3.11 あの日から12年。
震災6年経過の折、岩手日報さんが新聞広告にこんな記事を掲載しました。
3月11日をすべての人が、「大切な人を想う日」として掲載した詩。
作者のノーマ・コーネット・マレックさんは、あの9.11~アメリカ同時多発テロで
最愛の息子さんを失いました。その後、世に出された詩です。
最後だとわかっていたなら
ノーマ・コーネット・マレック:詩
あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはもっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはあなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたら、わたしはその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても分かってくれていたかもしれないけど、最後だとわかっていたら、一言でもいい・・・「あなたを愛してる」と、わたしは伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そしてわたしたちは忘れないようにしたい
若い人にも年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを、愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら今日でもいいはず、もし明日が来ないとしたらあなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや抱擁やキスをするための、ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと、忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことを、どうしてしてあげられなかったのかと
だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう、そしてその人を愛していること、いつでもいつまでも大切な存在だということを、そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすればもし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから
(「最後だとわかっていたなら」/サンクチュアリ出版)
そして広告には、
「明日が来るのは、当たり前ではない。
3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に。」
と結ばれていました。
平和や安全を願いつつ、防災についても家族で考える日にしてください。
「当たり前」にありがとう。