★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

人生

2012-02-07 | 日記
私は自分自身を見つめる、見つける、探求したいのです。
そして人間と言うものを知りたいのです。

まず、最初に「人の為に」では無いです。


そして、その中で沢山の気づきも発見もあります。

それに伴い人生がもっと楽しく少しづつスムーズに、沢山の感謝や強さも持ち始められた気がします。


その先に、もしかしたら人様に役立てられるものもあるかもしれないし
もしもそうなれたらいいなぁ~と思います

自分の人生を満喫してやるべきことをやりつくして
私も私に関わる人も何かしらの良い時間を過ごせるような・・・
そんな風にしていきたいです。


だからまず自分自身精一杯この自分の人生を丁寧に責任を持って過ごすことが大切だと思うのです。

とは言ってもなかなか難しいですが・・・
試行錯誤しながらでも少しずつ成長していくことが目標です


ホントに辛いことがあるから変えられる、真剣に考えるからこそ自分では気づかないうちに成長しているのだと思います。
見ない振りしたり人のせいにしているうちは変えられなくて
同じことが何度も起こるんだと・・・
辛くて自分の殻にこもって防御だけしてしまうと安全かもしれないけど、やはり何も変わってはいない。

がんばって、少しずつでも、失敗しながらでも立ち向かって望んでいるものを手に入れるよう努力しなくてはいけないのですよね。
結局、問題は自分自身でしか何も変えられないのかもしれません。
ただ、本当に自分自身を知らないと本当の望みはわかりませんが・・・(そこが一番難しい!)


辛い最中にはそんなこと考えられないし、そんなこと受け入れられない。
理不尽なことを受け入れられるはずもない。


でも、へこたれずに立ち上がって少しでも進むことが結局は大切なことだと・・・
後でしか分からないことだから難しいことです。


デニスさんも言っていた。
「どんなにひどい事や辛いことがあっても、それは全て必要なこととしてある。
それは自分の学び、もしくは周りの人たちの学びとして必要なこと。
私達は小さな一部分としてしか観ていないので
その裏にかくれたもっと大きな意味を知らないだけ。」

自由意志は自分の選択として自分の人生を造るために上手い具合にあるのですね。
ある程度の決められた筋書きを、どういう風に創造していくかは本人の責任だということを考えると真剣に取り組みます。


壮大な時の中で、ほんの1つの人生の時間であり
更にその中での様々な出来事・・・
今、生きている人生の中では長くもあり短くもあるかもしれないけど
やっぱり、どんなことがあっても1つの人生を必死に過ごすことが
どこかに繋がっていくのかもしれません。








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新たなヤル気

2012-02-06 | セミナー
今日はやたら全てが順調な流れで気分が良いです~
そう言う日は信号から電車から全てスムーズで、いつもは待たされるものまでホントにスムーズに予定が取れます。

その逆もありますけどね・・・



話はデニスさんのセミナーです。

今回久しぶりにきっちりセミナーを受けて勉強になりました。
勿論、私は彼女自身を気に入っています。

いままで自分が考えていたことや思っていたことが間違っていなかったと感じられるものでした。
20年以上のキャリアのある方が言うのですから
私も「これでいいんだ」と安心することもできました。

人それぞれ考え方やアプローチ法、気に入る人、共感できるものや人が違うと思います。
そんな中で、周りに何か言われても素直に受け止めつつ感じながら
それでもホントに自分らしく自分が考えるものを信じることも必要なんだと思います。

私はやっと入り口に立っただけだと痛感しつつ
謙虚であることの大切さも感じます。

どんなものでも「慣れる」というのはある種の危険もあります。
自信とエゴも違うしホントに気をつけていかなくてはいけないことですね~


ただ最近感じるのはホントに誰が言うことも誰が感じて観て信じるものも間違ってもいないし真実ではないかと思うのです。
その人にとっての真実で、それがその人の世界なんじゃないかと・・・

それぞれの世界を批判するのは他の世界を受け入れずらく、また観えなかったりするからではないか・・・

これが波長によってそれぞれ似たようなものや似たような世界があり、似たようなものを観て感じることになるのではないかと思ったり。
パラレルワールド的ですが・・・

だから、「あの人はホントは観えてない」とか「ぜんぜんだめ」と一概に言えないかもしれないなぁ~と思います。
これは合う、共感できる、好きとかの問題で何か目指している世界的なものがそもそも違うので先に観えると感じるものさえ違うのかもしれないとか考え始めています。
きっと何か感じて何か目覚めていると思うのならきっとそうなんだと思う。


ただでさえ目に見えない話をするのは難しいのに
感覚の違う話はややこしくなるのは当然ですね。


でも、私は私の感覚を信じて探求していこうと思います。
この先に何が観えて体験できるのかはまだわかりませんし、ずっと解らないかもしれないけど少なくてもどんどん人生は生きやすく楽しくなっていっています。



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