先日実家に帰った時、浪人の時読んでいた「パパラギ」を見つけて、久しぶりに読んでみた。
初めて家を出て暮らし、勉強中心のテレビなし生活をしていたこともあり、もっぱらラジオが数少ない娯楽であった。そんな当時、NHK第一放送で、久米明の朗読で「パパラギ」があり、感銘を受け書店で購入したものであった。そういう成り行きがあるものだから、「パパラギ」を読んでいると、久米明が朗読している声がよみがえってくる。ラジオの思い出と読書がコラボしている。それがワシの「パパラギ」である。
ところで、今はテレビが生活の中心で、総務省はライフラインとさえ考えているようだ。地デジに変えないと死んじゃいますよみたいなテロップやめてほしい。だいたい、CMの間中はテロップ流さないで、番組の本番の最中だけ流すのはなぜか。それはともかく、テレビなんぞなくてもラジオがあれば十分である。
メディアを2種類に分け隔てると、テレビ型とラジオ型に分かれる。パッシブ型とアクティブ型といいかえてもよい。テレビ、ネット、携帯。これらはパッシブ型である。勝手に頭に入ってくる。一方、読書はアクティブ型である。積極的に脳みそを働かせないと頭に入ってこない。ラジオはどうかというと、パッシブ型の面もあるが、想像力を働かせないと楽しめないことからいうとアクティブ型である。乱暴な言い方だが、パッシブ型に慣れると頭は悪くなる。頭を使わなくなるからだ。一方、アクティブ型は頭がよくなる。脳みそをしっかり使うからだ。