義仲寺には、木曽義仲を祀っています。江戸時代の俳人、松尾芭蕉が彼に惚れ込みました。芭蕉は死後、義仲の墓の傍に埋める事を遺言しました。
義仲寺のある大津市膳所(ぜぜ)に訪ねました。以前にもアップしましたが、4両編成の京阪電車が、路面電車になって走ります。ダンプカーが来ても負けませんね。
東海道線膳所駅と京阪膳所駅が隣接しています。松尾芭蕉が愛した義仲寺が右上に、駅の裏側には国道1号線が走ります。
松尾芭蕉の弟子で十哲と言われる門人の一人、内藤丈艸(じょうそう)が、この地で「仏幻庵」を結び、弟子を取り、句会を催していたという。芭蕉もしばしば訪れたと言う。
膳所駅前は、近代化されていない駅前で、芭蕉と義仲を売り出しています。
ところで、JRの料金表です。大阪ー膳所の料金が950円です。
こちらは、チケット屋さんの自動販売機です。うれしいことに大阪ー石山の切符が、580円で買えます。知恵者ですね。
丈艸の開く仏幻庵には、芭蕉がしばしば訪れていたと言います。その地が史跡として、指定文化財になっています。
この10坪ほどの丘の上に、かろうじて史跡が残ったようです。国道1号線とJR東海道線の線路に挟まれ、琵琶湖八景の一つ「粟津の晴嵐」の風景も全く見えなくなっています。ただ、俳人たちがここに遊んだと言う話の遺跡を偲ぶばかりです。
内藤丈艸は、「猿蓑」の跋文(ばつぶん=あとがき)を書くことを芭蕉に認められている。「猿蓑」にある「幻住庵の記」は芭蕉が、ここ石山近辺に滞在した時の俳文が述べられています。
水底を 見て来た顔の 小鴨かな 丈艸
うづくまる 薬缶の下の 寒さかな 丈艸
2句目は芭蕉の病床にあって、看病に当たりながら詠んだものである。
煎じ薬が薬缶でしんしんと煮えているそばで、冬の夜寒に明日をも知れない師をじっと見つめていると、寒さまでが心に迫ってくると感じた、丈艸の姿が浮かび上がります。
芭蕉に「丈艸できたり」とほめられたと言います。
車座になって、今も句会をしているようです。
義仲寺のある大津市膳所(ぜぜ)に訪ねました。以前にもアップしましたが、4両編成の京阪電車が、路面電車になって走ります。ダンプカーが来ても負けませんね。
東海道線膳所駅と京阪膳所駅が隣接しています。松尾芭蕉が愛した義仲寺が右上に、駅の裏側には国道1号線が走ります。
松尾芭蕉の弟子で十哲と言われる門人の一人、内藤丈艸(じょうそう)が、この地で「仏幻庵」を結び、弟子を取り、句会を催していたという。芭蕉もしばしば訪れたと言う。
膳所駅前は、近代化されていない駅前で、芭蕉と義仲を売り出しています。
ところで、JRの料金表です。大阪ー膳所の料金が950円です。
こちらは、チケット屋さんの自動販売機です。うれしいことに大阪ー石山の切符が、580円で買えます。知恵者ですね。
丈艸の開く仏幻庵には、芭蕉がしばしば訪れていたと言います。その地が史跡として、指定文化財になっています。
この10坪ほどの丘の上に、かろうじて史跡が残ったようです。国道1号線とJR東海道線の線路に挟まれ、琵琶湖八景の一つ「粟津の晴嵐」の風景も全く見えなくなっています。ただ、俳人たちがここに遊んだと言う話の遺跡を偲ぶばかりです。
内藤丈艸は、「猿蓑」の跋文(ばつぶん=あとがき)を書くことを芭蕉に認められている。「猿蓑」にある「幻住庵の記」は芭蕉が、ここ石山近辺に滞在した時の俳文が述べられています。
水底を 見て来た顔の 小鴨かな 丈艸
うづくまる 薬缶の下の 寒さかな 丈艸
2句目は芭蕉の病床にあって、看病に当たりながら詠んだものである。
煎じ薬が薬缶でしんしんと煮えているそばで、冬の夜寒に明日をも知れない師をじっと見つめていると、寒さまでが心に迫ってくると感じた、丈艸の姿が浮かび上がります。
芭蕉に「丈艸できたり」とほめられたと言います。
車座になって、今も句会をしているようです。