湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

優勝経験

2012-01-21 23:08:46 | 学習

優勝記念のピンバッチ。今日届いた。Tシャツやユニはかさばるので、ささやかにピンバッチを持って記念とす。

優勝といっても、このまえの天皇杯ではなく、J2リーグの優勝記念である。天皇杯は別途ピンバッチを注文した。

思えば、今年は2度優勝したわけで、本当に誇らしい。1昨年はスルガカップに優勝しており、そのまえがナビスコカップにも優勝している。FC東京は優勝回数が多い。

あとしていない優勝が、ゼロックスカップとJ1リーグである。とりあえずゼロックスで柏に勝って優勝してほしい。ゼロックスとかスルガとかマイナーな優勝だが、優勝は優勝である。優勝したことのないJ1チームはいくらでもあるのだから。


家の適正面積

2012-01-20 23:39:16 | 学習

実家は、元々3Kだったが、ワシが小学校4年のとき、2部屋建て増しし、10年くらい前、なぜかもう一部屋建て増しした。10年くらい前の建て増しはむだとしか思えないし、意味がわからないが、とりあえず、母親が一人で暮らしているには部屋数が多過ぎる。ひとり暮らしであれば、ワンルームマンションぐらいで十分なはずである。

翻ってわが家は、家族4人で3LDK。狭くってしかたがない。狭いながらも楽しいが、もうちょっと、もう一部屋あったらと思うのだが。

しかしである。あと2年たてば、上の娘は大学生で、もし一人暮らしするといい出せば、3人になる。3人で3LDKであればそんなに狭くないかもしれない。下の娘が大学生になって出ていけば、相対的にもっと広くなる。要するに家が狭いといっても、常に同じ人数がいるわけではないから、狭い都度建て増しすると、あとで、家族が少なくなったとき、実家のように広さゆえに不便になったりする。

そう思って、今が一番狭いときであるとあきらめて、ものを増やさないようにしている。節約にもなるし、これが一番よいようである。


佐久間山

2012-01-19 22:02:36 | 学習

東京に10年前出てきたころ、単身赴任状態で、休日ひまでひまで仕方がない。しかたがないので、友人の、同じ境遇のF君と都内をあちこちうろうろしていた。夏で、隅田川や江戸川の花火を見つつ、両国の国技館に行ってみると、一般開放していて、中で少年相撲大会をやっていた。

見るとはなししに見ていると、飛びぬけて相撲体型の少年がいた。名前が佐久間君という少年で、結局優勝した。こういう少年が将来力士になるのだなとF君と話したものだが、最近佐久間山という名を見て、ついに来たかと思った。まぎれもなくあの時の佐久間少年だった。

この10年間、どういう相撲人生活を送ったのかよく知らないが、調べてみると、日大相撲部出身で順調にここまで来たようである。自分が名伯楽になったようでとてもうれしい。

ワシは野球もサッカーも好きだが、相撲だけはよく知らない。佐久間山がこれからどうなるのかわからないが、1ファンになって、佐久間山を通じて相撲を見てみたい気になっている。がんばってほしい。


父(2)

2012-01-18 20:34:05 | 学習

亡父は、高校野球が好きで好きでしかたがない人だった。その結果、ワシみたいな人間が育ったのだが。それこそ、夏は高校野球と畑仕事だけで生きていた。

朝からクーラーをガンガンにかけて夕方まで全部見る。試合と試合の合間に畑に出るが、ラジオは決して手離さない。

昼飯を食うとまた高校野球。昼寝しながら見るのだが、気がつくと寝ている。昼はワシも父親と一緒に高校野球を見るのだが、いつの間にか一緒に寝落ちている。

ワシが夏こんな高校野球生活を父とつき合ったのは、せいぜい中学校までだが、父はそののちも死ぬまで、(春も)夏もこういう生活を続けた。幸せな人である。


2012-01-17 23:55:43 | 学習

だめなんである。寝る前にうとうとしていると、父親のことが頭に浮かんでくる。

悲しいとか、悔いているとか、定義できる感情でなくて、なんだか死んだ人の顔が動作が浮かんでは消える。

小学校の時、初めて祖父の死骸を見たとき、人の死にずいぶんショックを受けたものだが、それとはまた別の奇妙な感情が消えてくれない。

突然死んだからというのもあるのだろう。困ったものである。


遺品

2012-01-16 21:47:43 | 学習

父親の帽子である。葬式の遺影もこの帽子をかぶっていて、お棺にこの帽子を入れそうになっていたのだが、ものが良いのでもったいないと、ワシが引き取って持って帰った。

この帽子。父は、すごい汗かきで、枕などあっという間にあぶらじみてしまう人だったから、この帽子も、まんま父親の匂いが残っている。

視覚もさることながら、臭覚というのはすごいもので、鮮明に記憶とリンクしている。あの時の匂い。あの人の匂い。たとえば、沈丁花の匂いをかぐと実家を思い出す。今はないが、子供のころ、うわっていた花だ。

この帽子をかぶるのは、もうしばらくして匂いが消えてからだと思う。それまではあまりかぶる気がしない。


永訣は日常にあり

2012-01-15 22:10:26 | 学習

・・・とお寺の冊子に書いてあった。葬式だけことさらに永訣を哀しむのは滑稽だそうだ。人生は常に一期一会なのだ。

予備校時代の友人の松本君とは、「じゃあ」といって御茶ノ水駅で別れ、再会する見込みがない。何で連絡先を聞かなかったのだろう。

「行ってくる」と言って出かけて、家族が帰ってこなかったことはこの世にいくらでもある。それが日常なのだ。家族が交通事故に会うことをコントロールするのは難しい。

大事なのは、次に会う手だてを忘れないことではなく、今会っていることを大切にすることなのだ。もう会えないと思って遇すること。たとえ家族であっても。禅の考え方なのだ。


昼寝しぇすた

2012-01-14 23:32:05 | 学習

昼休み、弁当食ってから、小さい打ち合わせ室で電気消して、30分くらい寝ている。

寝るといっても、目を閉じてイスに座ってうとうとするくらいだが、午後の仕事にものすごく役に立つ。やっぱり休憩が必要であっても、気分転換で本屋に行くのと全然効果が違う。

また、気分的にも、人間は疲れてくると、ネガティブなことばかり考えがちなので、休むことでリフレッシュして、考え方もポジティブになる。

チャーチルは、1日16時間働いたそうだが、しょっちゅう横になっていたそうである。そんなもんだ。


ねこになろう

2012-01-13 23:49:11 | 学習

疲れた猫はいない。猫はリラックスすることを本能的に知っているのだ。

夏は猫のそばにいるといい。一番涼しいところを知っているのだ。

冬は猫のそばに行け。一番暖かいところを知っているのだ。

猫のように生きよう。疲れたらだめだにゃ~


殉職

2012-01-12 22:04:09 | 学習

大川小学校もさることながら、某銀行の女川支店の話は何だかほんとうに辛い。避難地域の高台に行かず、支店長の判断で支店に残り、ほぼ全員が犠牲になった。

他にこのような話を聞かないということからすると、この銀行の会社の体質なのかもしれないし、指示をした人特有の考えなのかもしれない。本部に対する忠誠心があって、逃げられなかったのかもしれない。いずれにしても犠牲になった人たちやご遺族の気持ちを察して余りある。

銀行は私企業であるが、公共性が高い。決済機能を担っているから、監督官庁が早々に年末年始の御用納めをした後も、黙々と12月30日まで働かねばならない。

顧客のことを考えると、容易に支店を放り出して、避難するわけにはいかないと考えたとしてもおかしくはない。また、預かった現金を大量に保有しているから、重厚な鍵の戸締りをしている余裕がないことも、避難をためらわせた要因だったはずだ。

そういう使命感でもって犠牲になっても、防波堤を締めに行って犠牲になった消防団の人や、町役場で避難を呼びかけ続けて犠牲になった人ほど、尊く思われないとしたら、本当に複雑な気持ちになる。ただ単に逃げ損ねたということで整理のつく話ではないのだ。