★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

考え方は自分次第

2025-03-03 | 最近おもうこと
人は自分が甘ったれた考え方をしながら生きてきたか気づかない。

人は自分が厳し過ぎる考え方をしながら生きてきたか気づかない。


自分の在り方や考え方と比較して
周りの人達の在り方を見ているのは普通のことだ。

古代から人が社会として話題にし
考えてきた問題は現在も変わっていない。
何千年も同じ問題を考えている。
それだけ、人が考える事や思う事、感情は変わらないと言うこと。

集団生活や国といった、
人が作る場は常に同じ問題があり、繰り返している。

その中で、駒として生きる大多数の人や
権力をもち、作る側になろうとする人、
または自分の魂としての生き方を貫き続けられる稀な人もいる。

駒である大多数の中でも何とかいい立場になりたいとあれこれやるので問題は尽きない。
普通とか道徳とか自分本位に作りあげてしまうのは、「どんぐりの背比べ」のような中でも
考え、思い、感情は常に別れてしまうから。

これらは全て何かや誰かと比べているだけで
本来の自分自身を単に客観的にみていない事も問題なのだ。

人の上に
人を踏み倒して
人に合わせる
人より出来ない

自分はどうしたい?
どう在りたい?
その為に何をしよう?

自分に甘ったれた続けることも出来る
自分に厳し過ぎ続けることも出来る

でも、どちらも大変そうだ。。。

とにかく、自分を蔑ろにはせずにも
相手を尊重することができたら
一方通行にはならないのは間違いない。




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常識は流行に影響される

2025-02-22 | 最近おもうこと
「まだそんなことしているの?」
と、人の生活スタイルなどについて
言及しているのを見ると
なんとなく不思議な気がする。

世の中の傾向、好まれる流れ
言ってはいけないことなど
流行りの言動をすることがいいとされている。

どうしてそうなるのだろう?
自分はどうだろう?
気づかないうちに全体に流されていないか?

生活スタイル、食生活、言動
何もかもその時の世の中が良いというもへ
飛びついて気にしすぎて流される。

元々、共同体として考えれば
人に迷惑などの行為はしていないはずで
極端に変えていく必要もない。

自分より下だと思う人に怒鳴っていた人は
今ではパワハラで訴えられるのを気にして
怒鳴らないように気をつける。
生活スタイルも世の中が流されているから
自分も始める。

「電車の中で携帯で話すな」と世の中がなると
マナーモードにし忘れた電話がなってしまい
慌てて「今電車だから後で」などと出ようものなら
大声でいつまでも怒鳴り非難する人が現れたり。。。
今ではそれも見ない。
たまに、電話がなってしまい
電話に出て話す人は今でも見るけれど。

自分の常識はそんな風に流されているだけなのか?

もしも共同体として、
また自分の肉体として考えたら
流されていくだけでなく、
感じて思って、考えて自分の中から生まれていく
流行りでない思いやりを持つことができる。

気づかずに間違えることはあっても
経験から思いやりを学べる。
危ないことだって同じように経験だ。
全てが他力に習うものではないと感じる。



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我が道を行く

2025-02-19 | 最近おもうこと
誰かが言ったこと、やっていることに
便乗することは元々ほとんどない。

もちろん、誰かの考え方の邪魔はしないし
こちらに強要もされたくない。
だから、集団行動ができないのだろう。。。

自分より若い人は知識や経験もないと
思う年配者も多いし
道徳や常識を持ち合わせていると
思い込んでいる人も多い。

よく思うのだけれど
それらは果たしてそうなのだろうか?

個人的には年齢が上がっても
知識や経験を増やしていきたいと思っている。
道徳や常識もできるだけ柔軟に
広げていけたらと思う。

もちろん私も、
ある程度の道徳はあると思ってはいるけれど
常識はどうだろう。。。
社会で集団行動をしていない時点で
常識的でないことも多いのは認めている。

知識はわからないことが多いので
知りたいことを知っていきたいし
経験もさらに増えるのだろう。

そんなことで、
誰かの言動に便乗している暇はないのだ。



















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自分で経験をする

2025-02-06 | 最近おもうこと
人はそれぞれの歩んできた
自分の人生を通しての中で物事を計る。

けれど、私たちの中には
自分でもまだ気づいていないような
自分が持つ感情もある。

環境や状況によって、
まだその感情は表に出る機会がないだけ。

様々な経験を通して
見方、感じ方、考え方、捉え方
対応の仕方など自分なりの物事が行われる。
そして、人の経験を見聞したとしても
それは自分のものではない。
疑似体験のようなもので決して同化はしていない。

人によって想像力、共感力や反応も違うので
他人の体験を想像したものだけでは
実際足りないのだと思う。

経験を通してのものは
自分の中から湧き出るもの。
これは同じ経験をしても
人それぞれ、また違った対応をするのだから
自分の経験が必要なのだ。







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2025-01-31 | 最近おもうこと
社会としてみたときに
多くの人は成功、お金がある人を崇める。
それが権力になっている。
今の社会はお金を持っていることが
権力と繋がっている。

自由に使えるお金が全くなく
食べるもの着るものにも困っている人が
何かを言っても
今は誰も興味を示さない。

権力を持てば注目が集まり
周りが気を使ってくれる。
思い通りに周りが動くし
エゴは常に満たされる。

「人徳」のある人を崇める時代もあった。
でも、今はそのような見方は誰もしないし
単に「人徳」を求めようとする人も
ほとんどいないのだろう。
中にはそのように見せつつお金儲けも大好きな
何とも都合がいい人も多い。
唯物主義な時代が長く続いてきた。

人のことになるとやたら批判する人も多いけれど
そんなことより自分を顧みて
日々、少しでも「徳」に繋がるような自分になろう。


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良心と行動

2025-01-29 | 最近おもうこと
似たような考え方や選択の仕方を
するような人に出会うと心が躍る。

同じような考え方をしても実際の選択は違う
そういった場合は多い。。。
社会というのは打算が多く
「分かって入るけれど。。。」と言いながら
別の選択をするのだ。
人それぞれ何かを恐れている場合もある。

全く違う考え方や思い方をするのは
根本的に違うのだけれど
似たような考え方をしても
何を実行に移すかは別の話なのだ。

また、自分で物事を考えない人もいて
ただ誰かが言ったことに流され続けている。。。

人間という構造は同じだけれど、
そこに宿る、目には見えない何かは全く違うのだ。
本当はそこが見えたらいいのに、と思う。











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何となく

2025-01-16 | 最近おもうこと
「何となく。。。」
と言う感覚はとても大事なのだと思う。

何となく始めて
何となくやって
その先に何かがあると
2回目からは何かしらの動機が入ってしまう。

だから、「何となく」と言う
そこに動機が入っていないと言う感覚が大事になる。
現代人は思考を使い過ぎている。

「何となくやってみよう」
「何となく行ってみよう」
そんなことがいい。

けれども、それさえも頭で考えて
取り入れようとするのは、また違ってしまう。。。

「何となく。。。」
そんな無思考な部分は
自分にとって必要な場所へ導くことは多く
思考した先は
自分に課す場所へ行こうとするのかもしれない。

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役割

2025-01-15 | 最近おもうこと
誰かに何かをするときは
程度の差こそあれ、「喜んでもらいたい」
と大体は心のどこかで思っている。

単に「手伝ってあげよう」と思うこともあるけれど
1回目に喜ばれたら、次回はやはり心の中で
喜んでもらえると思ってしまう。

他者に何かをするとき
全く無心でやり続ける人はほとんどいないだろう。
そこに、見返りは求めていないにしても
「喜んでもらえる」
ということは期待してしまうかもしれない。

でも、最近自分のことを通して思った。
見返りを求めないとは言うけれど
誰かの喜ぶ顔さえも期待しない
と言うのはとても難しいことで
無心で黙々と自分のためであるかのように
人のために何かをし続けることは難しい。

人にはそれぞれ役割がある。
自分の人生を振り返って
何が自分に合っているのか
どうしていくことが人生を豊かにできるのか
考えてみてもいい。
そんなことをぼんやり考えた。








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今年は

2025-01-12 | 最近おもうこと
去年は環境の変化に
また馴染むのに時間がかかった。

自分だけの時間、生活として
動けたり考えるのなら簡単なことでも
親のことを思うと、つい振り回されてしまう。
近くに住んでいるのと、
私の放っておけない性格のせいだ。

元から気難しいけれど
更にとても気難しくなっている父や
年をとってきて母もできないことが増えたり
何かと気になることが多いのだ。

それぞれの家族の関係がある。
その中で、それぞれの「やっている」という意味合いも違う。
また、それぞれの自立という感覚も違う。
親は親とそこそこ割り切れる人もいれば
私のようにそうできない人もいる。

それぞれの家族の関係や個人の性格などで
意識することもなく「選択」をし
それに自分なりの言い訳をつける。
本当は「できる」ことでも
「しない」言い訳をつけることをする。
逆に、「無理をし過ぎ」ていることでも
「しなければならない」言い訳をつける。

けれども、今年は自分の人生として
バランスをとりながらやっていこうと思う。
自分の人生を後回しにしないように心がけよう。

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特別で特別でない

2025-01-08 | 最近おもうこと
ほとんどの人は、もちろん自分も含めて
自分自身を分かっていない。

頭で分かっていること
人に言っていることを
実際に自分自身では行っていない。

何かと自分自身を良くも悪くも特別扱いしているのだ。

自分には適切な言い訳や理由がある。
けれど、他人のことは細かな理由を知らないから
結果や目に見える行いだけで判断して批判する。

自分は忙しいけれど、
他人は自分ほど忙しくないはずだと勝手に思い
他人の多少の勝手も許せない。

自分の甘えた考え方自体に気づいていない。

自分自身さえ満たせないのに
他人のアドバイスをして満たされた気分にさせる。

単に欲が強いだけなのに正当な言い訳をつける。

そんな風に、自分はできていると思っている
勘違いを常にしている。
それぐらい自分を特別扱いしているのだ。

本当は自分は自分自身で完結させることが必要なのに
何かと誤魔化すことを探している。
自分自身で向き合うより、
誰かが助けてくれると思いたいし
今の自分自身ややってきたことを肯定したいのだ。

肯定したり、特別でありたい。
何者かでありたいのだ。
何者かでなければ生きることが難しいのかもしれない。

もっともっと魂を感じ、魂として人生を生きる。
それ自体に気づくことから。。。
本当は何者でもなく、
単に人生を経験するだけの魂としての自分を認める。

そうすると、
人を批判することも自分を批判することも
どうでも良くなっていくようだ。









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