
自分にも他人にも大きな見方をすることで
考えも気持ちもゆとりが出ていくだろう。
自分が見る何かや誰かは、
きっと自分の中にもあるものなのだろう。
この時期、アメリカの至る所でハロウィンの飾り付けが見られます。
コマーシャルから食べ物などもね。
こう言ったものを見ると日本と比べて
ビジネスの規模の大きさを感じたり私はします。
モノに溢れている…
広いからモノが増えるということもあるだろうけれど
これから、私自身はモノを増やさないよう
シンプルな生活を保つように心がけよう。
歳をとっていくのに多くのものは必要ない。
多くのものは手に負えないだけだ。
必要なものと少しの贅沢がそこにあればいい。
これから、未知の生活になっていくけれど頑張ろう…
自分の世界をどれほど自分自身が狭めているのか
当の本人は気づかない…
その制限がどれほど小さな世界にしてしまっているのか
考えたことがあるだろうか?
それが自分をどれほど苦しめているか…
見方を変えることに怖れがあるのかもしれないし
くだらないプライドが邪魔をしているのかもしれない。
そのプライドが保てることが最優先ならば
守り続けて苦しむことも苦にならないことになる。
けれども、苦しく辛いなら自分が変えるべき必要があることを
考えてみなくてはいけない。
理想に近い、または理想の人生が送れていたのに
人生が理想通りでなくなることもある。
何も比べるものがなければ、
それほど辛さを感じないかもしれないけれど
何かしら上のものを望むから制限が生まれるのではないかな。
こうでなくちゃ
こうあるべき
苦しい時は理想にしがみつかずに
必要な扉を自分で開いていくことだ。
それが自分の制限を緩め
新しい世界を作り出すということだ。
個人の人生と他の人生を混合してしまうことがある。
恋人、夫婦、親子など近しい関係の中によく起こる。
ある時期までは親が子供の人生をコントロールするけれど
段々と親も子供もその関係を変えなくてはならない。
どんなに近い関係だとしても、
それぞれが個として自立しておくことが必要なのだと思う。
どちらか一方がパワーを持っているような状態は良くない。
自分の責任をしっかりそれぞれが持つように
一方的なパワーを持つことには注意したいもの。
自分の人生の中だけに生きる現実から目を背けるために
誰かの人生に入り込んでとやかく言ったり満足するような
意味のないことをいつまで続けるのか?
そんなことで虚しさは消えない。
しっかり自分の人生を生きること。
表面的に繕っていても本質は現れてしまう。
中身が薄いのに濃くは見えない。
それを繕おうとするから物事をややこしくしてしまう。
しっかり、自分が作り上げている現実を受け止めるべきだ。
よく無いことを受け入れようとせず
人からどう見られるかばかり考えて繕ってしまう。
そして、よく無いサイクルは大きさを増して引き継がれてしまう。
何も見栄を張らず、自分の失敗を受け入れて現実を見ること。
その後に何かを変えていくことができる。