湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

到着

2010-12-05 13:45:58 | 学習

1日会社を休み、2泊3日で帰省を兼ねた旅行をしている。今は和歌山の実家にいて、ブログを更新しているのだが、明日には東京に帰る予定。ただし、いろいろ考えさせられることが多い旅行になった。

昨日は、朝早くに家を出て京都に向かい、西京極陸上競技場というところでサッカーの試合を見た。サッカーの試合を見たといっても、ワシの場合、言い方は極端だが、自分が試合するのと同じような感覚である。このブログを読んでくれている方は、みんながみんなサッカー関連の知り合いの方ばかりではないから、まずは、ここから説明しなければならないが、省略すると、要するに入れこんで応援しているということである。じっと座って観ているのではなく、基本的にずっと立ちっぱなしで歌を歌いながら応援するスタイルなのだ。変な感じに聞こえるが、最近はこれがないと生きている気がしない感じすらする。これが楽しいのだ。告白すると、3年くらい前からこんな感じだ。それまでは座って評論しながら観ていた。

応援しているチームは、なぜかFC東京というチームである。このチームが昨日の試合では、重大な危機にさらされていた。J1に所属しているのだが、成績が悪く、J2に降格の危機にあったのだ。先週の土曜日に調布のスタジアムであった試合では、後半40分過ぎまで勝っていて、あとわずか5分というところで同点にされた。勝てば、その時点で残留が決定していたのだが、5分後にはまた降格の危機にさらされることになった。ちなみに、いっしょに残留を争っていたのは、タマクローという、ワシをサッカー好きにした男が強烈に愛しているチームで、これも因縁といえば因縁である。

昨日の時点では、試合前、簡単にいうと、東京は勝てば残留。神戸は勝って、なおかつ、東京が引き分け以下であれば残留という、東京の方が有利な立場にあった。そういう重要な試合であったから、サッカーの試合を観にあえて京都まで行き、かなり力を込めて応援したのであるが、なんと負けてしまい、しかも、ライバルの神戸は勝ち、わが東京は降格することになってしまった。かなりなディサポイントメントである。

失意のまま、その足で郷里の和歌山に行き、とりあえず、思いくそ寝て、すっかり立ち直って、今日は今日で、何とまたサッカーの応援に行った。今度応援したのは、地元のアルテリーヴォ和歌山というアマチュアに毛の生えたようなチームで、将来Jリーグに入りたいという希望を持っているチームであるが、今の時点ではまだ、ただの地方の1クラブに過ぎない。そのチームの応援に地元の陸上競技場に行き、それも初めて応援に行ったのに、行った途端にユニフォームを着せられ、緑の旗を振らされて、大声で応援をする羽目になってしまった。試合は1対1の引き分けで、PK戦で和歌山が勝った。ま、勝ったということもあるが、FC東京の100分の1くらいの規模の応援であったのだが、この応援に参加したことの楽しかったこと。ものすごく楽しかった。1点先制されたときの失意。同点に追いついたときの喜びの一体感。PKで勝ったときの勝利の喜びの一体感。自分が、サッカーの試合をスタジアムに見に行き、いったい何を楽しみにして、何の目的でお金を払ってサッカーを見に行っているのか、ようやくに自己分析の整理がついた気がした。求めているのは、この周囲の人たちとの一体感なのである。

昨日は大事な試合に負けて、今日は小さな地方の下部の下部のリーグの試合であるが、何とか勝った。負けても勝っても、自分にとっては、どちらも同じくらい楽しかった。自分にとっては、勝つ試合を観ることだけが喜びではないということをあらためて認識した。勝てばうれしいし、負ければ悲しくつらい。しかし、それは小さな小宇宙の感情で、それをとりまく大宇宙的には、いろんな見知らぬ、あるいは知り合いの人たちとの一体感が根底にあり、それが自分にとって喜びをもたらしてくれているということである。