★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

出来ない断捨離

2025-02-27 | 日々のこと
断捨離と何かと言われているけれど
私はなかなか出来ない。

ホテルのような物のない家の中には憧れるけれど
実際は全くできていない。

成功者やスピリチュアル的な面からも
ものが多いのはダメだと言うし
いつも綺麗に掃除をしていないといけないと
言うけれど実際は散らかってしまう。

汚いというのはまた違って
気持ち良くは暮らせない。
人によっては
それでも気分がいいのかもしれないけれど。。。

「いつも綺麗に」と言うのは
心地よく暮らすためのもの
を意味しているのだと私は思っていて
物が多くても散らかっていても
心地よく暮らせているかが大事で
捨てればいいと言うもの
ではないような気がしている。

片付けをし、掃除をして心地よく暮らす
住まう人たちにとって、これが大事なわけで
行き過ぎて家で安らげないのも違う。

それぞれの心地よいに見合った暮らし方がある。










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みんな中流以上

2025-02-26 | ちょっと、ひとりごと
様々なニュースで日本が貧しくなっているという。

食費が以前に比べてどうだとか
生活が困窮しているとかネガティブなことを言う。
給料はずっと上がっていないのに
食品の価格は何倍にもなっているとも言う。

比べる対象をどこに置いているかで
その感覚はまた違ったものになるのではないだろうか?

私は昭和生まれで小、中学生の時は
6〜9クラスもあり1クラス42、3人位だった。
クラスの中で海外旅行に行ったことなんてほぼ無く
夏休みはいいところ祖父母の田舎程度で
温泉へ行った人は自慢していた。
子供の中に海外だの旅行だのと言った
思考さえも無かったのだろう。
それくらい、家族で旅行に行くことは稀だったのだ。
ましてや、子供の頃から家族で海外旅行なんて無い。
大人になって、新婚旅行といった特別な時に
思い切ってお金を出すくらいのものだった。

外食もほとんどしないのが普通の家庭で
スーパーやコンビニのように
出来合いのお弁当やお惣菜など
今のように簡単に手に入る場所も少なかったし
第一無かったのだ。
あっても早く閉まるので仕事帰りには間に合わない。
冷凍食品も少ないしほとんど使っていなかった気がする。
とにかく、家で作ることがほとんどで
家族で外食できるのは、
それこそ特別な時だけだったろう。

洋服などもファストファッションのように
おしゃれなデザインを安く変えることはなく
白いTシャツだってデパートで1万円くらいし
靴もセールでも1万円くらいはしていたので
全てが高かったのだ。

旅行も安くいけるようになっている。
外食も安くいけるようになっている。
洋服や品物も安くなっている。
医療、学校などにしてもそうだ。

いつの間にかお金持ちしかできなかったことが
誰にでもできるようになってしまった。
出来ないことも少し無理をすれば
手が届くようになっている。
中級の上の生活を誰でもできるようになっていた。

今の幼稚園、小学生はどれほどの割合で
旅行に行ったことがない子供がいるだろう?
海外経験者だって多いだろう。
外食したことがない子供はどれくらいいるだろう?

私が子供の頃は
本当にボロボロの借家に住んでいる子もいた。
今思えば、学年で1、2人くらい
生活保護を受けていた家庭もあった。
車がない家庭や
塾に行けない子、私立には行けない子も
普通だったので
それぞれ子供ながらに自覚してやっていた。
アルバイトも精を出す子は精を出していたし。

貧富の差は現代よりもはっきりしていたのだろう。
私の目には今の方が贅沢になっているように見える。

格差が無さすぎて
自分にも気軽に手に入れられると思うからこそ
手に入らないことにヒステリックになる。
また、国家を上げて
個人のエゴを満たすように動いている。
国民のエゴが強くなるように、
エゴの強い人は考えるのだ。














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細胞に感謝する

2025-02-25 | ちょっと、ひとりごと
人の身体は不思議なもの。

私は医者でもなければ
運動を指導するような立場でもない。
けれど、結構健康オタクではある。

健康オタクだけれど
うんちくを詳しくは話せない。
単に身体にいい、悪いことは分かるくらいで
人に解説しようとも暗記しようとも思っていない。

自分自身の体験や人を色々見て観察した経験などで
自分なりに感じたり実験したりしている。
なので、良いと言われれば
ある期間自分で試して、
何も変わらなければやめるし
取り入れなくなるけれど
これも、今の自分には
必要ないものというだけかもしれない。

病気になれば身体だけでなく気持ちも暗くなる。
気持ちが暗くなれば病気になる。
歳を取ると病気になりやすい。
歳を取って体の自由が落ちてくると
気持ちが塞ぎやすくなる。

まずは気持ち、意識が大事だ。
自分の細胞の完璧さを邪魔しないこと。
疑っているのなら、
まずは信じようとすることから始めてもいい。
「ダメだろう」と信じながらでは意味がない。

無茶をしても一生懸命元に戻してくれる。
元に戻すよう働いてくれている。
元に近づこうと働いてくれている。
人任せではダメで細胞だけに任せず
自分が最大に協力しなくてはいけない。

今の状態にも感謝してできることをする。
その中で、できることを見つけていく。
その細胞、身体の完璧さに感謝をする。

考え方、気持ちの持ち方、食べたもの
動き方などの生活スタイルで身体は作られている。
分かってはいるけれど、
実行するのは難しいものだ。





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持って生まれた性質

2025-02-24 | 日記
誰でも必ず歳をとる。

歳を取ることをどう受け止めているのかは
人それぞれのようだけれど。。。

どんなに人工的な手を入れて
見た目を若く作ったり
何かしらのことをすることで
内臓もやや老化を遅らせていたりするけれど
それでも、今のところは必ず歳と共に老化する。

肉体的な老化を精神的に受け入れることは難しいこと。
誰でも初めての経験なのだから。。。
また、それによって夫婦、家族など
生活自体も変化してしまう場合もある。

できないことが増えていくだろう
忘れることが増えるだろう
けれど、穏やかでいてくれることは
周りの人にとっては助けになるだろうと思う。

歳を取っても怒りをぶちまけて
事あるごとに怒鳴るような人は
本当に周りを疲弊させ悲しくさせてしまう。

根本的に持っている性質は変わることはないのだ。
「歳を取って穏やかになった」ということを聞くけれど
これは元々そう言った性質を持っていたのだと思う。
または変わることができる性質を持っていたのだ。
「気づき」自分で変えることができる性質だったわけだ。

変われない人はいないという人がいるけれど
そのような人に会っていないだけ。
聞く耳を持たない、
人に何かを言われたくない
変わろうなんて思ってもいない
そんな難しい性質の人もいる。

みんなそれぞれが自分は正しいと思っているけれど
そんなことよりも、
自分でできることを、生活を続けられるよう
体も頭も柔軟性を持って
ゆるりと毎日鍛えておくことが必要だ。





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チャンスを捨てる人

2025-02-23 | 日々のこと
人はどこで、いつ
自らチャンスを捨てているのか気づいていない。

自分自身では計算をしているようだけれど
それは単に誤算なこともある。

チャンスは見えないところから
誰がどのように、どんな形で運んでくるのかわからない。
だからこそ、普段から自分の振る舞いには
気をつけるべきだ。

計算なんて役に立たない。
そもそも計算をするから誤算するのだ。

影で見ている人もいる。
自らチャンスを棒に振るうことのないように
人となりを高めるように注意しよう。






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常識は流行に影響される

2025-02-22 | 最近おもうこと
「まだそんなことしているの?」
と、人の生活スタイルなどについて
言及しているのを見ると
なんとなく不思議な気がする。

世の中の傾向、好まれる流れ
言ってはいけないことなど
流行りの言動をすることがいいとされている。

どうしてそうなるのだろう?
自分はどうだろう?
気づかないうちに全体に流されていないか?

生活スタイル、食生活、言動
何もかもその時の世の中が良いというもへ
飛びついて気にしすぎて流される。

元々、共同体として考えれば
人に迷惑などの行為はしていないはずで
極端に変えていく必要もない。

自分より下だと思う人に怒鳴っていた人は
今ではパワハラで訴えられるのを気にして
怒鳴らないように気をつける。
生活スタイルも世の中が流されているから
自分も始める。

「電車の中で携帯で話すな」と世の中がなると
マナーモードにし忘れた電話がなってしまい
慌てて「今電車だから後で」などと出ようものなら
大声でいつまでも怒鳴り非難する人が現れたり。。。
今ではそれも見ない。
たまに、電話がなってしまい
電話に出て話す人は今でも見るけれど。

自分の常識はそんな風に流されているだけなのか?

もしも共同体として、
また自分の肉体として考えたら
流されていくだけでなく、
感じて思って、考えて自分の中から生まれていく
流行りでない思いやりを持つことができる。

気づかずに間違えることはあっても
経験から思いやりを学べる。
危ないことだって同じように経験だ。
全てが他力に習うものではないと感じる。



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ステレオタイプ

2025-02-21 | ちょっと、ひとりごと
以前、私はアメリカ人は
白黒はっきりしていて大らかで
早くから自立していると思っていた。
大学の費用は自分で払うとか
早く実家を出て暮らしたいなどなど。

いまだにそう言っている人もいるけれど
その人の周りにはそんな人が多いのかもしれない。
けれども、きっと一部を見ているだけの話だ。

考えてみたら
同じ人間なのだから
持っている感情に大きな違いはない。
それ以上に、競争の激しい社会なのだから
権力に争うより媚びる賢さを持つ人も多いのだ。
そんな中で白黒はっきりするわけもなく
驚くほど媚も売るし、
露骨な足の引っ張り合いも
影での動きも噂も激しい。
意地悪だって多い。

育児に関しても「怒らない育児」など
アメリカからの情報が日本に入ってきたり
外国育ち、外国の大学で勉強してきた人が
表面に出て活動する機会があり
日本人も真似をするわけで
日本より先にやっている国がある。

ということは、そう育った人は
似たような傾向があるのも当然で
実家に住み続ける人や引き込みもいる。
離婚か結婚せず実家に住み続ける。
もちろん、アパートが高いという理由もあるけれど
実家を出る気があるのなら
ルームシェアはできるだろうと思ってしまう。

いい大学で、いい会社に入って
似たような成功組しか周りにいない人にとっては
似たような人しかいないので
その他大勢の普通の人の感覚も暮らし方も知らない。
そもそも、接点がないのだから何も見えない。

逆に日本人だって
自立している人もいれば依存し続ける人もいる。
白黒はっきりしている人もいれば逆もいるし
さっぱりしている人も大らかな人も色々だ。
その人が育った家庭や地域などにもよると思う。

ある日本人がアメリカ人に
日本人は目を合わせることを快く思わない。
知らない人には挨拶しない
と日本人について説明していた。

それを聞いてびっくりした。
そんなことはない。
あれは個人的な意見であり日本人を表すものではない。
私は朝の散歩や何かの集まりなど、
時と場所によってではあるけれど
知らない人にも挨拶はする。
それに、知らない人でも
笑顔で挨拶されて嫌な人は少ないだろう。

そんなことで、
私たちが知っている日本や日本人だって
あくまで自分やその地域といった一部だけの話で
全体を知っているわけではない。
ましてや、私たちが想像する外国なら
尚更、本当に僅かな面を見ただけなのだろう。

ステレオタイプとは
恐ろしいほどの思い込みをしている。













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我が道を行く

2025-02-19 | 最近おもうこと
誰かが言ったこと、やっていることに
便乗することは元々ほとんどない。

もちろん、誰かの考え方の邪魔はしないし
こちらに強要もされたくない。
だから、集団行動ができないのだろう。。。

自分より若い人は知識や経験もないと
思う年配者も多いし
道徳や常識を持ち合わせていると
思い込んでいる人も多い。

よく思うのだけれど
それらは果たしてそうなのだろうか?

個人的には年齢が上がっても
知識や経験を増やしていきたいと思っている。
道徳や常識もできるだけ柔軟に
広げていけたらと思う。

もちろん私も、
ある程度の道徳はあると思ってはいるけれど
常識はどうだろう。。。
社会で集団行動をしていない時点で
常識的でないことも多いのは認めている。

知識はわからないことが多いので
知りたいことを知っていきたいし
経験もさらに増えるのだろう。

そんなことで、
誰かの言動に便乗している暇はないのだ。



















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至る所でザワついている

2025-02-15 | ちょっと、ひとりごと
なんだか至る所で
権力をかざして行っていたような
今までの在り方が騒ついている。

立場が権力として使われていたけれど
そうしてきた人や場所での在り方が変化する。
どの道、行き詰まっていくのだろうけれど。。。

ある方から見れば
イライラ、頭にくることが多いだろうし
もう一方から見れば
少しづつやる気が出ていくかもしれない。







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感覚を伸ばす

2025-02-14 | ちょっと、ひとりごと
同じものを見ても
同じことを聞いても
同じものを読んでも
人それぞれ受け取る意味
思うことや感じることは違う。

これはなかなか厄介なこと。。。
意味することが伝わっていない、
また、そこから揉め事が始まる場合もある。

社会という集団の中では
ウマが合う人ばかりがいるわけではない。
その中ではどうしても、
似たような感覚の人が多い人たちが権力を持つ。

どちらが正しい間違っているかの問題ではなくて
どういった感覚の人が多いのか?ということだ。
また、人は流されやすいので
元々持つ性質がどうかで染まっていく。

見せ方、言い方、書き方は
こちらの求めに応じて
本来は、相手の持つ感覚に合わせていく
必要があるのだけれど
相手を非難しやすい。
人は、やはり自分が基準となりがちだから。。。

集団という中に所属しているだけで
本当に大変なことだと思う。
だから、会社に勤めて働くということは
それだけで立派なこと。

学歴では測れない感覚や想像力。。。
学歴があるからといって
理解できているとは限らないのが
また、厄介なところ。

自分の感覚だけは、唯一自分ができる
変化させられる部分なので
ここは生涯成長させていきたいものだ。













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