★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

人生を生きる

2024-11-21 | 最近おもうこと
どの年代でも自分で人生をどう生きたいか
その都度、覚悟を決めて行動しなくてはいけない。

あれもこれも理想ばかり並べても
決して実現しないような他人が関わることならば
きっと、それは単に自分の希望であり
現実化するのは難しい。
それより、自分ができる現実を
どう生きるのかを考える方が得策だ。

一つの理想のために
自分らしくない、自分の気持ちを我慢して
手に入れることが本当に幸せなことなのか考えてみる。
本当は一つの先に密かにもっと望んでいることがある。

その理想はどこからきたものなのか考える。
人に自慢したい、いつからかそう思い込んでいるなど。

他人の気持ちを無視して自分さえ良ければいいと
あまりにも傲慢になっていないか考える。
自分が望むことを他人も同じように望んでいると
思い込む人は多い。

または、悲観的になっている自分を可愛そうと
見ていないか考える。
多くの人は自分の問題を
他人のせいであるかのように見ている。

決めたら、くどくど言わずに出来ることを行動に移す。
とにかく言い訳無用でやる。

自分のこと、
自分が望むこと、
そのために自分が決めたこと、
それを実行する。

これが自分の望む姿ならば
泣き言や言い訳をし、他人のせいにすることもなく
いつも笑顔で幸せであるはずだ。
望まないから愚痴や文句が多く弱々しくなるのだ。

それならば覚悟し決めたことを実行することだ。






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魂の道を歩んでいる

2024-11-19 | 最近おもうこと
人生を通し変化していく人もいれば
変化しない人もいる。

人生を通して持って生まれた性格を
どのように活かし、どのように変える必要があるのか。

変えずに済む環境の人
変えようとしない人
変えざるを得ない人
変えたいという気づきを得る人

経験から変えようと努力してきた人にとっては
自分を変えずに周りのせいにしたり
泣き言を言い続けている人を
一喝したくなる気持ちにもなるだろう。

けれど、よく観察していると上手くできていて
変えなくていいような状況を生きていられるようになっている。
ブツクサ言い続けていても本人自身も
自分が問題だということに全く気づかない。

人は自分の人生に物語をつけたがるけれど
それは既にある程度設定されていて
起こってきた事なのだと思う。

だから物語を語るより、人生で起こる出来事に自分で対処し
自分で内省し気づいた気になっていることに
少しの謙虚さを加えた方がいい。
全てはそうなるようになっているから。。。

きっと、そう決めてここにきている。
誰もが人生を大まかに決めた中で生きている。
日々、最善の自分としてやっているのかだけが
必要なことなのだろう。

そう思うと、人との関わりや自分自身が
違ったように見えるようになる。
人はそれぞれ違うのだ。
違って、また同じようにここにいるのだ。










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物質と精神

2024-11-13 | 最近おもうこと
歳をとっているからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
子供や孫がいるからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
学歴や会社が立派だからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。

人は様々な外部の条件とは関係なく
自分自身でしか人格を形成することはできないのだと思う。
自分が歩んできた人生の中で
自分自身をどのように見つめていくかが必要だ。
残念なことに、自分の性格を正しく見つめている人は少ない。

傲慢さや頑なさ、わがままさ
全てを思い通りにしたいという強さは
物質を手に入れるという面では必要なこと。
そのように育っていく人もいるし、
自分でそのように生きていく人もいる。

精神、物質が伴わないという
この違いはなんだろう?
これは、魂の違いなのかも知れないと。。。
性格だと言う人がいるけれど
では、その性格を変える必要なく
歳を取れると言うことは?

物質世界、精神世界の両方のバランス。。。
どちらかばかりを追うことも偏ることも
肉体を持って生きている私たちにとって
結局、生きることを難しくさせる。
それこそ、周りにいる人はもっと大変だけれど
きっとそこにも何らかのカルマがあるのだろう。

普通の人にとっては
どちらもちょうどいいバランスで成長することが
肉体を持って上手くこの世を体験していけたことに
繋がるのかも知れない。
極端過ぎることもまた、何かをなすには必要だけれど
そこまでに至らないのが多くの普通の人たちだ。



















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物事を選択する基準

2024-11-11 | 最近おもうこと
物事がスムーズにいかないものは
一旦止まって再考してみたり、
または、その話を白紙にする。

いい話であっても進み始めるとすぐに
何度も問題が起こることがある。
問題が沸き起こっても対処はできるので、
文句を言いながらも突き進んでしまうこともできる。
断るか、そのまま進むか。。。
道をどちらか自分で選択していく。

条件のいい話だと
多くは進むことを選択するかも知れない。
それはそれで、「いい条件」というものは
達成することができる。
その他は、さておき。。。

断れば、手に入れたかも知れないものへの
多少の執着を残して何だかんだ理由をつけながら
自分がした選択が正しかったと思おうとするかも知れないし
潔い人は「もしかしたら」なんて思わずに
スパッと進めるかも知れない。

私はいつでも迷うような粘着した部分があるので
なかなかスパッと決断できないのだけれど
若い時よりはだんだんマシになってきたかも。。。

結局は自分で選択したもので全て完璧なのだ。
人生に「美味しい何処どりだけ」の人なんて滅多にいない。
必要なものを体験するように選択している。

あれこれ考えたところで
もしかしたら、進むべき道は決まっていて
自分で選択している錯覚の中にいるのかも。
または、本当に大きなゴールに向かってあれこれの道を
自分で選択しているのかも知れない。

どちらにしても、選択しなくてはならない時は
両方を選べないのだから
何を基準に選択するのかが
結局、自分らしい道につながるだろう。





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変えたい性質は変える

2024-11-09 | 最近おもうこと
多分育った環境の影響もあったのではと思うのだけれど
人の考えていることや感情がすぐに分かる。

これは余計なこと、嫌なことを背負い込むことになり
私は良いことだと思わなかった。
その上、すぐに多くのものが目に入り
気づいてしまう物事が多かった。
神経質なことも良いことだと思わなかった。
だから、鈍感でおおらかな人をいつも羨ましく、
そうなりたいと思っていた。

不思議なもので、自分で変えたいと思うと
そう振る舞うことはできるようになってくるものだ。
余計なものを視界に入れないようにしていると
そう出来るようにもなる。

人の考えや感情が分かっても、
時と場合によって自分でうまく自分の感情を
コントロールできるようにもなる。

なるべく物事に少し鈍感でおおらかで在るように
練習していると神経質さも温和される。
きっと、今では大雑把に見られるかも知れない。

人の考えや感情がわかるということは
人の目を気にし過ぎ、人の顔色ばかり見て
自分で自分を疲れさせる。
また、自分自身の考えや感情より先に
人の影響を受けやすいということだ。

自分の特性を知って、その特性をどう扱うかで
なりたい自分になることはできる。
自分が思うネガティブな面を単に認識しているだけで
何も変えようとしなければ
そのネガティブを持て余してしまう。。。
よくないことのように言いながら
本当はそのネガティブが好きなのだ。
今のままで満足しているわけだ。

人は自分の性質を変えたいと思えば変えられる。














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なるべくしてなる

2024-11-07 | 最近おもうこと
ある程度、先のことを考えることは必要だけれど
先のことばかり考えるのは違うような気がする。

以前、私も先のことばかり考えていた時があった。
その時は見えない未来のことにいつも焦りがあったけれど
考えてみれば、その焦りは今現在影響されていることで
起こってもいな事でストレスを受けているわけだ。

大まかな未来を描いたとしても
必ず、今に在ることが大事だ。
今に在り、どんと構えて日々を充実させること。

ずっと先のこと、どうでも良い他人のこと
そんなことに心を奪われていないで
自分の1日にしっかり目を向けて過ごすこと。

焦ったりイライラするより
今すること、できることを地に足をつけて行う。
適当に、出来ることもせずにいい加減に行わず
自分を信頼する、魂を信頼して
今、出来ることをしっかりやる。

必要な流れの中で出来事が起こり
しっかり必要な場所へ連れて行ってくれる。


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人前で話すと言うこと

2024-10-29 | 最近おもうこと
随分前に読んだ誰かの本の中に書いてあったことで
「無用に喋りすぎるのは悪い、
けれども必要なことを喋らないのはもっと悪い」
といったようなことがあって印象に残った。

その頃、ちょうど人間不信で
人の感情や思考が分からなかった。
今でも分からないけれど。。。
喋らなくても喋っても人は勝手に話を作り上げるし
嫉妬や攻撃も個人の欲から勝手に他人に向けることがある。
「火のないところに煙は立たない」
という諺もあるけれど、
無くても自分が優位に立つと思えば
誰かを陥れるため、または潰しにかかるような時は
いくらでも勝手に最もらしい話を作り上げるものだ。

表面的に、ただニコニコして何も言わない人は
あまり攻撃される対象にならない。
意見を求められても考えるフリをして何も言わない。
相手に安心感を与えるのだろう。。。
けれども、よっぽど無関心か感覚がずれていない限り
喋らない人でも感情と思考はあり
内心では多くのことを喋っていて
単にその人の前で発言しないだけのこと。
不当な状況の中にいても上手にやり過ごす術を持っているだけ。
出る杭にもならず、
足を引っ張る対象に見せない。

それなら、適当にやり過ごして
何も聞かない、喋らないに徹した方が
いいのかも知れないと思っていた。
そんな時に読んで印象が残ったのだろう。
その時はよく意味が腹落ちせずに
「そうは言っても実際彼らの方が得をしている」
と、思っていた。

ただ今ならその意味の深さがよくわかる。
特に日本人の性質は
人前で自分の考えを発言をする、自分から話題を提供する
と言ったことが苦手だ。
苦手というよりしたくないのだろう。
人からどう思われるかをとても気にしている。

例えば、何かの講義や大勢がいる場で質問があるか問われた時
手を挙げ人前で話す人は少ないのに
終わった後に多くの人が駆け寄って個人的に質問をしたがる。
または、本人には言わず陰で色々言う人も多い。
人の話は根掘り葉掘り聞きたがるけれど
自分の話はなぜか隠す人もいる。

「喋る人」は、要するに開けっぴろげで計算が少ないのだろう。
隙をを見せる人だ。
「喋らない人」はいい人かも知れないし、
自分の腹を見せない注意した方がいい相手かも知れないわけだ。








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人生の歩み方

2024-10-25 | 最近おもうこと
「情熱を持って取り組めるもの」
がある人は多いのだろうか?

子供とか孫とかと言ったことではなく
自分自身が好きで取り組めている何か。
何の打算もなく自分が自分のために取り組めること。。。

子供の時はいつも「将来の夢」などと言った作文を書かされ
本当に無駄な題材だと思って適当に書いていた。
皆んなが皆んな、そんな夢を持ってはいないのだ。
けれども、それしか題材がないので書いて提出しなければならない。
どうして、「3つの中から題材を選んで」とかにしないのだろう?
小学校から中学まで必ずそんな作文はあった。
周りからはすぐに書く音が聞こえてくるし
時間いっぱい考えても出てくる訳でもなく、
仕方ないので何とか言葉を長くして
作文用紙の半分くらいまで何か適当に書くのが毎回だった。

考えてみたら、子供の時から夢といったものを
持つことがなかったような気がする。
大人になっても、「こうなりたい」というものはなかった。

早くから、また後からでも「なりたいもの、やりたいこと」
が明確にある人は当然と思うかも知れないけれど
きっとその道へ行くようになっている。
無駄がなく歩める。
その一方、私のようなそういった夢が何もない人は
与えられたことを淡々とやるか、
あれこれやって合うものを探すしかない。
こういった人は、
人生を色々な経験を体験してまなべるよう
遠回りしながら歩むようになっているのだろう。








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心や頭の中での悪口や愚痴

2024-10-21 | 最近おもうこと
前にも書いているけれど
自分が思っていること、考えていることが
表に筒抜けだったらどうだろう?

それでも何も困らない、問題ないと言えるぐらい
言動に表裏なく生きているだろうか?
言葉に出さないだけで、頭の中では
あれこれひどいことを言っていたり
考えていたりしていないだろうか?
悪口や愚痴、毒舌を吐いていないだろうか?

言葉や表情に出さないからいいと
思っているなら大間違い。
考えていること、思っていることも含めて
自分のエネルギー、振動なのだから
本質的には隠しようがない。

自分で重い、低い振動で在ることと
お金があるか無いかなど全く関係のない話。
表面的にはいい人ぶっていなくてはいけない、
けれども思考や感情は常にネガティブで文句も多く
悪口、毒舌を吐いていたら
実際、そのストレスは心身に影響を及ぼす事になる。

心身ともに健全で在りたいのなら
まずは、表裏の差を無くすことから。。。
それによって、周りも本来合う人たちと出会う。







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呼び名や言い方

2024-10-20 | 最近おもうこと
人は言葉でイメージを作り上げる。

呼び名、分類分け
それこそ時代によって言い方が変わったり
使っていい言葉、使ってはいけない言葉など
または傷つけ無いよう、失礼の無いよう、差別の無いよう
こういった言葉や呼び方をしましょうと言う。

私はこういった事にいつも違和感を感じる。
単に物事をオブラートで包んでいるだけで
分離した捉え方は一緒のままだったり
悪い、恥ずかしいことなどを悪い恥ずかしいと
あまり本人や他人に思わせないように
誤魔化すための言い方をして
イメージを和らげたり変えたりしているだけに過ぎない。

言葉が変わっても、
やっていることなどは何も変わらない。
単に、言葉が軽くなることで行いやすくなるだけだ。
そのものの状態も行いも何も変わっていないのに
言い方や言葉が変わる事によって
受け手のイメージが柔らかくなるだけという
トリックを使っている。

でも、それは根本的な解決になんてならない。
言い方、呼び名を変えようと思うのは
受けとる側の感情を変えたいのだろう。

当の本人が呼び名を作り出すこともあれば
受け手側が良かれと思って変えようとすることもある。
けれど、呼び名が造られる時点で
その分類分けしたり、区別しているとした
考えは変えることはできない。
逆に呼び名がない方が区別の意識は無くなると思う。

時代とともに変化する道徳もあるのかも知れない。
けれども、残すべき道徳があって
本来の私たちの奥にある本質が
生かされていくような気がする。





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