湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

小林秀雄センセー

2011-06-16 21:33:30 | 学習

不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種をいう(「モーツァルト」)

小林秀雄センセーの文章が好きである。最近、電車で読んでいるが、骨があって読むのに一苦労するが、なにせ小林秀雄である。読めば読むほど、味が出る。独房の中に蟄居させられても、小林秀雄全集が用意されていたら、文句言わないと思う。

ワシ流小林文学の読み方は、駿台方式である。その昔、駿台には、現代国語に藤田修一先生という大先生がいて、問題文をA、A´、Bなどという記号で分解して、大意をつかみながら読む方法を教えてくれた。この読み方は、受験にものすごく役に立ったのだが、小林秀雄先生の文章を読むのにも相当役に立つ。いまだに。

むしろ、ふつうに小林秀雄先生の文章を読んでいる人は、どうやって文章を読んでいるのか不思議である。何らかの方法で、パラグラフごとの意味をつかみながら、次第に全体をつかんで読むという、厄介で骨の折れる知的作業を行わないと、全体が読み込めない。そしてこの作業こそが小林文学の醍醐味である。

この作業を経ないと、冒頭の一文のような、「何となく意味が分かる」程度の一文をつまみ食いして読んだ気がする的なあじわい方しかできないのではないだろうか。何を読んでも、文句ばかり。底が浅い、稚拙だと。こんなワシにも小林作品。