何かしらの力を持つということは、
それを適切に流さないといけないのでしょう。
それを滞らせるということは淀みが出てくる・・・
どんな力も常に流れが必要だということになります。
自分のためであり、還元するためであり・・・
大きい力であればあるほど
滞った時の淀みも大きくなってしまうのでしょう。
自分の欲望ばかりに力を使うというのは
流れがせき止められているということになる。
きれいに流れさせることが適せつで
自然の摂理からも分かること。
相変わらず夜中にちょくちょく起きてしまいます。
その度に、寝る位置を変えていますが
最近位置がしっくりしていないような気がするのです。
前はその度にレイアウトを変えたりしていましたが・・・
今はドアの関係もあって難しいけど、考えてみよう。
レイアウトを変えたりするのも気分転換になっていいですよね。
昨日は家の中の気になっていたところを
やっと片付けてだいぶスッキリしました。
本などがどんどん増えて積み上げてしまったり。
勉強しようと思ってノートや雑貨が出しっぱなし。
基本的にモノが多いので、最近増やさないように
意識しているところです。
ホテルのようにすっきりしている家に近づけたいけれど
必要なものは必要だし、生活していれば仕方がないところもありますね。
味気ないのは違いますし、
人が来ても気を使わせないような程々の生活感が好きです。
近いうちに写真を飾っている棚を整理しよう。
ダイエットは続けております。
あれから更に一か月たち、アップダウンしながらも
この一か月の目標には少し足りませんでしたが
ほぼ近づけられました。
次の一か月も一キロ減を目標に頑張ります~
結果が出ないとなかなか続けることが難しいのですが
根気よくできることをやらないと
ずっと続けられない生活を取り入れても
リバウンドしてしまいそうなので
自己流ですが、今回は結果がでるよう生活スタイルを
改善していきます!
あなたにとって、当たり前のことが
他の人にとっても当たり前であるとは限らない。
本当にそう・・・
ついつい思考は自分を軸に考えてしまいますが
「そうじゃない」と思い出すのに、また忘れています。
自分が普通にできることと、人ができることも違う。
色々な違いがあっていい。
30代の時は全く「年をとる」ことに対して
理解はしていても実感がなかった気がします。
それから更に年をとって、人生も半ばに来たとたん
何だか急に老けてきたし節々が痛くなったり
身体の老化を実感してきて
やっと、これが「年をとる」ってことかと認識しています。
もちろん、太ってきたり痩せてきたりするのも一つですよね。
身体の機能が落ちてきたり。
その身体を心地よく使えるためのメンテナンスが必要なときは
何かや誰かにお願いするのも有りだと思います。
昨日書いた整体も私にとって、その一つです。
最近特に強く感じているのですが
与えられている身体は
自分だと思っている自分じゃないものの
乗り物のようなものではないかと・・・
それを持って、どのように動かし操縦するのかは自分次第。
ちょうど、分かりやすい例えが来たので・・・
身体は「車」のようなものと考えてもらえば分かりやすいと思う。
新車を買うときに、見た目のカッコよさを優先したり
それぞれに適した実用性だけを優先したり、
スピードや機能の丈夫さや耐久性、
頑丈なものから色々なタイプがあります。
多くの人が憧れるものもありますね。
それで生まれてから人生という旅に出る・・・
ただ前だけ見て猛スピードで走っていく
慎重に左右の確認をしながら制限スピード以下でゆっくり走る。
周りの景色を見る余裕がある人ない人。
誰かが道を渡りたいのに譲ることなんてせず
自分がとにかく優先。
いつも車庫で磨いてばかりいたり
全く車庫から出さず車の存在さえ忘れられているかのようなものも。
自分の車で知らいな土地へドライブ・・・
地図もないし目的さえない旅の途中。
運転中、目的ができるかもしれないし
誰かに出会って会話に夢中になるかもしれないし
方向を変えるかもしれない。
誰かがいることに気付いても車を止まらせずに通り過ぎるかもしれない。
それをどのように扱い運転していくのだろ・・・
ちゃんと定期的にメンテナンスしている人もいれば
酷使して故障して初めてメンテナンスが必要だと気付く人もいる。
どんなタイプだろうが、同じように乗り物であることに変わりはない。
天気が悪い日もいい日も同じようにあり、
高速道路のような道や一般道、舗装されていない道に出るかもしれないし
選んでいくかもしれない・・・
それでも向き不向きなど活かせるものも違います。
だけれど、これだけは同じように忘れてはいけないことがある。
乗り物自体に夢中になり過ぎてしまうので注意ということ・・・
自分の車に夢中になりすぎてしまったりしたら
本来の目的をを忘れて本末転倒。
はじめは故障も少ないかもしれないけれど操縦は上手くないかもしれない。
無茶をしてもまあ何とか大丈夫かも。
ある程度の時がきてメンテナンスが必要なときは上手に取り入れ
本来の性能を活かして周りの景色にも気づける余裕をもって
ドライブをしていく。
どのように運転してどんな道を選びながら進んでいくのか・・・
人生という道をドライブしているのかもしれませんね。
そんなイメージがありました。
思い出せば、多分中学生のころから顎関節症だった気がする。
その頃は、特に認識していなくて
口が開かないとか口を開けるとガクッとするとかくらい。
年齢が上がるにつれて顔のゆがみもでてきたり・・・
でも、どうすればいいのかよくわからないし
いい年になって歯医者さんで寝るときに使うマウスピースを作ったり
その後に歯の矯正をしたら良くなると言われたので
お金に余裕ができたときに歯の矯正をしたりした。
それでも顎関節は改善しなくて
疲れた時などは悪化するときがある。
だから、年をとればとるほど顔のゆがみは出るのは
仕方がないことなのかもしれないけれど・・・
5年ほど前に知人が教えてくれた整体へいったとき
とても調子がよくなったのだけれど
とてもミーハーな先生で聞いていないのに
ずっと、自分の顧客の芸能人の話をしたりするので
煩わしくなってきていたときに
疲れていたのか手抜きを感じるようになってきたので
行くのをやめてしまった。
最近、また気になっていて
探したら比較的近くにあったので行ってみたら
ちょっといい感じだったので2回目も予約。
小顔にするような美容的なところは比較的あるのですが
なかなか、問題を上手く改善してくれるところを見つけるのは大変。
整体なども沢山あるだけに、自分に合うところを
見つけるのも大変ですよね。
そんな感じで今のところかいい気がします。
昨日の夢・・・
生まれてくることを選ぶ場所を見ている。
ポジティブなことが大きければネガティブなこともその分大きい。
それば50%づつなのか、70%と30%なのか
それともネガティブなことを避けたいので
ポジティブなものも放棄していくのか・・・
これはその人生の背負うことになる大きな出来事になる。
ただ、具体的な出来事は決まっていない。
私は、それを眺めながら
「じゃあ、全て決まっていることで
何も選択はできないってことなの?」と聞くと
「そうじゃない。細かなことは全て選択をしていく。
その連続の上に自分が背負う(ネガティブ、ポジティブ)出来事を引き寄せる。」
なるほど・・・
何となく、納得。
一つの例を眺めていると、
これはポジティブなものを強く願う。
ここで「その分背負うものも大きくなるけどいいのか?」と聞かれると
「それでもいいんです!ネガティブなものも背負います!」
それから女性として生きるのですが
とても欲の強い性格でズルをしてでも自分の欲しいものは欲しい。
その中でどんどん欲が強まり
何をしてもどんなことをしてもいいとなる分だけ闇が深まる。
良いことだけで悪いものから何としても逃れたいと逃げ続けていくのですが
その分黒い闇が大きくなって追いかけていくのです。
いつも身体は闇から逃げようとするのに
その闇に追いつかれないように
後ろを気にして恐怖におびえた顔で後ろを見ている・・・
逃げながら
「分かっていますよ。自分で決めた責任はちゃんと背負いますよ」
と言いながら実際は必至で避けようと逃げている・・・
きちんと自分で決めた責任をすぐに果たさないから
更に物事が大きくなっておいかけてくる・・・
これを見ているととても納得する。
一つ一つ日々の選択がポイントになる大きな出来事を生み
その人の性格が良くも悪くも物事を大きくさせる。
「じゃあ、何が起こるか決まっているじゃない?」
と聞くと
「どんな出来事が起こるか決まっていないし
どんな人生を創るのかも決まっていない。
追うべき責任は決まっている」
人生は自分で創りだすもの。
責任も自分で背負うもの。
自分の人生の言い訳はできないし
自分の人生を避けることも逃れることもできない。
とても印象的な夢でした。
自分の居場所をやすやすと当たり前のように簡単に疑問もなく
見つけられる人もいれば
やっとやっと見つけられたと思えば、
そこじゃないと疑問を突き付けられてしまったりして
また道に迷い居場所がなかなか見つけられずにいる人もいる。
どんなに自分が「ここだ」と思い込んで全力で
何年も努力したところでも
自分の居場所でなかったらいつか離れることになるようです。
努力も時間も無駄にしたくないと
しがみついても、しがみつくほどに引き離されていくよう・・・
何処かで一度、角度を変えて立ち位置を変えてみると
新しい関わり方や思いの寄せ方に変化が出てきたりすることもある。
人生をより活かすことができたら・・・
与えられた自分の人生や個性を活かす。
少し欲張りなのかもしれないけれど
自分の人生を貪欲に探して生きることを選べるのも贅沢なこと。