トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

こりゃひどいと思った本

2015-08-20 07:31:15 | 日記
 私は戦史や戦記を読むのが趣味です。毎月数冊購入して読んでいます。ただ、生活費が限られているのでその月の支出の予定や他に購入したいものとの兼ね合いを考えながら購入しています。単行本は価格が高いのでほしい本は何冊もあるのですが、優先順位をつけて順番にという感じです。

 私が読む本の中には戦記の小説もあります。なかでも一次資料を基本に取材を綿密にされていて、著者が訴えたいことなどをさりげなく主人公の行動や発言であらわすような小説では感動してしまうことも多々あります。

 ところが、中にはこれはフィクションなのかノンフィクションなのかと悩んでしまう本もあります。

 個人の体験談のみを淡々と書かれて、特に悲惨な状況の中を生き抜いてきた体験がつづられた作品では涙がでそうになることもあります。このような本は完全にノンフィクションだと思って読んでいます。

 判断に困るのが、個人の体験談を基本にしているのですが、戦後に知りえた上部組織での方針などをいっしょくたに書かれている本は、いったいどこまでが本人の体験で、どこからが戦後に知りえた情報なのか区別がつかない部分かあり、どこまで信用してよいか悩むことになります。たぶん、著者が書かれたものは本当に体験のみで、それだけでは本として出版できうる状態にないので、編集者などと相談のうえに体験したことの背景などを付け加えて本にしているのではないかと想像しています。

 最近読んだ本の中で、こりゃひどいなと思ったのは、元陸軍大尉が書いた日本海軍についての本で、陸軍大尉といっても士官学校出ではないようで、参謀職や高級将校の副官だったりして海軍の情報についても知りうる立場にいたという将校ではないようです。言葉は悪いですが有象無象の下級将校だったと思われる人です。

 この方のような立場で海軍について感じるであろうことは、海軍が輸送船の護衛をしっかりやらないから、輸送船が沈められて補給が途絶えて厳しかった程度ではないでしようか。

 この本でも最初のうち多少海軍批判のようなことが書かれているのですが、そのうち日米海軍の海戦の経過をずらずらと書かれています。そのようなことは、海軍出身の方や専門家が書かれた本が色々出ているので私でも知っている事柄です。わざわざ元陸軍大尉に説明してもらう必要もありません。

 そして、元陸軍大尉として何か新しい視点で書かれているとかいうことでもありません。いっそのこと、海軍への批判やら悪口やらをあることないこと書き連ねた方がずっと面白かったと思います。

 読後、いったいこの人はこの本でいったい何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。この本を書いた人の責任というよりも、このような本を出版する出版社の程度の方が疑われます。この出版社は戦記や戦史専門の出版社で、毎月戦記や戦史の文庫本を出版している出版社なんですけどね。私も毎月購入してます。

 ということで、戦記や戦史を読むときには、この本はフィクションなのかノンフィクションなのか、よくよく吟味しながら読まないといけないと思うのでした。


大東亜戦争全史はまともではある

2015-08-19 07:51:29 | 日記
 昨日から読み始めた大東亜戦争全史ですが、100ページほど読んだのですがそれ以上読むのを断念しました。確かに、厚いし活字は小さいし、昔の人は普通に使っていたのでしょうが今では使われない漢字が色々あって読みにくいというのはありました。

 読み始めた時は偏った書き方がされているのかなと思ったのですが、一次資料をもとにして書かれているので、恣意的に捻じ曲げようとしては書かれていないように思いました。ただ、一次資料が延々と引用されているというか、ほとんどが一次資料です。その一次資料も恣意的に選択されて引用されているようには感じませんでした。ただ、一次資料の羅列を読むのがなんとも苦痛になってしまったのです。

 一次資料をもとにして書かれていないものは小説です。私は司馬遼太郎の書いたものを読んだことはありませんが、書かれたものは小説のはずです。しかし、読む人によっては実際にあった事実と思いこむ人も多いようですね。

 都合の良いところだけ一次資料を使って、あたかも事実であるかのように書かれている小説なので、すごく実感をもって読まれているのだと思います。そのように読ませてしまうところは、小説家としてすごい力があるのだろうと思います。私はそれを悪いことと言っているわけではありません。小説なのですからどのように書こうとも著者の自由です。

 読者はフィクションである小説をノンフイクションとしてとらえて読んでしまってはいけません。著者の想像で書かれたところと事実とがごっちゃになってしまって、本当にあったことが見えなくなってしまいます。

 ということで、大東亜戦争全史はまともには書かれていますが、気楽に読むような本ではなくて、学術書的に読まないとちと読みこなすことができないことに気が付きました。というか、全部を始めから終わりまで読むような本ではなくて、ある事項についてその背景なりを知りたいと思ったり調べたいと思った時に、その部分だけ読むような事典的に利用すべき本です。

 てなわけで、一から読もうとするのは無理と感じまして、読むのを断念しました。

戦前日本の安全保障を読む

2015-08-18 07:12:29 | 日記
 戦前日本の安全保障という新書を読みました。著者は以前書いた昭和陸軍全史と同じ川田稔氏です。内容は、大正から昭和の初めにかけて政治、陸軍に影響を及ぼした山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山の四人の考え方について、読みやすくまとめられたものです。

 社会科で習う内容といえば、山形有朋は維新の元勲の一人で、一番長生きして当時の政治や陸軍の大きな影響を与えた長州閥のトップという感じですし、原敬は初の平民宰相で政党政治を始めた人で暗殺されたぐらいです。浜口雄幸も暗殺されたというか、その時の傷がもとで亡くなった人、永田鉄山は統制派と皇道派の争いの中で、皇道派の将校に暗殺されたこと。

 という程度しか習いません。というか、記憶にとどめるという感じです。しかし、この本を読むとそれぞれに正しかったか間違っていたかは別として、それぞれなりの考え方をきちんともっていたということがわかり、歴史の授業ではただグレーだった人が生き生きとして感じられます。

 授業でもこのくらい学習できれば歴史も生き生きとしてくるのですが、全体のボリュームが大きすぎてとてもここまで教科書でも参考書でも触れられません。自分で学習するしかないのだなあと感じたところです。

 総理の戦後の70年談話ではありませんが、戦前の時代について知るということも重要なことではないかと感じているところです。原敬や浜口雄幸の考え方は、進歩的で参考になります。

 この本を読み終えて、今読み始めたのが服部卓四郎の大東亜戦争全史です。服部卓四郎といえば、ノモンハン事件をあおった張本人ですし、太平洋戦争時の作戦課長として陸軍中央で戦争を指導した人間で、私自身は彼について細かいことは知りませんが、あまり良い印象はもっておりません。

 ですが、目次を見てみますと戦争の通史であるのは当然ですが、その当時の政治や大本営の動きなども合わせて書かれているようで、太平洋戦争について書かれた本は多いですが、そこまで触れてかかれた本はないので合わせて知ることができるのはうれしいところです。ただ、本人の都合の良いように書かれている可能性もあるので注意が必要かなと思います。

 しかし、本が厚いうえに活字が小さくて昔の漢字も使われているのでちと読みにくい。読み終えるには時間がかかりそうです。

 ついでに、再開しようと思っていたディプロマシーですが、昨日午後に眠くなってしまい昼寝をしたのでプレイできませんでした。大東亜戦争全史を読み始めると止まらなくなる可能性もあるのですが、そろそろ再開といきたいところです。


ハンドボールについてちょっと追加

2015-08-17 07:07:42 | 日記
 ハンドボールについてちょっと追加で書くことにします。バスケットボールをしたことがある人は多いと思いますが、ハンドボールもボールを手で扱うスポーツなので似ているのかなと思われるかもしれませんが、全然違います。

 バスケットボールだとボールを持って歩ける歩数は2歩ぐらいだったと思うのですが、そのように短いためにすぐにドリブルします。ところが、ハンドボールは歩ける歩数が多いのと、パスが主体でドリブルはほとんど使わないのです。ですから、中学校時代にバスケ部だった人がハンド部に入部すると、すぐにドリブルするのでそれを直すのに結構時間がかかります。

 ハンドボールでは、例えば走りながらボールをもらった時、右足が空中にあったとしたら、その右足が地面についた時がゼロ歩。続いて左足が地面についたら一歩目。次に右足がついたら二歩目。そして次に左足がついたら三歩目となり、四歩までついてしまうとオーバーステップの反則になります。

 ですから、右利きがシュートするときには、走りながらパスをもらって、右ゼロ、左右左ときて最後の左足でジャンプしてシュートするのが普通です。左利きだと逆になります。シュートせずにフェイントをかけた時は、最後の左足の後にドリブルを一回入れて移動して、シュートしたりパスします。

 フローターだとたいがいそのようにステップを踏むことになりますが、サイドのプレイヤーだとスペースの関係で同様にステップを踏むことができない場合があります。そんなときは右足で踏み切ってシュートする時もありますし、右右左と左足で踏み切るために右足でトントンとステツプを踏むときもあります。

 ドリブルをするのはフェイントをかけたときぐらいで、あとは、たまたまボールが中央付近に転がって、それを拾い上げてシュートに行くのに、チームの他の連中がまだ来ていないので、ドリブルしながら走ってシュートする程度しかありません。

 ということで、ハンドボールについてちょっと追加してみました。

 今日の午後からディプロマシーを再開する予定です。


ハンドボールの経験をちょっとばかり その4

2015-08-16 07:19:18 | 日記
 ハンドボールで一番楽に得点できるのは速攻です。速攻の一番手はサイドのプレイヤーなので、高校時代、右のサイドがポジションだつた私は、オフェンス側がシュートするかしないかで速攻のためにスタートを切りました。ただ、シュートするフェイントだったりパスだったりすることもあるので、確認しながら走りますけれども。

 しかし、たいして足の速くない私でもオフェンスの選手を置き去りにすることができました。オフェンス側だと自分もそうでしたが、シュートが入るかどうかその行方まで追ってしまうんですね。ただ、キーパーがシュートを簡単にキャッチしてしまう事でもない限りは、キーパーが私までパス一本通してシュートできるという事は、試合で一回あるかないかですね。

 たいがい、キーパーがシュートを阻止しても、ボールはゴールの後ろに行ってしまったり、跳ね返ってフィールドに転がったりするので速攻をするにしても二次速攻になります。ディフェンスが戻り切らず体制ができていないところを、フローターがスピードに乗ってシュートに行くと、ディフェンスもその勢いに押されて守り切れないので、結構シュートが決まります。

 このように速攻でシュートを立て続けて決めたりすると、味方の士気が上がります。逆に敵側はオフェンスでシュートは決まらないは、簡単にシュートを決められるわでガックリときますし、イライラとしてしまいます。こうなると完全に自分たちのペースに引き込めるので、試合の展開が有利になります。

 ところで、私はキーパーはしたことが当然ないのですが、結構大変なポジションです。見ていて感じるのは、シュートを跳ね返すとき、腕でも足でも、ボールの当たる瞬間に力を入れないと、痛いし怪我につながってしまいます。何の気なしに腕だけ伸ばしてシュートが当たると、肘とかいためたりしやすいんですよね。それから、シュートによっては股関に当たったり、顔面に当たることもあるので、私には怖くてできません。まあ、私自身体が硬くてキーパーができるほど柔軟性がないんですけどね。

 ということで、ここしばらくハンドボールの思い出を書いてきましたが、とりあえずこれにて終了です。なんとなく肩こりの残りが完全に消えていないのでゲームを中断していたのですが、そろそろ再開できそうです。再開したらゲームの様子も書いてみたいと思います。